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皇帝としての顔、夫としての顔

後半パートは戦闘を含みます。

+++++

までお読みになったらそこで切り上げてもストーリー把握にはあまり影響ありません。



 グライ将軍の辞表を受理し、フィレン中央政府が選択したバルティア・ロカーナ駐留軍テコ入れのための新司令官は、あろうことか皇帝エルディナント・フランツ陛下ご自身だった。


 ……え、ちょっと待ちなさいよ!?


 どんだけ人材枯渇してるんですかわが帝国は?!


 さすがにこれは、帝妃は政策に口出しすべからずとかいっていられない。

 ひとまず、前々からずっと情報収集していたということは伏せたまま、うわさを聞いたが寝耳に水だ、という風をよそおって、太后ゾラさまへ話を切り出す。


「ゾラさま、エルディナントさまがおん自ら戦地へ向かわれるという話は、ほんとうでしょうか?」

「凋落している軍の士気を盛り返せるだけの指揮官が、いまのフィレンにはいないというのが参謀本部の見立てだそうよ。……栄光ある帝国軍も、墜ちたものね」


 情けない、といいたげに、ゾラさまはかぶりを振りながらそうおっしゃった。


 といっても、歴史的に見て、アドラスブルクの本拠地周辺に住む、南デウチェ人は、あまり(いく)さ向けの性格をしていない。

 世界五つの大陸にまたがる超帝国があったころ、皇帝の剣として勇を振るっていたのは、西のイルパニアや北部デウチェ、あるいはアジュールやポリニカ、セラデアといった東の諸民族で構成された兵隊と、エトヴィラ人やプロジャ人の将軍だった。

 オストリヒテやヴァリアシュテルン出身の兵士は、規律正しいが根性に欠ける、というのがもっぱらの評価である。


 革命騒ぎから帝国を守ったフラディキ将軍も、チェルキ人でありベミエンの侯爵であったが、先祖をたどるとアジュール民族に行き着く。

 駄目駄目だったグライ将軍が例外なのであって、有望な将兵供給源だった西と北を失ったいまのアドラスブルク帝国軍を支えているのは、基本的にアジュール人なのだ。


「ゾラさま……アジュールに人材はいないでしょうか?」


 わたしが訊ねてみると、やはりというべきか、ゾラさまは露骨に嫌そうな顔になった。


「野蛮人どもに頼れと? 軍事支援と引き換えに、自治権か、議席か、なにを要求してくるやら知れたものではない。皇帝陛下の臣民として向こうから申し出てきてしかるべきところを、連中は帝国の危機を(わら)って眺めているのです。バルティア・ロカーナに分をわきまえさせたら、つぎはアジュールを躾け直さなければならない。こちらの足元を見ているつもりのやつらに、いまはどんな話も持ち込むべきではありません」

「エクセルハーディ伯とか、いちおう、アジュール人ですよね?」

「古い悪縁と袂をわかったエクセルハーディ伯と、野卑なアジュール人を同一視するものではありませんよ、セシィ。……ですが、たしかに皇帝陛下を戦地へ送り出すよりは一考に値する意見でしょうね。すこし伯と話してみます」


 わたしの生意気な物言いへのいらだちより、愛息エルディナントさまを案じる気持ちのほうが上まわったか、太后殿下は席を立って侍女を呼び寄せると、すぐにどこかへ出かけていった。


 おそらく、女官長エクセルハーディ伯爵夫人へ、あなたの亭主に話があると伝えて、伯に軍を率いる覚悟と能力があるか確認するつもりだ。


 ……たぶん、エクセルハーディ伯のほうが司令官就任を辞退するか、ゾラさまが器量不足と判断するでしょうけれど。すっかりフィレン貴族化しているエクセルハーディ伯からは、アジュール民族の勇猛さも失われているだろう。


 子供たちはすっかり寝静まってしまった夜(おそ)く、疲れた顔で私房(ケメナーテ)へ帰っていらしたエルディナントさまへ、わたしからも直接出陣なさるおつもりなのかを確認してみる。


「陛下……バルティア・ロカーナの紛争で、陛下ご自身が陣頭へお立ちになることになったとうわさを聞きました。事実でしょうか?」

「……うわさが広まるのは早いな。帝国の分解を阻止するためには、私自身が覚悟をしめさなければならなくなった、そういうことだよ」

「ヨーゼフはまだ一歳にもなっていません。陛下は司令部で全軍の士気を鼓舞するお役目をなさって、実戦指揮はほかの者に……人材がいないというなら、メルヒオール殿下にゆだねることはできないでしょうか?」


 わたしが知っているはずのないことまで把握していると、エルは気がついたかもしれない。


 いままでわたしには見せたことのない、真剣な、帝国を背負う者の顔で、こちらの手を取り、口を開く。


「バルトポルテがメロヴィグ軍の総司令として、すでにバルティアへ入っている。今回の事変は、単なる地方の叛乱ではない。ボルヴァナト帝国がアドラスブルク帝国へしかけてきた戦争だ。受けて立つのは私でなければならない。メルヒオールでは駄目だ、弟はわが帝国の代表者ではない」

「陛……いえ、エル、あなたの覚悟はわかりました。行かないでとお願いするつもりでしたが、止めません。……でも、ひとつだけ、覚えておいてください。わたしのすべての考えと行動は、ひとえにあなたのためです。……アドラスブルク帝国ではなく、あなたの」


 わたしはこの場でたくらみのすべてを話すつもりがあったけれど、エルはわたしの言葉が、すでに実行に移されているものとは思わなかったようだ。


 エルはわたしを強くかき抱き、寝台に押し伏しながらささやく。


「愛しているよセシィ。……ああ、皇帝でなかったら、戦争なんかほかのだれかに任せておくさ。どこにも行ったりしない。きみのもとから離れたりなんか」

「エル、あなたが妻より帝国を選ぶことに不満はありません。あなたはわたしの夫である以前に、皇帝なのですから。ただ……わたしは帝妃である以前に、あなたの妻です。わたしが帝国より夫の無事を選んだとしても、怒らないでくださいね……」


 冗談だと思われただろうか。エルはとくに聞き返したりもせず、くちびるでわたしの口をふさぐと、そのまま首すじへ、鎖骨へ、さらに下へと……。


    +++++


 バルティア・ロカーナをめぐって、アドラスブルク帝国とメロヴィグ・ザフィーアン同盟の戦争がはじまってから二ヶ月、エルディナント・フランツ陛下が、自ら陣頭に立つためフィレンをあとにしてからは一ヶ月――


 係争地域のほぼど真ん中、エトヴィラ半島北部ガーデ湖の南に広がる丘陵地帯で、帝国軍と同盟軍の主力どうしが激突した。

 戦場はロカーナ地方の古都フィローナからはやや西で、バルティア地方の東の端に位置している。帝国軍はガーデ湖を北の擁壁がわりに使って、西から攻め寄せてくる同盟軍を阻止するための陣を張り、ソル・ペルヌという町を本営としていた。


 ここで帝国軍が敗れれば、ロカーナ方面への突入路が開かれ、メロヴィグ・ザフィーアン同盟の勝利はほぼ確定となる。

 すなわち、エトヴィラ独立・統一への道も開けるということであり、バルティア・ロカーナがアドラスブルク帝国から離脱することも意味していた。


 エルディナント陛下率いる、オストリヒテのバルティア・ロカーナ駐留軍は兵力11万2000。

 対するバルトポルテ三世とヴァレリアーノ公爵が指揮する、メロヴィグ・ザフィーアン同盟とエトヴィラ義勇兵からなる混成軍の兵力は12万前後。


 数はほぼ互角。大砲の配備数は500門対400門少々と、帝国軍のほうが多く、加えて丘の上を占位していて有利だったが、個々の兵士が持っている小銃の性能は、旋条溝(ライフリング)を彫り込まれたメロヴィグ製の新型のほうが上まわるのではないか、と、兵器商や、各国軍の装備調達を担当する軍官僚が注目していた。


 六月の末、早朝から初夏の太陽が燦々と照りつけていることが多い季節だが、地中海から湧き出してきた雲が北の山地にぶつかり、驟雨をもたらすこともある。決戦の日は朝から低い雲が垂れ込め、地上にも霧がかかっていた。


 視界の悪い中、両軍は有効射程よりも内側に入り込んだ状態でお互いを発見する。会敵と同時に熾烈な射撃戦となった。

 同盟軍が装備する新型銃の長所が活きない序盤の戦いは、歩兵部隊どうしに優劣はなく、丘の上から撃ち下ろす帝国軍の援護砲撃が決め手となって、同盟右翼を担っていたメロヴィグ軍が崩れる。


 しかし敗走する敵を追撃しようとした帝国軍士卒を、正確な長距離狙撃がつぎつぎと射ち抜いた。エトヴィラ義勇兵で構成されている同盟遊撃隊が、友軍の後退を援護するために駆けつけてきたのだ。


 銃腔内に彫り込まれた旋条が与える回転によって精度の高い弾丸を放つ、新型銃の脅威を見せつけられて、帝国軍は平原へ展開して行くことができなかった。起伏があり、霧がわだかまっていて狙い撃ちは効かない丘陵部に留まることを強いられる。


 一時退却したメロヴィグ軍は、指揮官バルトポルテ三世の鼓舞を受け、部隊を再編して前進に転じた。自分たちの武器の強みに気がついた彼らは、闇雲に突撃せず、帝国軍よりも長い射程を活かしてじりじりと押し込んでいく。


 午前遅くになって、ようやく雲の隙間から太陽が顔をのぞかせ、そうなると初夏の強い陽射しが霧を追い払っていく。前線から帝国軍本営へ、射撃戦での不利が伝えられた。砲撃のカバー範囲を広げるべく、丘の稜線上に集中配備されていた大砲が、前線のほうへと馬に()かれていく。


 帝国軍陣地から飛んでくる砲弾が一時的に減ったが、さいわいバルトポルテ三世に、天才砲術師であった初代バルトポルテの戦闘勘は受け継がれていない。帝国砲兵が陣地転換しているということには気づかなかった。


 ……ただし、天才不在という点では、帝国軍も同様だ。


 両軍合わせて1000門に迫る数の大砲が黒煙と土煙を巻き上げ、天然から人工のものに替わった煙幕によって、開けかけていた戦場の視界がふたたび閉ざされていく。


 戦闘中でも使える機動性のある電信機器が開発されるのは、この戦いから数十年のちのことだ。古代から変わらぬ、早馬の伝令以外に作戦指示を伝える手段はない。


 見とおしの利かない実戦の混沌の中で、状況を把握し的確な指令を発するには、ほとんど霊感じみた超知覚を必要とする。生まれ持っての天才が、さらに訓練と実戦を積み重ねて、はじめて感得できる境地だということだ。


 初代バルトポルテ時代を最後に、メロヴィグにそのような軍神は現れていない。オストリヒテにいたっては……三世紀前のマクシミリアン大帝が最後だろうか。


 天才ならぬ身による、平凡な死闘――


 バルトポルテ三世は、かたちだけでも偉大な伯父を真似ようと、メロヴィグ軍の各戦列に馬で乗り入れては、兵たちを激励し、前進を命じてまわった。


 一方のエルディナントさまは、初陣のときに味方を勝利へ導いた、自ら先頭を切っての騎馬突撃を敢行しようとしていたが、砲弾の雨あられの激しさはかつての比ではなかった。

 危険すぎると幕僚たちに止められ、エルディナントさまは歯噛みしながらも本営へ戻られたという。

 ……腰抜けへっぽこ将軍連だけれど、これだけはよくぞ止めてくれた、とお礼をいいたい。


 戦いは午後になっても一進一退がつづき、戦術的ひらめきは欠いたままながらも、装備の優位と司令官の督励が効いたか、メロヴィグ軍がじょじょにソル・ペルヌの丘へ迫っていった。


 なお同盟左翼のザフィーアン軍は、各将兵、各部隊は勇猛であったが全体としてはこれといって戦況に影響しなかった。ザフィーアン軍と相対している帝国軍右翼部隊にしても、ガーデ湖が敵の浸透を防いでくれる代わりに、こちらから展開して翼端包囲をしかけることもできないので、目の前の相手と射ち合っているだけだった。


 帝国軍は戦いの中盤で大砲を集中配備から分散配備に切り替えていたが、そのことが災いして、勢いづいてきたメロヴィグ軍を阻止するには丘の上からの投射火力が足りなくなっていた。


 ついに、メロヴィグ軍精鋭部隊が丘の斜面へ取りつき、登りはじめる。さらに陽がかたむきかけたところで天候が急変し、激しい雨が大地に降り注いできた。火薬が湿気って、大砲も、小銃も、発射できなくなる。水没しようが撃てる金属薬莢が登場するのは、可搬電信機同様、まだまださきの時代だ。


 射てなくなった小銃に銃剣を装着し、サーベルを抜いたメロヴィグ軍がソル・ペルヌの町へ突入してきた。帝国近衛連隊が応戦するが、士気の差はいかんともしがたい。かたや敵陣を突破して意気盛ん、かたや本営にまで踏み込まれて防戦一方。


 本営を放棄し、退却指令を下すよう進言する幕僚たちに、エルディナントさまがくちびるの端を噛み破ったところで――


「皇帝陛下をお守りせよ、突撃!」

突撃(フッラー)ッ!!!』


 戦場の後方側から現れて、浮足立つオストリヒテ近衛兵のわきをすり抜け、メロヴィグ兵を蹴散らしてソル・ペルヌの支配権を帝国がわに引き戻したのは、馬術巧みな騎兵隊であった。その数600ほど。掲げられているのは、アドラスブルクと、アジュールの旗幟であった。


 指揮を執っているのはアングレアム伯爵である。わたしが以前に伯へ頼んでおいたのは、腕に覚えがあるアジュール軍人を集めて騎兵部隊を編成してほしいということだった。


 もちろん、元叛逆者であるアングレアム伯による募兵など、フィレン政府から許可の出るわけがないから無断である。資金はすべてわたしのポケットマネーだ。


 偽造した身分証を使っての、自国民を騙しながらの国内移動……しかしどうにか間に合った。


 要請していない謎の援軍にとまどうエルディナントさまへ、アングレアム伯は馬上からの略式ながら礼を表し、告げる。


「陛下、この雨で火砲はすべて使用できなくなっております。いまこそ」

「そうか……! 予につづけ、白刃をもって敵陣を破るのだ!」


 近侍が引いてきた馬に飛び乗り、エルディナントさまは号令一下、柄尻にダイヤモンドが輝く大元帥の宝剣を抜き放ち、丘を降りはじめる。600騎のアジュール精兵がすぐさましたがった。


「皇帝陛下につづけ!」

「アジュール人に遅れをとるな!」


 近衛連隊も馬にまたがり、あるいは徒歩(かち)で豪雨の中を走り出す。逃げ支度をしていた幕僚たちすら、馬首を後方から戦場のほうへと返して、士官を失って丘の周辺でへたり込んでいた小部隊を見つけては、着剣させてメロヴィグ軍本隊へ向け突撃を命じた。


 強兵とはいえないが規律は堅いオストリヒテ兵、指揮官がきちんと範をしめせば力を発揮する。


 勝利を確信していたメロヴィグ軍中核部隊は、豪雨を突いてきた予想だにせぬオストリヒテ軍の逆襲を受けて壊乱。バルトポルテ三世も、命からがら戦域を離脱するのが精一杯であったという。


 しかし……


 総勢20万を超える兵が死命を懸けて相闘う広大な戦場の中、双方の総司令どうしの直属部隊による直接対決の結果すら、全体からすれば一局面のささいなできごとにすぎなかった。


 痛いほどに打ちつける雨は視界を閉ざし、となりの友軍部隊が勝っているのか負けているのかすらわからない。あまりにも雨音が激しいため、突撃ラッパも前進太鼓(マーチングドラム)も中隊ひとつほどの範囲までしか聞こえず、複数部隊での連動など望むべくもなかった。

 まして戦闘開始から九時間が経過し、将兵ともに疲れ切っている。


 ソル・ペルヌの戦いは双方痛みわけ、勝敗も定かでないままに、降り止まぬ雨と日没によって幕切れとなった。


 余談だが、このとき、たまたま近傍のフィローナに滞在していた事業家のマーク=ドゥナロが、いくらか医術に心得があったため負傷兵の救護を買って出て、戦場の凄惨さに心を痛めた経験が赤恤救会設立のきっかけになった、という逸話は有名である。


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