思い出の街ミューゼン
エルホルンの街をあとにしたわたしたちは、バーデン湖を北へ渡ってデウチェ圏へ戻り、リーヴェン駅で行きと反対方向の汽車に乗りこんだ。デュレンゲンブルクからヴァリアシュテルン領内へと入る。
ミューゼン駅に到着したわたしたちを出迎えたのは、先着していたフィレンの特使団だ。
ここからは、非公式ではなく正式なアドラスブルク帝国の外交使節となる。わたしはオストリヒテ皇帝の妻にしてアジュール王国の王妃の立場で、アドラスブルク帝国の国益のために交渉をしなければならない。
ひとまず特使団が押さえていた駅チカのホテルで、わたしとヨーゼフは、伯爵の未亡人とその息子にふさわしい上等な仕立てだけれど主張しすぎない服装から、アドラスブルクの帝妃と皇太子として仰々しい恰好に着替える。正確には、侍女の群れに着替えさせられる。
それからあらためて、ミューゼンでもっとも格が高く歴史あるホテル、セントロ・ミューゼンへと移動。鉄道整備前からの老舗なので、駅からはちょっと距離があるのだ。
さすがにフィレン皇宮ほどの絢爛さではないものの、そのへんの公国の宮殿にはひけを取らないホテルの一室に落ち着いてから、エルホルンで受け取った情報について確認を取る。
「プロジャのディズマール宰相がエルンスト陛下を“皇帝”とするために動きはじめたというのは、たしかなことなの?」
答えるのは、従者団にまぎれこんでいるオストリヒテ諜報部の要員だ。
「主導しているのがディズマールであるとの、確たる証拠はありませんが、水面下でエルンスト王を帝位に押し上げようとする動きがあるのは間違いのないことです。エルンスト王自身は、皇帝という称号を帯びることにあまり前向きではない様子。そこで、エルンスト王が固辞しづらくなるよう、デウチェ圏各国の君主が推戴するという形式で計画が進められているようです」
「その一環として、ヴァリアシュテルンのフィクトール王に送られてきた、推戴状の下書きが漏洩した、というわけね」
「そのとおりであります、王妃陛下。推戴状の文章は、ディズマールの御用学者ヒエロニムス=ボッシュが起草したものである可能性が、きわめて高いという分析結果が出ています。南デウチェ同盟筆頭であるヴァリアシュテルンの王が代表して帝冠を薦めれば、エルンスト王もうなずくであろうというのが、ディズマールの考えでありましょう」
フィクトールは古文が苦手だ。エルンスト陛下に、諸王の王たる皇帝となっていただかんがため、ヴァリアシュテルン王が奏上つかまつる――だなんて、古デウチェ式の作文はできないだろう。
おバカなフィクトールのためにディズマールのお抱え学者が作ったカンペが、その重要性に気がついていない当のフィクトールのうかつさのおかげで、オストリヒテ諜報部の目に入ったわけだ。
エルンスト王は帝冠を戴くことにあまり乗り気ではなく、ディズマールも表向きは主上を皇帝にするつもりはない、というポーズを取っている。
つまり、ディズマールが腹話術の人形として利用するつもりのフィクトールを推戴計画から抜けさせれば、プロジャが盟主となる汎デウチェの帝国化をひとまずは阻止できるはず。
それには、アドラスブルク関係者の中で一番フィクトールとつき合いの長い、わたしが適任であろう、というのが、フィレンの宮廷官房とエルディナント陛下の判断であった。僭越ながら、わたし自身もそうじゃないかなと思う。
フィクトールをどういうふうに説得すればいいかな、と考えていたところへ、王との会見のアポを取るためミューゼン王宮に出向いていた使者が戻ってきた。
「ご報告いたします。フィクトール王は宮殿にご不在でありました。セシーリア陛下との会見には喜んで応じると、電信にて快諾をいただきましたが、アルフウェルデン城までご足労いただきたいとのことであります」
「そう、わかった。すぐに向かっていいのかしら?」
もちろんヴァリアシュテルン王国政府には、汽車がミューゼン駅へ着くより前に、オストリヒテ=アジュールのセシーリアがおうかがいする、と大使館経由で伝えてある。
どうやらフィクトールは、報せを受け取っても自ら設計したお気に入りのお城から戻ってこなかったらしい。
べつに、首都を留守にしているというだけのことで責めるつもりはない。電信技術を活かして、ちゃんと政務をこなしていればだけれど。
「ミューゼン駅より特別列車を出すそうです。おって連絡するのでしばらくお待ちいただきたいとのこと」
「今日中というわけにはいかなそうね。フィレンに一報入れておいて」
「御意」
どうやら、アドラスブルク帝妃やアジュール王妃としての出番は今日のところはもうなさそうなので、ホルツェンレムス伯爵夫人の服装に戻って、ヨーゼフと夕飯を食べにミューゼンの街へ出ることにした。
わたしにとってミューゼンは、いまもってフィレンより土地勘があるし親しみも感じる街だ。
ついでに、わたしの一番上の兄であるヨハンがミューゼン市内に住んでいるので、ひさしぶりに顔を見に行った。わが実家の長兄は新興階層のお嬢さんと結婚して、貴族籍から離脱し、開業医をやっている。
ヨーゼフは伯母さんと会うのが実質初めてとなる。いちおうこれまでも、節目の行事には兄夫婦もきてくれているのだが、脱籍したとはいえ公爵家の生まれの兄自身はともかく、義姉のほうはなかなかアドラスブルクの皇太子に近寄らせてもらえなかったのだ。
「フィレン育ちのやんごとない皇子さまだと思ったら、あなたに似てなかなか庶民的ね、セシィ」
義母であるアマーリエのことが苦手な義姉さんは、いままで遠巻きに見るばかりだった甥に先入観を持っていたらしく、そのへんの幼年学校生の下級貴族子弟、ていどの堅苦しさしかないヨーゼフに、ある意味で安心したようだ。
ヨーゼフに限らず、わたしの子供たちはアマーリエの姉である太后ゾラさまに育てられていると聞いていたから、さぞや大貴族然とした傲岸横柄な子になっていると思っていたのだろう。
「子供たちは、わたしよりもよっぽど宮廷生活に適応してるんですよ。切り替えが上手くてうらやましいくらい」
わたし自身はいつまでも皇宮のきめごと・しきたりに馴れない。宮廷儀典の元祖であるペリムの上流社交界は、革命にともなって貴族が半減し、ブルジョワ階層が取り込まれたことによって、いくらかゆるくなっているので、いまとなってはフィレンが世界で一番堅苦しいのだ。
「あたしの目から見れば、セシィも立派な帝妃さまだよ。悪い意味じゃなくね」
「そんなこと言ってくれるのは義姉さんくらいです。太后さまにとってわたしはいつまでも覚えの悪い嫁だし、母もたまに顔を合わすと小言ばっかり」
「ヴァリアシュテルン王家の出身者ってのは、みんなあんな感じで口うるさいのかねえ? うちの王さまは、ガミガミ言われつづけてああなっちまったってことなのかしら」
思いもかけず、義姉からフィクトールの話が出てきた。ヴァリアシュテルンの一般市民のひとから王としての従弟の評価を聞ける、いい機会なので訊いてみる。
「じつはわたし、王陛下と会見するためにきたんですけど、ミューゼンの市民である義姉さんから見ると、前王のアウグスト陛下に比べて、フィクトール王ってどういう印象ですか?」
「うーん、そうだねえ……。前の王さまが、たしかに国のためにがんばっていたってのはわかるよ。でも、フィクトールさまの代になって、べつにあたしら庶民の生活が苦しくなったりはしてないからね。新聞には『城フェチ王』だの『無気力王』だのひどい書きかたされてるけど、シワ寄せがこっちにこないなら、好きにしてればいいと思うよ」
「なるほど。……まあ、そんなものですよね。市民からしてみれば、国王やら皇帝だのなんて」
「強いていうなら、いい歳なんだしそろそろ身を固めなさいよってくらいかねえ。余計なお世話だけどさ」
「それはわたしも思ってます。あらためて伝えておきますね、いいかげん結婚しろって」
やはり聞くべきものは市井の声だな、と実感したところで、夕食の準備ができたと、談話室にお手伝いさんが入ってきた。市民階級といっても兄ヨハンは医者なので、奥さまである義姉さんは日々の家事に追いまわされる生活ではない。
もちろん、義姉さんは料理をまったくしないというわけではないし、ペリムのように既製服をたっぷりそろえた百貨店もまだ進出していないので、買い入れた布地から家族の服を仕立てる(自分の手で縫製をしない場合、どの布でだれの服をあつらえるか、仕立て屋なりお針子に指示する)のは奥がたの役目であるが。
夕飯をいっしょに食べていくようにという兄夫婦に、外食ですませてきてしまったことを詫びて、一家団らんの時間のお邪魔にならないよう、おいとまする。
……でもたしかに、さきに夕食を摂ってから兄の家を訪れたのは早計だったな。むかしよく通ってたお店だから、ついまっさきに向かってしまったけれど。
「明日はアルフ……ウェルデンだっけ、に向かうんだよね?」
宿へと戻る途中、わたしが義姉さんと話しているあいだ、従兄姉たちと楽しく遊んでいたらしいヨーゼフが、面白くなさそうな声音でそういった。
「もし明日中に特別列車とやらの準備ができないようなら、こっちから強硬で押しかけるしかないわ。先延ばしにしてもらうわけにはいかない話だからね」
「アルフウェルデンにはママだけ行ってさ、ぼくはミューゼンに残ってちゃダメかな?」
「あのね、きみもアドラスブルクの皇太子として、立派な外交要員なんだからね。お仕事なんだから、サボらないの」
「いちおう、形式としては、アドラスブルクから申し入れての会見じゃなくて、ヴァリアシュテルンがわからの招待ってことになったんだよね? フィクトールおじさん、どうせぼくのこと忘れてるって。招待状にはママの名前しか載ってないよきっと」
ヨーゼフからみて、フィクトールはいとこ叔父であって「おじさん」呼ばわりはいささか適切ではない。……が、それはさておき、たしかにヨーゼフの指摘のとおり、こちらからやや強引に申し入れた王との直談判が、先方より招待を受けての、王が滞在中の離宮への訪問へと、微妙に形式が変わっていた。
もし招待状にヨーゼフの名前がなかったら……あのフィクトールならやらかしかねない。いやでも、ヴァリアシュテルンの外交官や式事官が書き漏らしを修正するよね。
……ホテル・セントロ・ミューゼンで一夜を明かし、朝食を摂って侍女の群れに身だしなみを整えさせられたところで、フィクトールからの書状をたずさえたヴァリアシュテルンの使者が到着した。
差し出されてきた招待状は、決して下手ではないがクセが強い、見憶えのある筆跡で書かれていた。
じゃっかんイヤな予感を覚えつつ、内容をあらためると――
アルフウェルデンに招待されたのはわたしだけ。皇太子ヨーゼフへの言及はない。
王の直筆書状……たしかにこれなら、内容がいくら不適切でも、臣下が勝手に書き直すわけにはいかないわ。
確信犯でわたしだけを呼び出して、フィクトールのやつ、いったいどういうつもりなのかしら?




