皇女ラースローネ
またあらたな一年がはじまり、どうにか表面上の平穏を保っているわれらがアドラスブルク帝国をよそに、世界は各所で揺れつづけていた。
新大陸最強国のステイツでは内戦が激しさを増し、一両年で決着がつくことはあるまいという点で、当事者も傍観者も見解が一致するところとなった。
「世界の工場」と呼ばれるブライトノーツすらしのぐほどの工業力を誇るようになっている北部は、開戦当初の旧式兵器しかなかった軍備をたちまちのうちに刷新し、南部を装備面で圧倒したが、北部にとって人民とはそれすなわち工員であった。
つまり、兵士を動員すればするだけ、工業生産力が低下する。
いっぽう南部は、広大な農地の多くが綿花やサトウキビの畑であり、そこでの労働に従事しているのは主に奴隷だった。工業地帯と農村地帯、というイメージに反して、人口は南部のほうがすくなかったが、自由市民がこぞって軍隊に入っても生産力はさほど落ちない。
南北の産業構造の違いのせいで、存外に戦力均衡が崩れないため、北部は南部の奴隷たちへ“解放”をささやいて、脱走や叛乱騒ぎを引き起こし、敵の後方を撹乱する戦術に出た。
効果的な作戦だったが、南部の農園主たちにとっては生活様式そのものに対する破壊工作であり、北部に対する憎悪がいや増して、兵舎の門をたたく志願者の列が長くなるばかりだった。
北部の情報工作に乗せられて農園から脱走した奴隷たちにしろ、逃亡奴隷狩りから逃れて北部勢力圏にたどり着いてみれば、待っているのは南部と変わらない偏見と差別で、野良働きをしていれば保証されていた衣食住すらままならない。
南部に残っている同胞救出のために武器を取らせてくれと直訴しても、北軍司令部は根本的なところでもと奴隷を信用しておらず、解放奴隷部隊の結成は許されなかった。
……けっきょく、政治の都合で弱者が翻弄されるのは、どんな時代のどこの国でも変わらないのだった。
いずれにしても、ステイツが荒れているかぎり、隣国ゼクフィコのロペス・ガルシア政権へ援助はもたらされない。火事場泥棒にやってきた、旧大陸列強三国による干渉軍ががぜん優位になるかと思いきや……。
年明けからしばらくして、三国連合のうち、ブライトノーツとイルパニアがゼクフィコからの撤退を表明し、メロヴィグ軍を現地においたまま引き上げたのだった。
両国ともに、ロペス・ガルシア政権の承認はしないままであり、表向きは和解の結果の撤兵ではなかったが。
ブライトノーツがロペス・ガルシア政権と裏交渉していたことは以前に述べたが、この時点でそのことを知っているのは、交渉当事者と、仲介したステイツ北部政権上層のごく一部のみである。
イルパニアのほうはどうしたかというと、旧政権であるゼクフィコ総督統治時代の不法行為についてロペス・ガルシアがわから指摘を受け、莫大な賠償金と債権を相殺することで、手打ちにしたのであった。
もっとも、イルパニアの魂胆としては、メロヴィグ軍がロペス・ガルシア政権をすり潰してしまえるなら、自分たちの過去の行状など素知らぬ顔で、つぎのゼクフィコ政府に対して債権を主張するつもりなのだが。
……もちろん、イルパニアの撤収理由も、この時点では外部に漏れてはいなかった。
こうして一国だけ取り残されたメロヴィグであったが、その目的は、ブライトノーツやイルパニアと違って、債権回収だけではない。
宗教的情熱を燃やす帝妃ルティアーナと、異父弟であり政治的右腕のモラン公爵――公私ともに近しい間柄であるふたりからの働きかけで、ゼクフィコ干渉政策を進めるバルトポルテ三世だったが、ほとんど無償奉仕でエトヴィラ独立闘争を支援したことがあるように、私利私欲や国益よりも、メロヴィグ革命精神とボルヴァナト統治原理を優先させるところがある人物だった。
バルトポルテ三世の考えによると、ロペス・ガルシアを中心とするゼクフィコ自立より、アドラスブルク皇弟メルヒオールを擁立して帝国をつくり上げるほうが、新大陸に安定した秩序がもたらされるということらしいのである。
おそらくは、ブライトノーツとメロヴィグ合同のひそかな新大陸戦略である、ステイツ包囲計画を推進しているかぎり、ブライトノーツも決定的にメロヴィグを切り捨てにはかかってこられまい、という読みもあっただろう。
メロヴィグ軍は、借金支払いを拒否するロペス・ガルシア政権の資産差し押さえとして港湾や銀鉱を占拠するだけの作戦から転換し、派遣軍を増強すると、ゼクフィコ首都エル・オーロ制圧を目指して進撃を開始した。
そしてわたしの義弟メルヒオール殿下のもとには、メロヴィグ単独名義のゼクフィコ皇帝受諾願いが、あらためて送付されてきたのであった。
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臨月を迎えたわたしは、あらたな生命を授かった地であるビュラに向かい、心地よい風が吹く初夏の日に、元気な女の子を産むことができた。
アジュールの人々は、わたしが出産のためにビュラ入りしたことを非常に喜んでくれて、フィレンでヨーゼフが生まれたときに劣らないお祭り騒ぎで、ひと晩中花火と祝砲の音が鳴り響いた。
エルディナント陛下の第三皇女へ、わたしはラースローネと名づけた。前もって、男の子だった場合と女の子だった場合の候補をエルディナントさまに伝えて、了承をもらっておいたのだ。
帝都フィレンで話を聞いた太后ゾラさまは、新皇女の命名がアドラスブルクの姫としての伝統にそぐっていないと、最初不快感をしめされたそうだけれど、意外にも女官長エクセルハーディ伯爵夫人が、
「よきお名前と存じます」
と、とりなしてくれたそうだ。
ラースローネは、アジュールの女の子の名前の中から、わたしがかわいいと思って選んだものだ。フィレン貴族化しているけれどもルーツはアジュール民族である、エクセルハーディ伯爵夫人にとってはよい響きだったみたい。
わたしの胸元で眠る赤ちゃんの顔をのぞき込んで、ヨーゼフがその名前を呼ぼうとする。
「らー……ラーシュヨーネ?」
「ラースローネ。ラジィって呼んであげるといいかも」
「ラジィ」
「そうそう」
いままではお姉ちゃんふたりからかわいがられるばかりだったところに妹ができて、ヨーゼフは気持ち背筋が伸びたみたい。お兄ちゃんとして自覚が出てきたかな。
テレーゼは、ラースローネをしきりに抱っこしたがる。
「ママ、ラジィだっこさせて」
「はい、気をつけてね」
「ラジィ、おねえちゃんだよ」
ヨーゼフのときは、テレーゼはまだ赤ちゃんを抱っこできるほど大きくなかったので、ゾラが弟をあやすのを見ていただけだったから、お姉ちゃん気分を味わいたいみたい。
なお長女ゾラは、
「パパがさみしそうだからいっしょにいてあげる」
といって、フィレンに残っている。エルディナントさまが夏のご静養に入る、三ヶ月後に合流予定だ。
ノックの音が響いて、王妃の間にレヒトハイネン男爵夫人が入室してきた。
「失礼します。セシーリア陛下、アングレアム首相が拝謁をご希望であるとのことです」
「わかりました。マルティナ、子供たちをお願いします」
「御意に」
乳母隊にテレーゼたちを預けて、わたしはアジュール王妃として仕事へ向かう。
執務室で待っていたアングレアム伯爵は、わたしに対しうやうやしく最敬礼をほどこした。
「王妃陛下、このたびはご出産おめでとうございます。それ以上に、お礼を申し上げたく参内いたしました」
「……お礼、ですか?」
「ラースローネ殿下、すばらしいお名前です。仮につぎなる世代のアドラスブルク皇帝の、アジュール王としての地位が、アジュール民族と議会によって拒絶されたとしても、ラースローネ殿下を女王として迎え入れることは疑いありません。オストリヒテ=アジュール連合帝国の維持に資する、この上なき陛下のご高配でありました」
「ヨーゼフはよき皇帝、よき王になりますよ」
「もちろん、ヨーゼフ殿下のご器量を私は疑っておりませんが。もっとも悪い想定にも対処できる手札を確保しておくに、越したことはない」
……うーん、わたしはそんなセコい政治的思惑で、娘の名前を決めたわけではないんですが。
アングレアム伯はあくまでアジュールの権益代表者であって、アドラスブルク家に無条件での忠誠心を持っているわけじゃないから、わたしが自分の気分で選んだ娘の名前が、オストリヒテ=アジュール連合体制にプラスになるというなら、それでよしと思えばすむ話ではあるけれども。
「ところで、ブライトノーツとイルパニアがゼクフィコ干渉から降りてしまいましたが、メロヴィグは最後までメルヒオール殿下を支えてくれると思いますか?」
わたしが話題を変えると、アングレアム伯はやや考え深げにあごへ手をやった。
「ステイツの内戦がつづいているあいだは、バルトポルテ三世がゼクフィコ問題で怯む理由はないでしょうな。ブライトノーツに取られてしまったカヌディアの代替物となりうる土地ですから、いまの帝政を支持していなくとも、メロヴィグの威信の復権という観点で、ゼクフィコに友好的政権を樹立させたいと考えている有力者は多い」
なるほど。なににつけても、ステイツが内輪もめをいつまでやっているかしだいというわけか。
「メルヒオール殿下は、一日でも早くゼクフィコに入って、帝国運営を開始すべきだということですね」
「首都エル・オーロは、年内か、来年の前半のうちには陥ちるでしょう。そのタイミングで皇帝として即位なさるのが、メルヒオール大公にとっては最適となりましょうか」
「わたしは、ゼクフィコに帝政を敷くなら、オストリヒテのような絶対主義ではなく、メロヴィグやブライトノーツの体制に近い、立憲制、国内統合の象徴としての帝室であるべきだと思っています。具体的には、ロペス・ガルシアと和解して、ゼクフィコ国内の各派閥、階層間の融和を促進し、再統一されたステイツが帝政排除を唱えても、干渉の大義が得られないようにしたい。……アングレアム伯は、この案が実現可能だと思われますか?」
わたしの話を聞いていたアングレアム伯は、右の眉だけを器用に上げた。
伯はかつてアドラスブルク帝国に叛旗をひるがえしたけれど、単純な反王権主義、自由主義者ではない。アジュール民族運動の指導者であって、無批判で共和制や民主制を受け入れるわけでもないのだ。
もし、アドラスブルク帝国の領域から帝室だけが取りのぞかれ、広大な民主主義国ができたとして、アジュール派議員がつねに少数で、その意見がずっと議会で無視される場合、分離独立を求める、そういう思想の持ち主である。
「私はゼクフィコ現地へ行ったことはありませんので、一概には申し上げられません」
アングレアム伯は無難なことを言い、わたしも吐息をつく。
「まあ、そうですよね。わたしもゼクフィコ行ったことないんで、現地の人たちがどのくらいロペス・ガルシアを熱烈に支持しているのかとか、外国から移入してきた王侯の権威を認める余地があるのかとか、ぜんぜんわからないんですよ」
「ですが……あなたがゼクフィコの女帝として乗り込んでいったとしたら、うまくいくでしょうな、セシーリア陛下」
そんなことをいうアングレアム伯へ、わたしは肩をすくめてみせた。
「買いかぶりですよ。それに、ロペス・ガルシアが、あなたのように現実主義者としての頭のやわらかさを備えているのかどうかも、わかりません」
「妥協を知らぬ石頭に、全国規模の支持を集める器量はないはずです。それに、ロペス・ガルシアは旧政府で一時期閣僚を務めていた。イルパニア人の下でも働いていたことがあるなら、オストリヒテの皇弟とは口も利かぬ、というほど頑迷ではないはず」
「そうだといいですけれど」
「メルヒオール殿下が気をつけるべきは、メロヴィグの将軍や政治顧問のほうでしょうな。彼らは殿下を傀儡に、ゼクフィコの利権をむさぼりたい。飾り物の皇帝が現地住民と上手く折り合って自立し、メロヴィグの助けを不要とする事態を嫌うはずだ」
「……そうでしょうね」
わたしが「三国の御輿に乗ってゼクフィコ皇帝となったら、ロペス・ガルシアと組んで外国勢力を排除してしまうべきだ」と言ったとき、メルヒオール殿下は露骨に嫌悪感をしめした。
義弟のあの義理堅さは、騙し合いありきの政治の世界では弱点となりうる。もちろん、誠意に徹した統治者が成功をおさめる場合もあるのだが、それは周囲に味方のほうが多いとき限定だ。
単身で、地盤のない他国の君主として乗り込んでいくならば、あるていどは「狡く」ないと、食い物にされるだけで終わってしまう。
……なーんて、義弟夫妻の心配ばかりしていたわたしだったけれど、アドラスブルク本家としての「狡さ」を試される機会も、そう遠くないうちにやってくるのであった。




