Kapitel.38
翌日。いつも通り病室へ行き、秀と佑月は呆然と立ち尽くした。
真央が、まるで別人みたいだったのだ。
何を話しかけても返事もしない。表情もなく、多分、秀や佑月を認識していない。
真央は、完全に生きる意味を失っている。二人はそう感じだ。
「あ、来てたんですか……」
後ろから元気のない声がして佑月が振り返ると、苦しい笑顔を浮かべた一樹がいた。
「真央は……」
佑月が体を震わせながら言う。秀がそっと支えた。
一樹は肩を竦める。
「見た通りですよ。昨日からこんな感じで。お腹は空くのか、ご飯は食べますけど」
「悠翔が原因か……」
秀が重い口を動かす。
「でしょうね」
一樹が淡々と答えるのに疑問を持ち、未だに震えている佑月に声をかけた。
「ちょっと、真央を見ててくれねぇか?」
「え」
驚いて秀を見上げる佑月を無視して、秀は真っ直ぐに一樹を見て言った。
「一樹、話がある」
「……なんでしょう」
一樹が低い声で訊く。
ロビーにある自動販売機で買ったコーラを一樹に渡す秀。
「単刀直入に訊くけど。お前、何を我慢してるんだ?」
一樹の動きが止まる。
……やっぱりか。
一樹は、眼を伏せ大きく深呼吸をした。
「わかりますか」
「わかるっつーの」
敵わないなぁ、と思いながら、一樹が無理に笑って言った。
「佑月さんもわかったのかな」
「いや、あいつは気付かないだろうな。真央の方に意識が取られてる」
秀が言うと、一樹は黙り込んでしまった。一樹が話し出すのを、秀は静かに待つ。
「……我慢しなきゃやってらんないんですよ」
二分程経った時、一樹はぼそっと言った。
「何があっても泣くな。男なら、俺の息子なら、何があっても泣かずに母さんと姉ちゃんを守れ。これ、父の口癖だったんです」
ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「僕が泣いたりしてると、父は決まってこの科白を言ってました。昔はその意味がわからなかったけど、それでもなんか、父に認められてるような気がして、当時は泣いててもそれを聞くだけで、頷いて泣き止んでたんです」
一樹は、思い出すかのように目を宙に彷徨わせながら言う。秀も同様に宙を眺めた。
「亡くなる直前、父は謝ったんですよ。母さんを守れなくてごめんって。だけど、姉ちゃんだけは一樹が守ってくれって。父は、泣き笑いながら僕を手を握って、そう言ったんです……。だから、何がなんでも姉ちゃんを守らないといけない。それが、父からの願いでもあるんです。なのに僕は、全然守れなくて…。姉ちゃんが求めてるのは僕じゃないって思うと……」
涙が溢れ、言葉に詰まる。
目頭を抑え俯く一樹に、秀はそっと抱いた。
「そこまで自分を責める必要はねぇよ。泣きたい時には泣けば良い」
「っ、駄目です!それじゃあ姉ちゃんを守れ……」
「守るってなんだよ」
秀が一樹を遮り、強い口調で言う。一樹は何も言えない。
そんな一樹を見て、秀は小さく微笑んだ。
「泣かないのが真央を守るってことじゃないだろ。発散していかないと、いざというとき力を出せなかったりするしな。泣くのは恥ずかしいことじゃないし、結構すっきりするんだぜ」
「………」
「陰で泣いて、真央の前では元気よく振る舞え。貯めてちゃ、表で元気良く振る舞っても真央を欺けるわけないだろ」
「……はい」
一樹は頷いて、
「今日帰ったら泣きます」
「宣言するなよ」
秀は笑い飛ばした。
「……ねぇ」
外はすっかり暗くなり、冷たい風が吹いている。和彦が帰ってきて落ち着いた頃、美波が小さく呟いた。
「あの子は……どこにいるの」
和彦は、つい美波を凝視してしまう。
「家で待ってても、あの子が帰ってこないのよ。ただいまって言ってきてくれないの……」
「………」
「ちょっと前まで元気だったのに、行方不明だなんて……。どういうこと」
美波は静かに言う。和彦は俯いたまま何も答えられない。
「……そうよ。悠翔はあの日、真央ちゃんと一緒に出かけて帰ってこなかったのよ!あの子が、真央ちゃんが悠翔を奪っ……」
美波がパニックを起こして叫ぶ。そんな美波の声に勝る大声で和彦が遮った。
「美波!」
美波が、我に返ったように眼を見開く。そして狼狽えた。
「あ、私……。なんてこと……」
「疲れてるんだ、仕方ないさ。今日は寝よう」
和彦は辛そうな顔をしたまま、美波を寝室へ誘導した。
朝早く、仕事前に和彦と美波は真央の病室へと寄った。秀や佑月は勿論、一樹さえもまだ来ていなかった。
真央は静かに眠っている。
そんな真央を見て、二人は何も言えずにただ立ち尽くしていた。すると、二人を見つけて笹野が近寄ってきた。
「おはようございます。真央さんは……」
「あ、おはようございます。いつもお世話になって…。真央はまだ寝ているようです……」
笹野に、美波は慌てて頭を下げる。
真央を見て、笹野はほっとしたような表情をしてからすぐに、美波と和彦に向き直った。
「あの、実は昨夜遅く、突然真央さんがパニックを起こしまして……」
「えっ」
二人は驚いて声を上げ、顔を見合わせる。
「おそらく、悠翔さんの行方不明が原因だと思われます。今の真央さんは精神的にかなり不安定ですので、どうか安静に、刺激させないようお願いします」
そう言って笹野は軽く頭を下げ、病室を出ていった。
「…パニック……」
「真央も辛いんだろう。俺たちと同じくらい……」
和彦の言葉に、美波は小さく頷く。
そんな美波を見てほっとした和彦は、時計を見て驚いたように声を上げた。
「うわ、もうこんな時間だ。仕事行ってくる」
「あ、うん。いってらっしゃい」
和彦が慌ただしく出ていった後、美波は真央の手を取った。
小さいけど温かい手。
美波は涙が出てきそうだった。
「ごめんね……、真央ちゃん」
小さく呟く。真央の手を握った手が震えていた。
「私、悠翔がいなくなったこと、真央ちゃんのせいにしようとしたの。どうかしてるわよね、本当……。悠翔がいなくなって、真央ちゃんだって辛いのに。私、自分ばかり被害者になったような気になって……。本当に最低だわ」
「……仕方ないよ」
突然聞こえた声に、美波は眼を見開く。溢れかけた涙が止まった。恐る恐る顔を上げると、真央が目を開けて天井を見ていた。
「真央……ちゃん」
事故から初めて聞く真央の声に、美波は呆然とする。
「仕方ないよ、間違ってない」
静かに真央は言う。
「美波ちゃんは、間違ってないよ」
懐かしい呼び名で言ってから、真央は美波を見て微笑む。
「真央ちゃん……」
美波は真央の手を強く握って、ただただ謝った。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね……」
この子はこんなにしっかりしてるのに。私は、何をしているの……。
「仕事は良いの?もう時間じゃないかな」
真央に言われ美波が時計を見ると、美波は悲鳴に近い声を上げた。
「ひゃっ、もうこんな時間なの。電車に遅れちゃう。あ、真央ちゃん。本当にごめんね。じゃあ…」
美波が慌ただしく病室を出ていく。
真央は眼を伏せた。




