義妹イザベラの野心と情念
この年は、アドラスブルク帝国の国内より、国外でのできごとが多かった。
新生エトヴィラ王国は半島中部、さらに南部へと勢力を拡大し、汎エトヴィラ統一が現実味を帯びてきた。
残っているのは、教皇領の処遇と、王統派ではなく共和主義者として解放運動をしている義勇兵団長カリオッツィが、新王ヴァレリアーノにしたがうか否か、そしてアドラスブルク帝国に残留しているロカーナ地方をめぐっての、みっつの課題ということになる。
遠からず、アドラスブルク帝国にとってのエトヴィラ問題も再燃するだろう。
秋に行われた共和主義者合衆国の大統領選挙では、エルディナントさまの予言どおり、北部の権益代表者であるリンゼレイが当選し、反発した南部の最強硬州サザングローリアがステイツからの離脱を宣言した。
それに対する北部議会の報復措置は苛烈な経済封鎖で、そもそも低関税・無関税の自由通商を求めていた南部諸州は、サザングローリアへの追随を加速させはじめた。
分裂ぶくみのステイツとは逆行するかのように、その南となり、目下わがアドラスブルク帝国とも無関係とはいかなくなっているゼクフィコでは、内紛が統一の方向へと動き出していた。
メロヴィグ・ブライトノーツ・イルパニアの息がかかっている暫定政権を駆逐し、新政権樹立へ王手をかけたのは、ロベルト=ロペス・ガルシアという男だった。
名前こそイルパニア風だが、ロペス・ガルシアは先住民族の出身である。文字の読みかたを習う余裕すらない極貧暮らしから身を立て、本国イルパニア人以外は露骨に差別される状況の中、実務能力だけで閣僚の椅子をつかんだほどの努力家であり、資本家や大農園主からは嫌われているが、民衆から幅広い支持を集めていた。
イルパニア統治の破綻後に分裂状態となったゼクフィコを割拠する各勢力領袖の中で、旧政府閣僚でありながら人望があるのはロペス・ガルシアだけだ。
ロペス・ガルシアの泣きどころといえば、最大の後援者であるステイツが内紛を起こしてしまったことだが、暫定政府大統領マクシモンはメロヴィグとブライトノーツから完全に見切られており、そちらに対しても、もう国外からの支援はこない。
ロペス・ガルシアとマクシモン以外の地方勢力は、勝ったほうにつく、という感じで様子見だった。
だれも手出しをしなければ、ロペス・ガルシアによってゼクフィコが再統一されるのは時間の問題であろう。
そんな、世界情勢は相変わらず不安定だったが、フィレンでは三年ぶりに穏やかな暮れを迎えようとしていた年末――
皇宮へ、皇弟妃であるイザベラ姫がやってきた。夫君メルヒオール大公はともなわず、おひとり(繰り返しになりますが、当然のように侍従はたくさんついています)で。
まだ確実ではないけれど、たぶんおめでただ、とイザベラ姫がおっしゃったものだから、宮廷は大騒ぎになった。アドラスブルク家にとって、若い皇族はいくらいてもいい。
事前の準備ができていないといっても、そこは皇宮、あっという間に祝宴の支度が調った。
「どうして前もって報せてくれなかったの?」
嫁の懐妊を喜ぶ以上におかんむりの太后ゾラさまへ、
「まだ……診断を受けていませんから。これまでもあったのです、月のものがこなくなったけれど、妊娠ではなかったということが」
と、イザベラ姫はちょっとびくびくしながら答えた。怖いですよねゾラさま。嫁に対して、まず厳しいあたりから入ってきますもんね。
「弟はなにをしているんだ。身重かもしれない妻をひとりで送り出すなんて」
そうおっしゃったのは、エルディナントさまだった。言われてみればたしかに。メルヒオール殿下どうなさったの?
「冬のフィレンの寒気は身に堪えるから、ヘリッシュ博士の診察を受けたら、すぐにトライエットへ戻るようにと。妊娠を前提に、館を改装して侍医団を傭っておくから、自分は準備で忙しい。母上、兄上によろしく、というのが夫からの言伝てでございますわ」
……なるほど、妻が大事だからこそ、すぐに万全の体勢を整えたいので、実家行きに同道はできない、と。
言いぶんとして筋はとおっていますけれど、なんだかんだでメルヒオールさまは、まだフィレンの城門をくぐりたくないんですね。
ヘリッシュ博士というのは、皇宮お抱えの婦人科医師であり、エルディナントさまとわたしの子供の性別を三連続で的中させた名医だ。ヘリッシュ博士の師匠ボドマル教授は、太后ゾラさまが若かりしころ、六年にも渡って子宝に見放されていた状態から懐妊、出産へと導いた、アドラスブルクの救世主である。
診断希望の指名としては的確だろう。
ぬか喜びかもしれないけれどまずは前祝い。事前準備のできていない略式ながら、皇弟妃の懐妊を祝うパーティが行われた。
……略式でよかったです。正式な皇族の懐妊祝賀宴となったら、なんとか卿だのかんとか卿だの招待客がわらわらやってきて、かたっ苦しくてしょうがないですもの。
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ヘリッシュ博士の診断結果は……ご懐妊。いやめでたい。
ゾラさまも魔女みたいな厳しい目からいくぶん優しくなって、イザベラ姫になにくれと妊婦の心得を講じはじめた。
馬車に乗るときは石畳の道を避けるようにとか、ヒールのある靴は厳禁とか、階段の昇り降りも最小限にとか、お風呂の時間は短めに、熱いお湯は駄目、冷水浴も厳禁とか……
わたしも守らされたなあ。
腕木式逓信文で速報を受け取ったメルヒオール殿下からは、母上と兄上への感謝と、直接会えていないことへの陳謝、そしてイザベラ姫へは、気候の穏やかな地中海沿岸ですごすため、すぐにトライエットへ帰ってくるように、という内容の返信が戻ってきた。
「そんなに急では、正式な祝宴を開けないじゃないか」
エルディナントさまはそうおっしゃったけれど、
「季節を選り好みして子宝を授かることはできないわ。冬場を暖かなところですごすというのは賛成よ」
と、ゾラさまは次男夫婦の方針に同調なさった。
わたしもそれがいいと思います。いえ、義妹のご懐妊を祝いたくないわけじゃないんですけれど、フィレン式大祝宴は苦手なので……。
お祝いのパーティ、ビュラ宮で開けないですかねえ?
明日の朝にはトライエットへ向けて立つということで、イザベル姫のフィレン滞在は、皇族としては異例のせわしなさといえる二泊三日のスケジュールに。
そんな時間の猶予がない中、初日につづいて、ふだんの正餐よりちょっぴり豪華なていどの略式懐妊(確定)祝宴のあと、わたしのお部屋にイザベラ姫がきてくださった。
……正直、嫌われているものと思っていたから、うれしいな。
「イザベラさま、このたびはほんとうにおめでとうございます。いいものですよ、母親になるって」
妊娠中はほとんどのお茶が飲めなくなってしまう。数少ない妊婦飲用品であるネトルティー(花言葉は難アリだけれど、ハーブティーとしては優秀だ)を勧めながら、わたしはにこにことイザベラ姫に話しかけたのだったけれど……。
「余裕ですわね、お義姉さま。さすがはアドラスブルク帝妃殿下……いえ、アジュール王妃陛下といったところですか」
あれ……? イザベラ姫、わたしに嫌味言うためにわざわざいらっしゃったんですか?
「イザベラさま……?」
「ああ、勘違いなさらないで。わたくし、いまはお義姉さまのことを、心から尊敬いたしておりますわ」
「以前は、べつに尊敬していなかった、と」
「はっきり申しあげますと、そのとおりですわ」
……うわぁ。メルヒオール殿下とご結婚されたばかりのころのイザベラ姫からは、嫌われてるなあ、って自覚はありましたが。ていうか、どうしていまは尊敬してもらえてるんですかね……?
「わたし、なにかイザベラさまから認めていただけるようなこと、したでしょうか?」
とくに自覚がないので訊ねてみると、イザベラ姫は、信じられない、とばかりに柳眉を逆立てた。
「単なる見た目だけの帝妃ではないというところを、証明なさったじゃありませんの。夫君バルトポルテ三世の出征中にメロヴィグ摂政を務めたルティアーナのように。世界帝国ブライトノーツの元首として君臨するベアトリスのように。蛮族アジュール人を心服させ、戦地で苦境に陥っていた夫君エルディナント・フランツを救い、帝国半分の実質女君主として、戴冠までしてみせた!」
え……えっと……わたしはべつに、メレナ・テレーゼや太后ゾラさまみたいに、女帝になろうというわけでは……。
覇気の差にわたしが圧倒されているうちに、イザベラ姫はさらに言葉をつづけた。
「わたくしも、ただの妃で終わるつもりはありませんわ。まして、玉座からほど遠い、帝室の次男坊の妻で終わるなどありえない。メルヒオールさまは至尊の地位に就くべきです。……そして、この子にはふさわしい王朝が受け継がれるべき」
気に入らないけれど認めざるをえない、という眼でわたしを見つつ、強烈な自負の念を込めた声で語りながら、まだ細いままのお腹をさするイザベラ姫の姿には、大いなる野心が感じられた。
バルディウム王家より出でし自分は、偉大な帝王の妻となるべきだ……いや、そうでなければならない。夫君と並び立つ賢婦人にして国母となるのが自分の務めであり、運命である。……それが、イザベラ姫が信じている己の道なのだろうか。
「ゼクフィコのことですか?」
「かつてアドラスブルクが治めていた黄金郷、わが夫メルヒオールのために、神が与えてくださった土地だとは思いませんこと?」
まだ正式レベルには上がってきていない、水面下の接触だけれど、イザベラ姫はメルヒオール殿下がゼクフィコ皇帝に擬されていることを知っていた。
バルディウム王都ユージュセルの宮廷は「西方の聴音哨」といわれるほど、各方面のうわさが集まってくる場所だ。バルディウムの王女であるイザベラ姫が情報通であること自体は、おどろくに値しないけれども。
「メルヒオールさまも、もうご承知なのでしょうか?」
「夫は……まだ聞いていないかもしれませんわ。それでも、いやしくもアドラスブルクの大公であれば、求められる責任から逃れようとはしないはず」
「ゼクフィコの情勢は厳しいと漏れ聞きます。いまのアドラスブルク帝国に大陸外へ腕を伸ばす余裕はありません。仮にメルヒオール殿下がゼクフィコの帝冠を受ければ、フィレンからの支援に物質的なものはふくまれない、ということになります」
かつての統治者アドラスブルクの名……それ以外、メルヒオール大公はフィレンから持っていくことはできない。その名すら、現地ゼクフィコの人々からすれば、畏敬の対象とはならないかもしれないのだ。
征服者の末裔、偉大なアムゼカ帝国を滅ぼした怨敵の縁類――そう見なされれば、危険に変わる。
アドラスブルク帝国はメルヒオール大公に充分な支援ができない、とわたしが述べたところで、イザベラ姫の眼が鋭い光を放った。
「お義姉さまは、帝冠など望むな、いまあるもので満足せよ、とわたくしたち夫婦へ訓諭なさりたいというわけですの?!」
「イザベラさま……」
彼女はほんとうに、わたしよりずっと帝王の妻に向いている。もしエルディナントさまとメルヒオール殿下の兄弟順が逆だったら、わたしなら一家で暮らせる館ひとつと、ちょっとした領地以上は望まないだろう。
はいはい、お見とおしですよ、とばかり、イザベラ姫はわたしの心の声をずばりと当ててきた。
「わかりますわよ、お義姉さまがなにをおっしゃりたいのか。『わたしはなりたくて帝妃になったわけではない』でしょう? まったく、ひと目で皇帝の心を虜にする傾城だからいえるたわ言ですわ。そのくせ、夫である皇帝陛下のためなら、自ら女君主にでもなれる。強いられないかぎりなにもしないけれど、実際にやってできないことなどない。……じつに嫌味ですわ」
「買いかぶりですよ。わたしはそんな完璧超人ではない」
なんでこんなに高評価されてしまっているのか、わけがわからない。虚像を見ているとしか思えない義妹の誇大視を訂正したつもりだったのだが、イザベラ姫はいらいらとかぶりを振った。
「ああもう、謙遜のつもりですらないのが腹立たしい! さあ、わたくしの立場で考えてみてください、お義姉さま。夫は皇弟、意欲も能力もあるけれど、兄帝の取り巻きがいつも邪魔をする。べつに兄に取って代わろうだなんて逆心はない、ただ、帝国をともに支えたいだけなのに……。そんな報われない思いばかりがつづいているところへ、異なる帝冠が、あらたな領国があると教えられたとしたら……夫を止めますか?」
「……もし、もしもエルディナントさまがその立場におかれていて、エルディナントさまご自身が新帝となることを望まれるのであれば、わたしはその決定に賛成し、できうるかぎりの協力をするでしょう」
わたしがそういうと、ようやくイザベラ姫は満足げな笑みを浮かべた。
「そういうことですわ。お義姉さまがエルディナント陛下のためにアジュール民族を動かしたように、わたくしもメルヒオールさまのために実家バルディウムを動かしてみせましょう」
狷介な表情を解いたイザベラ姫は、悪阻はどのていどの期間つづいて、どのくらいしんどいのか、出産の痛みは死んでしまうほどつらいのか、などなど、わたしの体験談をひととおり聞いてから、乾燥ネトルの葉っぱもひと山よろこんでもらってくれた。
「出産のときに、経験者であるお義姉さまにも立ち会っていただけると、心強いですわ」
「かならずいきます」
「ありがとうお義姉さま。……では、また」
「ご自愛なさってね、イザベラさま」
いちおう、最後は義理の姉妹らしく、なごやかな雰囲気でお別れすることができた。
……ただ、わたしはイザベラ姫の野心たっぷりの仮定の質問に対し、ひとつ、前提条件を抜いて答えていた。
もし、エルディナントさまが皇帝ではない立場でいたとして、どこからか王位なり帝位の誘いがきたならば。
仮に事前相談をされた場合、わたしは断固反対する。まして自分からけしかけて、夫を玉座へ就かせようだなんてことは、決してしない。
話し合って意見が割れてもなお、エルディナントさまの意志が受諾で固いのであれば、話はべつだけれど。
……でも、イザベラ姫は、メルヒオール殿下のお尻をたたきまくるんだろうなあ。




