11.桃太郎と菊姫の明日
「桃太郎殿」
菊姫が駆け寄ってくる。桃太郎は膝をつき、頭を垂れて、
「菊姫様。遅くなりました。よくぞご無事で」
と言いかけるのを遮るように、頭の上から身を投げ出すようにして抱き込まれた。
「信じておりました。桃太郎殿が助けに来てくださるのを、菊は信じておりました」
桃太郎はその細く柔らかな体を受け止めるように抱き締め、何度もうなずいた。
「いけない。桃太郎殿、肩の傷を」
「いえ、これぐらい大したことでは」
「何を言っているのです。あぁ、ひどい火傷」
菊姫は桃太郎の傷ついた肩を出させると、
「おんばさら あらたんのう おんたらく そわか」
と唱えながら、掌で傷に触れる。心地よく温かな何かが傷口全体にじわっと広がり、更にその熱が胸の奥まで届いて暖かくなるころ、傷口は跡形もなく消えていた。
「ありがとうございます」
「弥生様から禁じられていた、直に触れて手当てする癒しの業ですが、私はいつか必要になる気がして、密かに試し続けて会得しておりました」
「あの呪文の力なのですか」
「いいえ、あれは私が知っていた真言です。意識を癒しに集中させるのに使っているだけのこと。おそらくなのですが、人の中には傷ついたり病んだりすると、元に戻りたいという力が働きます。私の『気』はその力を助け、幾十倍もの力に変える働きをするのだと思います」
「そうですか。本当に素晴らしい、そして慈悲深い菊姫様に相応しいお力です。しかし、そのお力ゆえに狙われるというのが、なんとも悩ましい。そのお力、やはりむやみに表に出さぬ方が」
「いいえ、既に私は京に目をつけられてしまいました。大将は私を京の者に引き渡すと言っておりました。あの者らも京の者らに追われてこの地に移り住んだ者やその末裔。そして貧しさに追われてこの島に逃げ込んだ者たちなのです。私を攫ったのも、自分らの欲ではなく、京の者に脅されて為したこと」
「そうですか」
「ですから、私はもう逃げ隠れせず、私の使える限りの力で癒しの業を遣い、救える人を一人でも多く救いたいと思います。隠れても無駄なのですし、父の屋形に閉じこもって生きていくつもりもございませんし」
「立派なお覚悟ですが、…やはり危ないのでは」
「いいえ。私は信じております、桃太郎殿が必ず守ってくださると」
菊姫はそう言って、少し悪戯な微笑みを浮かべて桃太郎を見た。
「そ、それはもちろんですが。しかし、いつも私がお傍に居られるわけではなく」
「桃太郎殿。私は鬼に攫われ、幾夜も鬼ヶ島で過ごした女子です。その私を疑いなく大切に迎えて慈しんでくださる方が、どれだけおられるでしょう。他方、京の者は攫うことを仕損じた以上、今度は奉公に出せ、嫁に出せと無理を申してくるでしょう。けれども私がすでに嫁いで夫婦になっている身であれば、お断りする道理も立ちます」
一息ついて、菊姫ははっきりと桃太郎に尋ねた。
「桃太郎殿、私を貰うて下さいませんか。そして癒しの業の遣い手である私を、傍で護ってはいただけませんか」
桃太郎は、頬と胸が熱くなるのを覚えた。一方で、幼いころ御屋形様の庭で抱きとめた時から、こうなることは宿命であったような気がした。
「謹んで承ります」
答えた桃太郎に、また菊姫が抱き着いた。
「誰よりもお慕いする菊姫様のお傍に相応しい者となれますよう、努めます」
抱き返しながら桃太郎が、何とか自分の思慕も言葉にする。
「桃太郎、おぬしは堅いのぉ」
と九郎が呆れて声を挙げた。
桃太郎と菊姫は、領主の元に戻って報告をすると、すぐに婚姻の運びとなり、そのまま代官として南の領地に下った。
鬼ヶ島には帰順した大将をはじめとする多くの者が残り、桃太郎の手下の水軍となった。
彼らは潮を読む力を活かして、難しい航路の水先案内で金を取り、また漁場を守った。
島には南天が居つき、争いがあれば急行してくれる。京からのちょっかいを恐れる必要はもうなかった。
士狼と伍猿は、桃太郎から好きに自由に過ごせと言われていたが、離れて住まうことを選ばず、ふだんは犬と猿の姿で、桃太郎と菊姫の屋形の庭で過ごすことが多かった。
九郎は相変わらず、あちこと情報を集めては、桃太郎の前で好き勝手に喋っていく。
浦島太郎には、あれから会ってはいない。
もし、京と戦でもすることになれば、彼はきっとやってくるだろう。
そんな日が来ないことを祈りつつ、けれども何処か、会いたくて仕方ないような気もしつつ、桃太郎はしばしの幸福な日々を過ごすのだった。




