それは愛ゆえか、虚栄を求めるエゴゆえか
同じ「皇帝」を称する身であっても、メロヴィグとアドラスブルクではその性質がずいぶんと異なっている。
初代バルトポルテによる権力簒奪と僭称ではじまったメロヴィグ皇帝の地位は、裏づけに確固たる血統があるわけでもなく、自称「皇帝」に国民投票で賛成多数が集まれば正当化される、というあいまいな制度であった。
二世であるシャール・バルトポルテは、正式な即位も選挙で信を問う間もなく、帝政が打倒され歴史の激流に呑み込まれたが、三世は初代同様、権力の頂点はクーデターでつかんだものの、その承認を国民投票に問うて賛意を得ている。
他方アドラスブルク家は、600年の歳月を重ねた世界最古(自称)の王朝であり、現に西方ではもっとも長くつづいている君主家だが、神聖帝国の分解以降、とくに選挙やら認定やらの洗礼は受けていない。
かつて神聖皇帝として認められるためには、有力諸侯からなる選帝会議で過半数以上の票を得る必要があった。いまのアドラスブルク皇帝は、皇帝家の血筋である、という点以外に理由があって帝位に就いているといえるだろうか。
……こうして考え込んでみると、アドラスブルクの帝権というのは、メロヴィグ皇帝以上に漠然としたものなのかもしれない。
人間というのは、伝統になんとなく正当性を感じるものだ。もちろん、王朝が長くつづいていくには、すぐれた統治機構を維持していかねばならないから、それなりの合理性もある。
アドラスブルクはその領域を広げたり狭めたりしながら、600年に渡って帝国を守ってきた。諸国の王朝は、代替わりしたり滅びたりしているのだから、今日まで存続しているというだけでアドラスブルクには正当性があるのだ、という見方も成立しうる。
……ただ、裏を返せば、正当性を失ったとき、アドラスブルクといえども滅びるという意味にもなる。
フィレンの保守派は、統治者として的確だったからアドラスブルク王朝がつづいてきた、という合理主義を認めない。神に選ばれし絶対権力者であるからアドラスブルクには帝権が存するのであり、極論すれば、統治者としてなにもしなくても、さらにいえば有害ですらあっても、その支配権が揺らぐことなどありはしない、という“神話”にしがみついている。
しかし、神授君主権を標榜していた王国、帝国のほとんど全部が滅びてきたのは、歴史上の事実だ。
そしていま、あらたなゼクフィコ「皇帝」なる称号が無から現れ出て、わがアドラスブルクの皇弟が、わたしにとっては義弟であるメルヒオール殿下が、その地位に勧誘されている。
ゼクフィコの地に、かつて帝国が存在していたことはたしかである。イルパニアによって滅亡に追い込まれたアムゼカの国制は、あきらかに帝国であった。
アムゼカは征服者によって樹てられた国であり、武力と神の加護がその権威の源泉だった。鷲のシンボルが国章に用いられているところなどは、アドラスブルク帝国とおどろくほどの類似点を持っている。
有史以後接触したことのなかったふたつの文明圏で、似たような社会が発展していた……帝国という統治形態は、人類にとって普遍的なものなのだろうか?
そんなことをわたしがつらつら考えていたところへ、夏のご静養期間に入ったエルディナントさまがいらっしゃった。わたしと子供たちがひと足さきに夏休みに入ってからも、陛下は二週間帝都フィレンでお仕事をしていたのである。
ゾラ、テレーゼ、ヨーゼフが、さっそく遅参のパパを取り囲んだ。
「パパくるのおそいの」
「ごめんゾラ、遅くなった。……ふたりとも、ずいぶんよく日焼けしているね」
「おそとであそぶのたのしいよ。だめっていうおばあさまいないから」
「そっか。ヨーゼフは二週間ですこし大きくなったね」
「……おおきくなった?」
「背が四ミリ伸びましたよ」
小首をかしげるヨーゼフの代わりに、わたしが報告する。ヨーゼフを抱き上げ、エルディナントさまがわたしのほうへ目を向けた。まだ、エルとしてではなく、オストリヒテとアジュールの皇帝エルディナント・フランツとしての顔だ。
「セシィは休んでいないんだって? 毎日執務室に通っていると聞いたよ」
「アドラスブルク帝妃としてはお休みをいただいていますよ。ここではアジュール王妃ですから」
「熱心だね。でも、もう仕事から離れて」
「陛下がお休みになさるなら、おつきあいします」
「ああ、私もエトヴィラ問題だの、プロジャとの軋轢だの、しばらく考えない」
「わかりました。では、今日からしばらく、帝国や王国のことは忘れましょうか、エル」
わたしたちは、皇帝だの、帝妃だのという立場を離れて、エルとセシィ、どこにでもいるふつうの夫婦になる。
余人を交えずに家族五人だけですごすのは、はじめての経験だ。フィレンでも、ザルツクヴェーレはじめとする各御用地でも、アドラスブルクの〈伝統〉があるところではこうはいかないのよね。
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夏の休暇が終わって秋になり。
フィレンへまっすぐ帰るエルディナントさまと子供たちと道中でわかれ、わたしはイザベラ姫との約束を果たすべくトライエットへ向かった。
まだイザベル姫は臨月まですこし間があるけれど、初子なのでいくらか早産になる可能性はある。
メルヒオール大公邸の一室のベッドの上で、大きなお腹を抱えているイザベラ姫は、以前の常時強気で高慢な自信に満ちていた姿はどこへやら、かなり具合が悪そうだった。
「最悪の気分ですわ……。お義姉さまは、よくこんなことを三度も繰り返せましたわね」
「わたしは初期の悪阻以降は、そんなに重くならない体質でしたから」
こればっかりは個人差が大きい。わたしは懐妊中、太后ゾラさまやエクセルハーディ伯爵夫人たち女看守からの干渉が薄れるのをいいことに、情報収集網やアジュール貴族とのコネクションを築いたが、もし妊娠中の諸症状が強く出ていたら、そんなことできなかっただろう。
数すくない妊婦飲用可能なお茶であるローズヒップティーを淹れて、義妹に勧める。
「ありがたいですわ、ネトルティーは飲み飽きていましたの」
ローズヒップティーを飲んでいくらか落ち着いたイザベラ姫から、メルヒオール殿下が妻のために整えた医療チームについて話を聞いた。
……なるほど、体調管理については万全だけれど、精神的ケアがやや薄いかもしれない。
「産婆は出産時以外無用の存在というわけではないですからね。ひとりくらい、常駐させてもよろしかったかと」
「侍女がみな嫁入り前の娘ばかりで、妊婦の苦労を理解してくれないのにはまいりましたわ」
「大公夫人の侍女となると、箔づけにもってこいで希望者が多いですからね」
大貴族の邸宅で働いている侍女は、たいていが行儀見習いのために短期奉公で入ってくる下級貴族の子女だ。皇弟殿下のお屋敷で一年働いていました、となれば婚活でかなりのアピールになるし、場合によっては社交でサロンを訪れた上流の名士に見初められて、そのまま玉の輿に乗れるかもしれない。
なので、なり手は多いが入れ替わりも激しいのだ。
皇宮の侍女団となると、伯爵夫人だの、侯爵家の嫁かず後家令嬢だの、年季の入ったオールドマダム、オールドミスで固められて、それはそれで息苦しいが。
ティーカップをソーサーへおいたイザベラ姫が、はふ、と吐息をつく。
「お義姉さまを頼りにするだなんて、一年前には露ほども考えていませんでしたわ」
「わたしがイザベラさまのお役に立てるのは、出産と子育てのことだけですから」
なにせ、バルディウム王国の姫と、浮浪貴族の娘だ。社交術においても、各国貴賓との人脈においても、作法や知識においても、イザベラ姫はわたしから教えを請わねばならないことなどない。
だが、ここでイザベラ姫が強気な目の光を取り戻して、わたしの腕をつかんだ。
「わたくしのためを思っていただけるなら、お義姉さまにぜひお願いしたいことが、もうひとつありますわ」
「なんでしょう……?」
「わが夫メルヒオールですわ。先日フィレン経由で、メロヴィク、ブライトノーツ、イルパニアの連名によるゼクフィコ帝位推戴の正式な書類が届きましたの。ところが、メルヒオールはむやみに考え込んでいるのです。アジュール王妃陛下たるお義姉さまから、至尊の栄華はつかみ取るものなのだ、とお説教をしていただけませんこと?」
……あー、そのお話ですか。
わたしは、客観的な視点からゼクフィコ問題についてメルヒオール殿下と再検討をして、軽い気持ちでは引き受けないように、って念を押しにきたのですけれどね……。
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ちょっと込み入ったお話があります、と伝えたところ、メルヒオール殿下はすぐに時間を都合してくださった。
大公邸の書斎で、わたしはひさしぶりに義弟と顔を合わせる。
「このたびは妻イザベラのためにわざわざありがとうございます、義姉上。年初の皇族会議にも、形だけ顔を出して、通りいっぺんのごあいさつのみでフィレンを離れた不義理、母と兄にもお詫びをお伝えしてください」
「堅苦しいことはいいですよ。夫はメルヒオールさまのお気持ちをわかっています。ゾラさまにはしっかりお伝えしておきますね、メルヒオールさまのこと、ずっとご心配になっておいでですから」
メルヒオール殿下は、兄であるエルディナント陛下よりやや背が高く、髪の色はより明るいブロンドよりで、眼の青さはそっくりだ。
面立ちとして、母である太后ゾラさま、兄エルディナントさまとはひと目で共通点がわかるけれど、父マティアス殿下とはあまり似ていない。……端的には、いい男すぎるという意味で。
メルヒオールさまの立ち居振る舞いから、シャール・バルトポルテの雰囲気を感じ取る人はすくなくないのだという。シャールのことを肖像画でしか知らないわたしから見ると、ボルヴァナト家の血筋の影は認められないのだけれども。
まあ、現在の問題について話をしにきたのだから、過去の穿鑿は横においておきましょう。
「ゼクフィコの件ですよね。兄からの言伝てでしょうか?」
と切り出してきたメルヒオール殿下へ、わたしは首を左右に振ってみせる。
「いえ、エルディナントは、ゼクフィコに関してメルヒオールさまのご判断を全面的に尊重するとしかいっていません。……ただ、困難な道である、とは」
「そうですか……」
物憂げな沈黙に沈むメルヒオール殿下へ、わたしは単刀直入にご本人の意思を質す。
「メルヒオールさまとしては、ゼクフィコの帝位について、どのようにお考えですか?」
「私は、以前海軍の任務で新大陸の南方東沿岸をひと通り周ったことがあり、ゼクフィコのベラスにもほんの三日ほどですが寄港しました。南国そのものは、個人的には好みの土地です。……ですが、山の国オストリヒテに生まれた身として、雪降らぬ異郷が、根源的なところでわれわれには合わないのだろうなという直感もある。かつてアドラスブルクが、ゼクフィコはじめとする新大陸から退けられたのも、それがいくらか関係しているように思えるのです」
詩的で観念的、抽象的なメルヒオール殿下の思考は、実用実務主義でいつも現実的なエルディナントさまとはだいぶん違う。
「では、三国の提案をお受けしないということでしょうか?」
「……そこが、難しいところでして。ゼクフィコを統治下に加え、アドラスブルクの領域を複数の大陸へ広げたのは、マクシミリアン大帝です。私はその末裔でもある。いまのゼクフィコの混迷に、まったく責任がないとはいえない」
はい、メルヒオール殿下みたいな考えかたをするお人は、そういう過去の因縁を気にすると思ってました。
「新旧両世界の、かならずしも幸福とはいえない結びつきのきっかけとなったのは、たしかにアドラスブルク帝国でした。ですが、ここ200年ほどの期間に関していえば、イルパニアのベルボーン朝と、メロヴィグ、ブライトノーツの歴代王朝の争いと失政が、新大陸の混乱の源です。その三国によるさらなるゼクフィコ干渉に、悪い意味でアドラスブルクとしてつき合う必要はないと思いますが」
「責任の一端を負っているからこそ、三国の横暴を掣肘できるならば、関与しなければならないのではないか……私の良心が、そのようにささやいているような気がするのですよ」
煮えきらないメルヒオール殿下に、わたしは具体的に踏み込んでその決意のほどを問うてみる。
「ならば殿下、ゼクフィコ皇帝位を受諾したとして、現地の人々のために、あなたを援助する列強三国の利権に反して、債務不履行の撤回を拒絶することができますか?」
「……そんなことをすれば、私を担いだメロヴィグも、ブライトノーツも、イルパニアも、すぐに手のひらを返すでしょう。帝位も剥ぎ取られる」
「三国の背中に乗ってゼクフィコ帝位に就いたら、ロペス・ガルシアと和解して、国外勢力を排除するのです」
わたしがそういってのけると、メルヒオール殿下は口をあんぐりと開けた。
「それは……ペテンですよ」
「三国の傀儡としてゼクフィコ帝位に登るのは、ゼクフィコ民衆に対するペテンです。どちらのがわに立って、だれの救世主となり、だれをペテンにかけるか――その選択をせずして、基盤のない土地の統治者として君臨はできないでしょう」
「私は……皇帝となるのなら、和解と調和の使者になりたい。オストリヒテとアジュールを再統合した、兄とあなたのように」
「わたしたちは、実質的にエトヴィラを帝国から切り離して、残りの部分にたがをはめ直したのです。数百年来のアドラスブルク世襲領であったにも関わらずこのありさまです、ゼクフィコでは、すくなくとも半分は切り捨てないと治まりませんよ」
もっといえば、わたしはオストリヒテ人とアジュール人以外の諸民族の権利を、明文化することなくひそかに損なっている。いまはまだ気がつかれていないけれど、遠からず少数民族の自治権問題は帝国を揺るがすだろう。
旧支配層の子孫、混血民、原住民……さまざまな立場の人々が入り交じるゼクフィコの状況も、アドラスブルク帝国の現状と同様か、それより厳しいものと考えるべきだ。
身も蓋もない言いかたをすれば「もっとも効率よく弱者を切り捨てる」方法を編み出すのが、政治というやつなのである。
“弱者”というのは、単純に持っている財力や武力がすくない人々のことではない。頭数という観点から考えれば、貧乏で非武装の大衆を味方につけて王侯を断頭台送りにする、メロヴィグ革命式のやりかただって成立しうる。
皇族として良識を持って育ち、次男であったゆえに、政治の現場に立っていたのはバルティア・ロカーナ総督として二年弱のみであるメルヒオール殿下は、わたしの毒々しい権謀術数主義に怯みと嫌悪感を抱いているようだった。とはいえ、政治学の勉強をしていないということはありえないので、知識としてはわかっているだろう。
あとは、自分自身の手を汚す覚悟を持てるかどうかだ。
眉根を寄せて、反論すべきかべつのことを言うべきか迷っているらしいメルヒオール殿下へ、わたしがさらに皇帝たらんとする気概があるのか質そうとしたところで――
「失礼いたします! 殿下、イザベラさまが!!」
ノックから間をおかずに書斎のドアが開かれ、執事が飛び込んできた。
おどろいて固まっているメルヒオール殿下より早く、わたしが執事さんへ問い返す。
「陣痛がはじまったのね」
「破水なさいました!」
「医師団は?」
「そろっております」
「産婆は?」
「いま呼びに出ました」
「とりあえず、わたしが手伝うわ。殿下とあなたはここで待機。産まれたらすぐ報せます」
「は、はい」
あらたな家族の一員が増えることで、メルヒオール殿下の気持ちがどちらへ向けて押されることになるか。
イザベラ姫は、アドラスブルクの皇弟一家でいるより、ゼクフィコの皇帝一家となることをますます望むようになるのだろうな、とうすうす思いつつも、わたしはひとまず産まれてくる甥か姪のために集中することにした。
子供を産むのがどれだけ大変か、それはわたし自身よくわかっている。
権謀術数主義に《マキャベリズム》ってルビを振りたくなりましたが、この世界にもマキャベリさん相当の人物は登場しているだろうけれど、名前が違うだろうなとなって思いとどまりました。




