家中穏やかにして世相険し
イザベラ姫のお産はやや難航し、宵の口に破水して、呱呱の声があがったのは日が変わってからになったが、無事に男の子が誕生した。
少々早産で、すこしちいさいものの、元気に泣いている。初子というのは軽めに産まれてくるものだし、だいじょうぶだろう。わたしがゾラを産んだときも、たしかこのくらいの重さだったし。
「おめでとうございます、イザベラさま。男の子ですよ」
「ありがとうお義姉さま。……メルに、はやく見せてあげて。この子のために、あなたは皇帝にならなければいけませんよ、と」
……いや、全身全霊を消耗し尽くしてなお、まっさきに出てくるのがそのお言葉とは。イザベラ姫はすごいなあ。
産着にくるまれたわが子と対面したメルヒオール殿下の目からは、滂沱の涙があふれ出した。
「ああ……よくぞ……義姉上、イザベラは?」
「お疲れですけれど、危険な状態ではありません。今夜はゆっくりお休みになっていただいて、朝になったらねぎらってあげてください」
「よかった……」
「伝言なので、そのままお伝えしますね。この子のために、あなたは皇帝にならなければいけませんよ、だそうです」
わたしがイザベラ姫のメッセージを告げると、メルヒオール殿下はすこし複雑そうに笑った。
「……そうだな、部屋住みというわけにはいくまい」
個人的には、あまりオススメしたくないゼクフィコ皇帝位だけれど、わたしの立場からとやかく口出しすることではないだろう。
つい先日自らも出産したばかりだという、地元女性の乳母にまだ名も決まっていない皇子を預けて、さすがに疲れたのでわたしも寝ませてもらうことにした。
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電信と腕木式逓信のリレー(海軍基地でもあるトライエットには以前から電信設備がある。オストリヒテ内陸の通信網も、数年以内には腕木式から電信になるだろう)でフィレンへ速報が飛ばされ、帝都からは皇帝エルディナント陛下、太后ゾラさまはじめとする、多くの貴顕から祝電が届いた。
エルディナントさまからは、弟夫妻にお祝い金と、あらたな皇子を海軍名誉大佐に任命するという、具体的なご祝儀も伝えられた。
新皇子の洗礼式に立ち会って、フィレンへ帰るわたしを、三人に増えた義弟一家が駅まで(といっても、トライエットからメルヒオール殿下の邸宅のすぐ近くまで、専用線路が引かれているのだが)見送りにきてくれた。
「兄にお礼を伝えてください。近いうちに直接お目にかかりたく存じますが、われら親子は、アドラスブルクの栄光をいや増すことで陛下の大恩に応えましょう、と」
「たしかに伝えます」
メルヒオール殿下はゼクフィコ帝冠を受ける胆を固めたのだな、とひしひしと感じながら、わたしは余計なことは言わずただうなずいた。
アドラスブルク帝国からは財政や軍事面での支援ができない、ということは承知の上で、メルヒオール殿下は火中の栗を拾う覚悟を決めたのだ。
自身の皇族としての責任感と、イザベラ姫の上昇志向だけでは、危険を冒す気にはならなかっただろう。わが子に大きなものを継がせたい、という男親としての自覚と野心が、メルヒオール殿下に迷いを振り切らせたのである。
マクシミリアン――かつてゼクフィコを治下に加えた皇帝の名を生まれた皇子に与えたところからも、義弟夫妻の意気込みが感じられた。
赤ちゃんを抱くイザベラ姫からは、以前のような狷介な気配がいくぶん薄れているようだった。
「このたびはほんとうにありがとうございました、お義姉さま。お義姉さまがきてくださらなかったら、わたくし無事にマックスを産めていたか、わかりませんわ」
「なにをおっしゃるんですかイザベラさま。メルヒオールさまがそろえた医務班は、皇宮の侍医団に劣るものではありません。わたしがいなくたって、つつがなく出産できていましたよ」
「そんなこと言わないで、今度は海の向こうかもしれないけれど、助けにきてくださいね」
「無茶をいうなよイザベラ。もしゼクフィコでつぎの子を授かったら、産まれるときはこっちに戻ればいいじゃないか」
メルヒオール殿下が、産婆としての義姉へ全幅の信頼をおくようになってしまった妻を、やんわりたしなめる。……でも、どのみちわたし頼りなのは変わらないんですか。ツンケンだった義妹に、こうまでなつかれて悪い気はしませんけれども。
「今度はうちの子たちといっしょに遊んでくださいね、マックス」
「あーう」
甥のぷにぷにのほっぺをなでてから、わたしは皇弟殿下邸私設駅に入ってきた特別列車へ乗り込む。
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フィレンに戻ったわたしは、ほどなく体調の変化を自覚した。わたし自身、四度目の妊娠をしていたのだ。
ビュラでの夏のバカンス中、毎晩エルと盛り上がったからなあ。新婚のときだって、朝までふたりで同じベッド、なんてこと許されなかった。監視役不在ではじめて真にふたりっきりとなれば、それはもう、三回戦四回戦しますって。
そりゃできもするか。
これまで同様、エルディナントさまはとても喜んでくれた。
太后ゾラさまは、嫁がずいぶん好き勝手に動きまわるようになっていることにややご不満げのようだけれど、どうやら今回は、メルヒオール殿下が、わたしへ大いに感謝しているというお手紙をしたためてくださったらしく、
「イザベラがそんなに初産を不安に思っていたなら、わたくしが出向けばよかったわね」
と、ぼやきとも嫌味ともつかないひと言だけで、こまごまとしたご指導はなかった。
……さて、懐妊中は太后さまや女看守たちからのレッスンはなし。毎度の自習タイムです。
新大陸情勢から、目が離せなくなっていますけれども。
南北に分裂したステイツの内戦は、開戦から半年ほどでまたたく間に規模が拡大し、春先はお互いに二万ていどだった兵員数が20万に、年明けには双方すくなくとも50万を動員するのではないかという、バルトポルテ戦争すらしのぐほどのスケールになろうとしていた。
……内戦……内戦とは。
イルパニア領アンジェラス島で待機していたメロヴィグ・ブライトノーツ連合軍は、ステイツの軍備が内戦にかかりっきりとなり、外交部の活動も停滞したことを確認して、ゼクフィコへ上陸を敢行した。ちょうどわたしが、イザベラ姫の出産手伝いでトライエットに滞在していた秋のころだ。
南国ゼクフィコに、秋らしい秋というものはないけれど。
表向きは、ロペス・ガルシア新政権の債務不履行に対する抗議であり、侵略戦争ではないという建前だ。資産価値のあるベラスの港湾を制圧したメロヴィグ・ブライトノーツ・イルパニア三国連合は、ロペス・ガルシアに対して、即時のデフォルト撤回か、協議のために財務責任者を連合軍司令部へ出頭させるよう要求した。
ロペス・ガルシアは、侵略行為であるとメロヴィグ、ブライトノーツ、イルパニアの三国を非難し、公然とデフォルトの堅持を宣言。対する三国連合は、そもそもロペス・ガルシア政権は国際的な承認を受けておらず非合法だとやり返し、ベラスから軍を進めて、ルイポトシの銀山を質物として占領した。
ルイポトシ銀山は、スヴェルトの銀行家ジェイケラーが採掘権を持っている鉱山でもある。
まずはゼクフィコ干渉に一番前のめりなメロヴィグと、その陰で糸を引くジェイケラーの思惑どおりになった。
ロペス・ガルシアはゼクフィコ全土の大衆から支持を集めているものの、資金はない。これまで支援してくれていたステイツからは武器もお金も出てこないわけで、正面からメロヴィグ・ブライトノーツ連合軍と戦っても勝ち目はなかった。
ゼクフィコの抵抗は、サボタージュというかたちで、メロヴィグ・ブライトノーツ軍をじわじわと苦しめつつあった。
地元の地理に精しい農民たちは、メロヴィグ・ブライトノーツ連合軍が接近してくると、収穫物を隠したり、燃やしたりしてから、密林へと逃げ込む。
メロヴィグやブライトノーツの兵は、略奪のためにゼクフィコへやってきたわけではない。食料を買うつもりはあるし支払いの準備もあるのだが、だれも売ってくれないのである。
農村には人っ子ひとりいないし、食べ物もない。田畑はすっかり刈り取られていたり、地元住民自身によって荒らされている。
困った連合軍兵士たちは、食べられそうなものを探して沼地や密林をさまよい……毒虫に噛まれたり、熱帯風土病に罹ったりして、つぎつぎと野戦病院へ担ぎ込まれていった。
首都エル・オーロはじめ、主要都市はまだロペス・ガルシア政権が掌握している。メロヴィグ・ブライトノーツ連合の勢力圏内で、まともな近代医療を受けられるのはベラスだけだ。
港町でもあるベラスに後送された兵士たちは、本国への帰還を望んで傷病申請書を提出し……メロヴィグとブライトノーツの兵員は日を追うごとに減っていった。
ひどい目に遭いながらも帰ってこられるのはいいほうで、そのまま行き倒れてゼクフィコの草木の肥やしになったり、孤立したところをパルチザンに取り囲まれて、全滅してしまう連合軍部隊もすくなくなかった。
お金さえ払えば、困窮している地元住民は食料を売り渡すだろうと見込んでいた連合がわは、想定外の旧大陸列強に対する敵意によって方針転換を余儀なくされた。
イルパニア系の大農園主と、市価よりはるかに高い価格で食料供給契約を結び、パルチザン活動に備えて幹線道路の警備も強いられることとなった。
どこにいっても食べ物があるのどかな南国で、外貨獲得手段となりうる重要拠点を押さえ、ロペス・ガルシアが音を上げるのを待つ――お気楽なはずの思惑がすっかり外れて、連合軍は士気を阻喪した。
ルイポトシ銀山をなんとしても確保したい、ジェイケラーの腹話術人形と化しているモラン公の指令を受け、メロヴィグ軍は拠点と補給路の保持のために野営陣地を整備しはじめたが、ブライトノーツの将軍は、進駐コストが当初の概算よりはるかに高くつきそうだ、と率直な報告書を本国へ送った。
ブライトノーツ外交部、および情報機関は、新大陸各地に支部を持ち、エージェントを送り込んでいる。
情勢を総合的に判断したブライトノーツ政府首脳部は、ステイツの内戦が、北部の勝利による再統一か、南部辛勝の場合でも北部政権は倒されないまま終結するだろう、と結論を下した。
……それをわたしが知ったのは、もちろんながら、ずいぶんあとになってからだけれど。
ステイツ内戦の終焉は、ゼクフィコ干渉のタイムリミットでもある。ブライトノーツは、いずれの場合でも影響力が継続する、北部の共和主義者合衆国政権を仲介役に、ロペス・ガルシア政権との裏交渉へ臨むことにした。
ブライトノーツの要求は、ステイツ同様、債権放棄そのものには応じないが、利払いの一時停止や償還期限の繰り延べは認める、というもの。ロペス・ガルシアがわは、ブライトノーツ軍の全面撤退と、政権承認を条件に同意した。
ブライトノーツの狡猾なところは、撤兵には可及的速やかに応じるが、ロペス・ガルシア政権承認は、ステイツの内戦が終結し、ステイツ正統政権が確定したさいに、二ヶ国合わせての承認調印式を執り行う、とした部分にあった。
ようするに、目下の同盟者であるメロヴィグとイルパニアに裏切りがすぐバレないよう、時間稼ぎしたのだ。
いわゆるブライテンしぐさというやつである。
……とはいえ、裏事情が当事者以外にも発覚するのは、数年さきのこと。この時点では、ブライトノーツがゼクフィコから手を引き、メルヒオール殿下が昇ろうとしているはしごを外すと決めたのだと知っている人は、アドラスブルク帝国はもちろん、メロヴィグやイルパニアにもひとりとしていなかった。




