26話 また汲めばいい
カティアと二人で病院を出た。シェイラも来るかな、としばらく待っていたんだけど来る様子はなかった。あたしはその事に少しだけホッとしてしまった。
カティアに無理はさせられないから魔導車で送ってもらうことにする。
「大丈夫ですよ?」とカティアは言ったが、昨日の今日で長時間歩かせるわけにはいかない。
昨日は一人だったけど、今日は隣にカティアがいる。
それだけで少しだけ気持ちが軽くなっていた。
共同住宅に戻り、扉を開ける。階段に向かう途中の共同キッチンに差し掛かったところでいい匂いがした。
「……あれ?」
キッチンから、何かを焼く音が聞こえた。
「おかえりキャナリィ、カティア」
「え!?」
いきなり名前を呼ばれて素っ頓狂な声が出た。
声の主はシェイラだった。キッチンに立ってフライパンを握っている。横のコンロには湯気の立った鍋もある。
「キャナリィ、これ運んでもらえるか?」
コンロに向かったまま、フライパンを振りながらシェイラが言った。
「え、っとこれ?」
「カティアに運ばせるわけにはいかんやろ」
「そ、そうだね! うん、ま、任せて!」
差し出された鍋を受け取る。たくさんの野菜や豆が入った黄金色のスープ。野菜の切り方は雑だが昨日の夜から何も食べてなかったから、お腹がぐう、と反応してしまう。
それはいつもカティアが作ってくれるスープとはまた違う香りがした。
「カティア。こっちの肉焼いたらすぐ上がるから、先部屋行っておとなしいに座っとき」
「わかりました」
カティアは少し笑った。
「ありがとうございます」
「おう」
シェイラのぶっきらぼうな返事を聞きながらカティアの後に続く。こぼさないようにゆっくり三階の部屋まで運んだ。
部屋に入り、カティアを椅子に座らせる。
「そこまで心配されなくても大丈夫ですけど」と言いたげな顔をしていたがそんな事は許されない。
あたしは鍋をテーブルに置いて、食器を並べ始めた。いくつか欠けた物があるが、何とか足りそうだ。
しばらくすると、シェイラがフライパンを持って上がってきた。器用に足で扉を開ける。
「ほらカティア。血が出てもたんやったら、肉食うてしっかり元気にならなあかんで!」
シェイラは三つの皿に肉を盛っていく。
カティアの皿だけ、山みたいになった。
「お気持ちは嬉しいのですが、こんなに食べれませんよ」
「そうか? ならキャナリィに足しとこか」
「え、い、いいよ。そんなに……シェイラも食べなよ」
「そうか?」
シェイラは自分の皿に少し肉を足した。
それから、少しだけ間が空いた。
「……悪かったな」
「え?」
「部屋の片付けから全部任してしもて。夜も勝手してもて」
昨日のことを思い出す。
「そ、それは……シェイラがカティアを運んでくれたから」
言葉が詰まる。
「あたしは何もできずに、ただ見てるしかできなくて」
俯いた。
「自分の事ばっかりで周りが見えてなかった……シェイラに怒られるのも、当然だった」
一度息を吸う。
「……ごめん」
カティアがニコニコしながらあたしたちを見ている。なんだか恥ずかしいんだか、申し訳ないんだか、よく分からない気持ちになって、どうしていいかわからなくなった。
そんな空気を察してカティアがスプーンを手に取った。
「せっかくシェイラさんが作ってくださったんですから、冷めないうちに頂きましょう?」
「そ、そうだね」
「よっしゃ。スープ、ウチがよそうからキャナリィは水入れてくれるか?」
「分かった」
あたしは水差しを手に取った。
昨日の暴発で、少し歪んでいる。
でも、中には水が満たされていた。
「……」
シェイラが汲んでくれていたらしい。
コップを三つ出して、水を注いでいく。
向かいに座るカティアへ渡そうとしたところで、手が滑った。
「あ、ごめん!」
水がテーブルにこぼれる。
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですよ」
こぼれた水は、テーブルの天板の隙間から下へ落ちていった。
カティアにはかからなかったが、なんだか自分が何をやってもうまくできないような気がして、あたしはうつむくしかなかった。
「ほんと、ごめん。昨日もだけど、あたしの不注意でみんなに迷惑かけて……」
「もう、いいじゃありませんか?」
カティアがシェイラを見る。
「ねぇ? シェイラさん?」
シェイラは返事をせず、タオルを持ってテーブルの下を拭き始めた。しばらくして立ち上がるとシェイラはテーブルの水差しを持ち上げる。
「こぼれた水はもうどうにもならへんやろ」
胸の奥に、その言葉が刺さった。
そうだ。
やってしまったことは消えない。
悪気があったかなかったかなんて関係ない。
カティアが怪我をしたことも、シェイラと喧嘩したことも、なかったことにはできない。
あたしは俯いたまま、手をぎゅっと握った。
また怒られる。
そう思って身を縮こませる。
けれど、シェイラの声は続いた。
「こぼれたらもう戻らへんけどな」
シェイラが手にした水差しをあたしの前にそっと置く。少し歪んだ水差しがあたしを見ている気がした。
「また汲んで入れたらええんちゃうか?」
「え?」
「ちょっと凹んでもたけど、問題ないやろ?」
シェイラが水差しの取っ手に手を置く。
「何回でも入れ直せばええやん?」
しばらく、水差しを見つめた。
歪んでいる。
傷もついている。
それでも、水は入る。
昨日のことは消えない。
カティアが怪我をしたことも。
シェイラと喧嘩したことも。
それでも、もう一度やり直すことはできる。
「……うん」
ようやく声が出た。
カティアが小さく笑う。
「では、いただきましょうか」
三人で席につく。
昨日と同じ部屋。
昨日とは少し違う三人で。
あたしはスープを一口飲んだ。
カティアが作るものとは、少し違う味がした。




