帝妃の憂鬱
ルティアーナ妃はおひとりではなく、アンリ皇子を伴っていた。お母上の目配せを受け、アンリ皇子はうちのヨーゼフを手招きし、庭園のほうへと向かう。子供の探検ごっこにはちょうどいい広さだろう。
薦められるままにわたしが椅子へ座ると、ルティアーナ妃はすぐに用件を切り出した。
「セシィ、わたくしとあなたの仲だから、前置きなく単刀直入に訊かせてもらうわ。アドラスブルクは、メロヴィグとプロジャ、どちらにつくつもりかしら?」
「宮廷内では、プロジャにこれ以上好き勝手させるべきではないという意見が大勢です。ですが、オストリヒテの民族主義者は汎デウチェ合同を重視しています。それ以上に、地方はメロヴィグとプロジャの争いに興味を持っておらず、関与すべきだと主張している領邦はごく少数です」
ひとまず客観的事実を伝えると、ルティアーナ妃は肩をすくめる。
「あなたと、エルディナント陛下はどのように考えているの? 廷臣たちや一般市民の思惑など、皇帝の決断を左右するようなものではないわ」
「そうでしょうか。現にメロヴィグでは、バルトポルテ陛下があずかり知らないうちに、議会と国民がプロジャに対する強硬姿勢をエスカレートさせたように見えましたが」
皇帝の権力といっても、そんなに大したものではない――わたしの指摘に対し、ルティアーナ妃は深くため息を吐いた。
「わがメロヴィグはそういう国なのよ。断頭台で流された、身分おかまいなしの血の上に築かれた国だもの。……まあ、だいたいはバルトポルテの自業自得だけれどね。長年の女遊びの祟り目が、最悪の時期に出ただけよ。すくなくともあなたたち夫婦は、大臣風情や市井の活動家につけ入る隙を与えてたりはしていない。わたくしたちとは違って、まだしっかりと帝国をコントロールできているはずだわ」
現在メロヴィグがおかれている状況は、皇帝たるバルトポルテ三世と帝妃の自分が望んだものではない、と率直に認めながら、ルティアーナ妃はすぐに話の軌道をもとに戻した。
今回わたしは私的な立場でバーデン湖畔を訪れ、そこでたまたまルティアーナ妃と顔を合わせた、という建前になっている。
非公式の外交だが、エルディナント陛下の許可を受けての行動だ。つまりわたしの発言はオストリヒテ=アジュール帝国の国家方針と見なされる。
個人的な感情や思い入れで安請け合いをするわけにはいかない。
「わが夫エルディナントは、個人的にはバルトポルテ陛下に同情しています。……もし、バルトポルテ陛下がご自身の確固たる意志でプロジャとの対決を選んでいたなら、メロヴィグからの同盟の申し出を受け入れていたでしょう」
「そうね……権力をもてあそぶ一部の佞臣と、無責任にプロジャ嫌いを叫んでいるだけの国民――そんなものに流されている日和見の君主に、歴史あるアドラスブルク当主として、手を貸すわけにはいかないでしょうね。セシィ、あなた自身はどう考えているの?」
ルティアーナ妃は、バルトポルテ三世や、ペリム政界の有力者に頼まれて秘密外交特使の役目を務めている、というわけではなかったらしい。アドラスブルクを味方に引き入れるのにはもう遅いとわかっている上で、わたしと話がしたかったみたい。
それならば、腹蔵なくわたし個人としての意見をお話しするのが、わたしなりの誠意だろう。
「プロジャのさらなる覇権の拡大は、アドラスブルクにとって危険だというのが、わたしの個人的な見立てです。プロジャは……というより、宰相ディズマールは、メロヴィグとのあいだの緊張を利用して、南デウチェ同盟の取り込みを図るでしょう。初代バルトポルテの帝国につぐ規模の面積と人口を擁する、大プロジャ帝国が誕生することになります。しかも、バルトポルテの帝国と違って、統一を維持するための無理な外征を計画する必要がない、あまりかけ離れていない文化と民族で構成された国家です」
正直な私見を述べると、ルティアーナ妃はしばし柳眉をひそめた。いくどか眼をしばたたかせ、あごに指を当てて考え込むしぐさをする。
「……つまり、プロジャが勝つのは良くないということよね? そのお話し、エルディナント陛下とはなさったの、セシィ?」
「エルディナントもプロジャの脅威が増す危険性を理解していますが、メロヴィグと同盟を結ぶには欠けている条件があると考えています。わたしも同意見です」
「それはいったい、なに?」
「メロヴィグの国民が、デウチェ人に対する敵意で戦争を支持していることです」
わたしが核心に言及すると、ルティアーナ妃はくちびるを噛んだ。遠く離れた国どうしでも、王侯というのはなにがしかの縁戚関係があるから、国家利害で争うことこそあれ、さほど民族意識というのがないのだ。
ゆえに、民族感情は利得を超えて暴走することがある、という事実は、王侯にとってしばしば盲点となる。
美しい口の端をゆがめるルティアーナ妃に向け、わたしは話をさきに進めた。
「バルトポルテ陛下が主導する、ボルヴァナト帝国による対プロジャ王国の戦争であれば、わがアドラスブルクも利害のみで参戦できたでしょう。ですが、メロヴィグの国民意識による、デウチェ民族を敵視しての戦争に、アドラスブルクはプロジャを向こうにまわして参戦できない。実際に戦争がはじまってしまったら、プロジャを助けよと主張するオストリヒテのデウチェ大衆を抑えるだけで精一杯になるかもしれません」
「話は……わかったわ。恨むべきは、こんな重要な時期に体調を崩したバルトポルテね。しかも身から出た錆。成り上がり夫婦で作った帝国……ここまでかしら」
自嘲気味に薄く笑うルティアーナ妃へ、差し出がましいかもと思いつつ、訊ねてみる。
「あの……万一に備えて、こちらでアンリ殿下をお預かりしましょうか?」
「お気づかいありがとう、セシィ。でも、わたくしはまだあきらめたわけじゃないわ。……じつはね、バルトポルテは三日ほど前から、急にきびきびと動きはじめたの。『もう戦争を止めることはできないが、やるからには最前線に立つ』だそうよ。バルトポルテがメロヴィグ男児の模範として立派に討ち死にすれば、アンリの帝位継承はすんなりと決まるでしょう。そのときは、プロジャとの講和条約の交渉窓口を、アドラスブルクにお願いするわ」
いや、その……「はいよろこんで」とは応えにくいんですが。バルトポルテ三世の討ち死に前提とか、縁起でもない。
わたしが中途半端な表情のまま黙っていると、ルティアーナ妃は女帝然とした貌を取り戻してこうおっしゃる。
「それと、結婚ね。そろそろ決めてもらえたかしら、アンリに、あなたの娘のうちのだれをくれるのか」
もう何年も、バルトポルテ皇帝夫妻のほうから、わがアドラスブルクと縁を結びたい、とアプローチがつづいてきた。
これまではのらくらと躱してきたけれど、バルトポルテ三世の戦死、という悲劇の結果であっても、ボルヴァナト帝室がメロヴィグの統治者として安定するのであれば、結婚による同盟政策はわが帝国にとっても利益となろう。
「長女のゾラは、アンリ殿下に悪くない印象をいだいています。『このままバルトポルテ陛下と似ないままでいてくれれば』と言っていました」
「その点はだいじょうぶ。これまでもしっかり躾けてきたし、これからも、アンリには百害あって一利なしの女遊びはさせないわ」
ルティアーナ妃は力強く請け合い、将来的な婚姻政策の内々定をもって、メロヴィグとアドラスブルクの帝妃どうしによる非公式会談は終わった。
このさきの展開によっては、メロヴィグの第三代皇帝となったアンリ・バルトポルテと、アドラスブルクを継いだうちのヨーゼフが轡を並べて、大プロジャ軍相手に世代を越えた復讐戦を挑む、という光景もあったのかもしれない。
実際の歴史の流れは、ボルヴァナト家に微笑むことなくすぎてゆくのだけれど。
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おたがい帝妃という立場から離れて、ふつうの友人どうしとして晩餐の席を囲んだ翌日――
メロヴィグにとって非常に悪いニュースが、朝イチで飛び込んできた。
『南デウチェ同盟はプロジャと結んだ安全保障条項の発動を宣言。ヴァリアシュテルン王国、デュレンゲンブルク王国、バーゼル大公国、ルケッペ侯国の各軍は、動員体制を整えるとともにプロジャの上級指揮権受け入れへ』
つまり、メロヴィグからの宣戦布告待ちだが、すでにプロジャ有利である現下の情勢で、南デウチェ同盟もプロジャがわにつくと旗幟を鮮明にした、というわけだ。
寝室から談話スペースへ出てきたルティアーナ妃の顔色はすぐれない。どうやら、彼女にとっても寝耳に水だったらしい。
「ひとまずは、ペリムに戻るわ。これ以上状況が悪くなる前に」
「アナさま、お気をつけて」
「ありがとう。つぎにセシィと会えるのは、わたくしたちの亡命先で、ということになりそうね」
あわただしく準備を整えたルティアーナ妃一行が、ホテル・バーデンゼーをあとにするのを見送って、ひとまずわたしは追加の情報収集にあたった。
侍女たちは手に入る限りの新聞を買い集め、ノルジードラ大佐はスヴェルト首都ユフレーヴのオストリヒテ大使館に電報を打って、外交部と諜報部が把握している情報のうち、電信してもさしつかえない機密レベルの低いものを転送してもらう。
結果、細かなところの精密さはともかく、おおまかな状況はすぐにわかった。
メロヴィグの外交使節は、南デウチェ同盟に対して反プロジャの共闘を呼びかけ、ヴァリアシュテルンはじめとする四ヶ国の反応が鈍いと見るや、高圧的な姿勢でなじったのだ。
「せっかくプロジャに雪辱する機会がやってきたのに、立ち上がる気概もないとは腰抜けめ」
……そんな態度で味方が増えるわけないですよね?
そればかりか、「共闘しないのなら、対プロジャの足がかりとして南デウチェ同盟領を進撃路に利用する」とまでメロヴィグ公使は脅迫的に言いつのり、侵略の危機を感じた四ヶ国はプロジャと結んでいた攻守協定に頼ることにしたのだった。
これはメロヴィグの壮大な自爆だ。刺激しなければ中立でいてくれたかもしれない南デウチェ同盟を、わざわざプロジャ陣営へと追いやってしまった。
メロヴィグはブライトノーツと並んで、外交巧者として長く西方圏政治をリードしてきた練達プレイヤーのはずなのだけれど、追い込まれすぎて判断力に狂いが生じたのか。
同盟の合流によって、オストリヒテをのぞくオールデウチェ体制が整ったことになる。いまは軍事分野のみの合同だけれど、このまま対メロヴィグの戦争に勝利すれば、統一国家樹立への機運は否応なく高まるだろう。
……これはメロヴィグにとってのみならず、わがアドラスブルク帝国にとってもよろしくない。なにがよくないかといえば、統一デウチェに入れてもらおうと、オストリヒテが帝国からの離脱を宣言しかねないのが非常にまずい。
しかしプロジャの勢いを止めるために、アドラスブルク帝国としてメロヴィグの味方をすることもできない。昨日ルティアーナ妃に話したとおり、メロヴィグ人とデウチェ人がお互いに反感を高めている現状でそんなことをすれば、オストリヒテはプロジャのほうに流れていってしまう。
「……八方ふさがりよね、これ」
わたしが天井を仰いだところで、ノックの音が響いた。「どうぞ」と応じると、電信用紙を手にノルジードラ大佐が部屋へ入ってくる。
「失礼します、王妃陛下」
「あたらしいニュース?」
「本国の諜報部からです。裏取りはすんでいない未確定情報だということですが」
フィレンがわざわざ、皇宮のはみ出し者に最新の情報を流してくれるだろうか? と首をかしげながら暗号化されている文面に目を落とすと、エルディナント陛下の指示で転送されてきた機密文書だということがわかった。
わたしでも読める強度の高くない暗号だが、漏洩の危険を押してでも速報すべき事情があるということになる。
……なるほど。たしかに書かれていることが事実なら、関与するのはわたしが適任だろう。
「大佐、ミューゼン行きの汽車の切符を手配して」
「御意」
ノルジードラ大佐は指示の意味を問い返すことなく退出していった。長年の軍人としての経験からくる挙措であり、君命に無条件で服する廷臣の反応とはまた違う。
窓際のほうで、アンリ殿下からもらったメロヴィグみやげのボトルシップを作っていたヨーゼフが、顔をあげた。
「まっすぐ帰らないんだ」
「ちょっと寄り道の用事ができたの。ミューゼンに着いたら、そこからのきみはアドラスブルクの皇太子だから、そのつもりでね」
「あーあ、ホルツェンレムス伯爵の跡取り息子のほうが気楽でいいのにな」
万博のときのペリム滞在中にしばしば経験したおしのび行動で、快適さと気負わなさのバランスが絶妙な、アッパーミドル階級の生活様式を覚えてしまったヨーゼフは、アドラスブルク帝室の堅苦しさにめんどうを感じるようになっているみたい。
まあ、あきらめてくださいよ皇子さま。ママも我慢してるんだからさ。




