帝国の危機とあらたな紐帯
ソル・ペルヌの戦いから一週間――
バルトポルテ三世と停戦協議のための直接会談をすることで合意し、日取りを決めてから、エルディナント・フランツ陛下がバルティア・ロカーナ駐留軍の本拠地へご帰還なさった。
鉄壁の要塞、人呼んで「モグラの巣」である。
無論ながら正式名称は違うのだが、ことあるごとにグライ将軍が引きこもったせいで、すっかり不名誉な通称が定着してしまった。
……もちろん、わたしはフィレンからこの要塞までアングレアム伯たちを連れてきたあとは留まって、エルディナントさまへの助太刀は伯に任せていました。まるで戦闘を直接見てきたかのように思われたかもしれませんが、行ってませんよ。
有事のさいの避難場所でもあるため、貴賓の逗留にそなえて要塞の一角に建てられている小宮殿で、わたしはエルディナントさまを出迎える。
「おかえりなさいませエルディナント陛下。……陛下のお許しをえないまま、幾重にも帝国法に抵触する行いを独断で進めていたことを、深くお詫び申し上げます。いかなる処罰も甘んじて受ける覚悟です」
「だいたいのところはアングレアム伯に聞いた。顔を上げてくれセシィ。謝らなければならないのは私のほうだ」
「陛下……」
「アングレアム伯がきてくれなければ、私は死ぬか、捕虜になっていただろう。あなたはわが命の恩人だ、セシィ」
いまさらになって、信じられない気がしてきた。
たしかにわたしは、エルディナントさまの助けになればと思ってアングレアム伯に騎馬隊の編成を頼んだ。でも……わたしがなにもしないでいたら、ほんとうにエルディナントさまは、敵国の虜囚となったり、生命を落とされるところだったというのか。
わたしは、アドラスブルク皇帝の、ひいては世界の命運に影響をおよぼす位置にいる……。
結婚してから六年め、自分の行いとその結果が現実離れしていると、やにわにうそ寒さを覚えたわたしの内心をよそに、生まれたときから帝国を背負う立場でいるエルディナントさまは、屈託なくわたしの独断専行を称賛してくれていた。
「セシィ、あなたはどれだけのものを私に与えようというんだい? 愛も、父となる歓びも、国を継ぐ皇子までも私にもたらしてくれたのに、さらに救いの手まで準備していただなんて。……なのに私は、あなたが人の目をはばかることなく、自由に仕事を進めることのできる環境を用意しようとしなかった」
「いえ……わたしは帝国のために動いたわけではありません。ただ、エル……あなたの無事だけを考えていて……」
そう、わたしがやったことは、帝国から見れば背信行為なのだ。アジュールに大きな借りを作り、オストリヒテの非力を広く世の中に知らしめ、その影響力を削ぎ落とした。アドラスブルク帝室の基盤は、あくまでもオストリヒテにあるというのに。
でも、エルはわたしのことを抱きしめてくれた。
「正しいのはきみの考えだよ。連合帝国の創建について、アングレアム伯からひととおりの説明を聞いた。アジュールをオストリヒテと並ぶ帝国の双翼の一方だと認めないかぎり、もはやこの世界でアドラスブルクが生き延びる道はない……そのことを、私も今回の戦争で肌身に感じた」
「陛下、わたしは……」
「きみはアドラスブルクの皇帝のためではなく、私個人を救うために動いてくれた。そのことに感謝こそすれ、余計な真似をしてくれただなんて、咎めるわけがない。母や大臣たちは、なんだかんだと言うだろうけど、きみのせいにはさせないよ」
「エル……」
「きみがまず私を守ってくれた。今度はこっちがきみを守る番さ」
独立派であったアングレアム伯を口説き落とすために、わたしとマイラー伯が費やした時間は二年ほどだろうか。
アドラスブルクの当主が、オストリヒテの皇帝としてアジュールを支配するのではなく、オストリヒテとアジュールの王冠が同じ重さを持つのであれば、アジュール民族はアドラスブルク皇帝を主君として受け入れるだろう――この、大して違いがあるようには思えない国体の解釈変更の差が、終わりなき独立闘争か、皇帝への臣服かを大きくわけたのだ。
……正直いうと、わたしには、そこにこだわる意味というのが、よくわからないんですけれども。
過程はどうあれ、エルディナントさまはアングレアム伯とアジュール勇士たちの忠誠を大いに讃え、違法な私兵ではなく、最初から皇帝の許可のもとで編成されていた、正規部隊だというかたちの書類を整えてくださった。
そして、アングレアム伯とマイラー伯はじめとするアジュールの領袖たちと諮り、フィレン守旧派の抗議と反対を押し切って、アドラスブルク皇帝は、オストリヒテの皇帝にして諸国の統治者という肩書きから、オストリヒテとアジュールの皇帝にして諸国の統治者、とあらためることを決定した。
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オストリヒテ皇帝エルディナント・フランツと、メロヴィグ皇帝バルトポルテ三世の直接会談によって、バルティア・ロカーナ紛争はいちおうの決着を見ることになった。
バルティア地方はアドラスブルク帝国から離脱し、ザフィーアン公国あらため新生エトヴィラ王国の一部となる。
ザフィーアン公爵ヴァレリアーノがエトヴィラ王となり、メロヴィグとアドラスブルク両帝国はその王権を承認し、周辺各国へもエトヴィラ新王国を承認するよう働きかける。
ロカーナ地方はアドラスブルク帝国に留まる。
――細かな付帯条項を省略すれば、こんなところであった。
エトヴィラ民族の解放者、新王ヴァレリアーノの名声は高まったが、全エトヴィラ統合の理想からすれば大幅な目標未達は否めない。
一方で、バルトポルテ三世が軍事支援の引き換えに要求し、ヴァレリアーノとその懐刀カティーノがひそかに認めていた、半島西部ニルス地方のメロヴィグへの割譲については、停戦協定で触れられることはなかった。フィレン政府は無関係な、メロヴィグとザフィーアン間の問題であり、アドラスブルクに口利きしてやる義理はなかったからだ。
後日さらに状況は変遷するが、講和条約調印時点では、はっきり実利を得たのはザフィーアンのみであり、アドラスブルクは一地方を失った。メロヴィグはほとんどタダ働きで他国の独立運動を支援した格好になったが、意外にも一般市民はバルトポルテ三世を称賛した。メロヴィグ革命精神の推進、という、お題目が功を奏したのである。
メロヴィグ帝都ペリムの市民が、凱旋式でバルトポルテ三世万歳を叫んでいたころ、オストリヒテの帝都フィレンの空気は、アドラスブルク家に対して微温的になっていた。
戦争で負けたわけではないが、領土喪失を祝う国民というのはめったにいるものではないから、バルティアの帝国離脱がため息を誘うことになるのは、いたしかたない。
ただ、比較的教育水準が高いフィレン市民は、いずれエトヴィラ民族統合運動がさらに盛り上がって、ロカーナも帝国から抜けることになるとうすうす予見していた。
エトヴィラのさきは? 個別の民族がそれぞれの国を持つ時代がやってくるのか。そのとき、オストリヒテの、フィレンのデウチェ人はどうなる。
……それが、市民たちの漠然とした不安の種になっていた。
バルトポルテによって神聖帝国が解体され、個別の独立王朝に分割されて以降も、オストリヒテがデウチェ連合の一員であることに変わりはなかった。
神聖皇帝はデウチェ人の皇帝にして諸国民の皇帝であったが、アドラスブルク皇帝はデウチェの一部であるオストリヒテを有する諸国民の皇帝である。
この差は、ささいなようで非常に大きい。……やっぱり、わたしの個人的感覚ではピンとこないんですけれども。
現在のデウチェ連合の盟主はプロジャだ。プロジャはアドラスブルク皇帝家をデウチェ民族の君主と認めていない。かつて全世界的帝国だったアドラスブルクの栄光は、プロジャにいわせれば「民族の伝統に根ざしていない」のである。
斜陽とはいえいまも非デウチェ地域を領有するアドラスブルクは、プロジャから「真のデウチェ」仲間ではないと排斥されている。かといってオストリヒテのほうからデウチェ統一を求めれば、プロジャへの従属が条件にされるのは明白だった。
オストリヒテ人は、汎デウチェの同一民族性は認めるが、プロジャの下風には立ちたくないデウチェ人の集団である。だから彼らは、統治者としてのアドラスブルク皇帝を必要としているのだ。
そしてアドラスブルク皇帝の存在意義とは、諸民族統合の要、象徴としての……いってしまえば、妥協点たることにある。
エトヴィラの離脱は避けられないにしろ、ではアドラスブルク帝国の剥落はどこで食い止められるのか。止まらずにオストリヒテ一国となってしまったら、そのときはアドラスブルクの存在意義が失われるのみならず、オストリヒテもアイデンティティを失い、デウチェの一部となるのが必定となり、プロジャの膝下に降ることになる。
……そんな空気の中で布告された、アドラスブルク皇帝の地位と肩書きに関する公式解釈の変更である。
ほとんどの大衆には、それで以前となにが変わるのか、さっぱり意味がわからなかった。
オストリヒテのすくなからぬ人々は、アジュールの地位が向上し、帝国内でのオストリヒテの立場が相対的に低下したことは理解して、文句を言った。
フィレンの知識層は、これがアドラスブルクの延命策であるのみならず、オストリヒテにとっても防壁として機能する措置であることに気づいていた。デウチェ統合の圧力を強めるプロジャに対し、アジュールを同盟者として抱え込むことで、オストリヒテは個別での存在意義を主張できる。
帝国を支え、機能させている階層は、アドラスブルクがいまなお国体維持に必須の存在であるということを認め、帝国分解の危機はひとまず収まったのであった。
……ごくかぎられた人々だけは、それが一時しのぎにすぎないことを認識していたが。
地球史より8年ほど早く「アウスグライヒ」が成立しました。
エルディナントとセシーリアの国は、果たして崩壊の運命から逃れることができるでしょうか…?(といっても、この先にあたる20世紀序盤部分のお話はもう書いちゃってるんで、ネタバレしまくってるんですけど)




