再開 或いはからかい
──何だ?
自分で、自分の思考に驚いた。
霧生の推理に納得できていない自分が居る、ということ自体に、驚愕したのだ。
今まで、霧生が謎を解いた時には、このようなことは無かった。
霧生の説明に納得できず、いくつか質問をするようなことはあったが、最後には常に納得していた。
だから、俺の勘が霧生の推理に疑義を呈することなど、有り得なかったのだ。
しかし、今。
俺は何故か、霧生の推理を妥当なものだと認めていながら、その説明に納得できずにいた。
「……どうしたんだい?手が止まっているけど」
再び黙り込んだ俺のことを心配したのか、霧生が首を傾げ、俺の顔を覗き込む。
それに対応しようとして────。
「いやあ、すまん。お待たせ、もう車を出せるぞ!」
────廊下の奥から響いた父親の声に、思考を邪魔された。
「あ、終わったのかな」
「……ああ、行こうか」
霧生に促されるようにして、キッチンを離れる。
父親の要請で、帰りに霧生を送る際、俺も車に一緒に乗ることになっていたのだ(さすがに車にほぼ初対面の二人しかいないのは気まずいらしい)。
一度、皿洗いは中断だろう。
全然進まなかったが、まあ、霧生を送り届けてからやればいい。
そうして、俺たちは推理の流れを止め、家の鍵を一応閉めて、駐車場へと向かった。
──というかよく考えたら、こんなに些細なことなんだから、推理なんかしなくても、父さんに直に聞けばいいだけか。
そのことに気が付いたのは、我ながら間抜けなことに、車が走り出してからだった。
相変わらず、相手のことを知らなすぎるために、妙に盛り上がる霧生との世間話をし始めた時に、ふと思いついたのである。
──今までは色々と事情があって、「日常の謎」に関わった本人に話を聞けないことが多かったが、今回は別に、身内のことだしな。
霧生と父親の会話に耳を傾けつつ、そんなことを考える。
極端な話、あのキッチンで推理をする必要すらなかったのだ。
事務所にいた父親の元に行って、「父さん、昼にどんな弁当食べた?」と聞けばいいのだから。
もし霧生の推理が合っているのであれば、そこですぐに答えが分かったはずだ。
その場合、霧生の推理に抱いた俺の違和感は何だったんだ、という話になるが、何にせよ真偽は確かめられるのだから。
逆に霧生の推理が間違っていたのなら、それこそもう一度考えればいい。
────そこまで考えて、俺は何でもない話のように、その話題を振った。
「……なあ、父さん。突然だけど、良いか?」
「ん?何だ?」
運転中の父親が、ルームミラーを介してこちらに視線をやる。
「唐突だけど、今日の昼、何を食べた?」
「……相川君?」
俺の隣に座っている霧生が、会話の意図を察したのか、俺の服の裾を弱く掴んだのが分かった。
その言葉には、存外に強く、静止の意味合いが含まれている。
そのことに軽く驚きつつも──そんなに強く止めることか、と思ったのだ──俺は勘の命じるままに問いかけた。
「何か、昼飯に茶碗を使うような物を食べた?ちょっと気になるんだが」
「茶碗……?いや、買い物のついでで買ったカップラーメンで済ましたが。茶碗なんて、少なくとも今日は使ってないぞ」
さらり、と父親は返答して。
それがどうかしたのか、とルームミラーに映る目で問いかける。
一方、俺は「やっぱり」という感情を抱いていた。
何となくだが、そうじゃないか、と思っていたのだ。
──そもそも父さん、昼飯は適当に済ますことが多いからな……弁当を買うこと自体面倒くさがるし。
些細なことなので霧生には言っていなかったが、俺の父親はそもそも大して食事に拘る人間ではない。
夕食のように他の人間も食べるものであれば、それなりにちゃんと作るのだが、自分一人で済ます分にはかなり適当である。
何なら、一食くらいなら抜くこともある。
要するに、俺の父親が昼食に弁当を買って温めている、という光景があったとすれば、それは少々珍しい光景になる。
家族として、そのくらいのことは分かっていた。
──ああそうか、だから俺は違和感を抱いたのか。
かなり遅ればせながら、俺はそこを理解する。
いつものように、時間経過と共に思考が勘に追いついたのだ。
当たり前のことだが、霧生はうちの家の人間では無く、俺の父親のことだって良くは知らない。
だから、ああ推理したのも仕方が無いのだが、俺としては、霧生の推理の中に出てくる父親の姿は、あまり見たことの無いものだった。
その経験則が、霧生の推理に疑問を抱かせたのだろう。
「しかし、突然どうしたんだ?俺の昼飯が、どうかしたか?」
一人で納得して頷いている俺を見て、父親が疑問をぶつけてくる。
それに回答したのは、霧生だった。
まるで会話に入り込むタイミングを計っていたように、すかさず説明を入れる。
「……ついさっき、皿洗いの最中に相川君が、奇妙なものを見つけたんです」
霧生はその場で、すらすらと先程のことを説明した。
俺の父親はふんふんと頷きながら話を聞き、それを終えると、ハンドルを回しながらこう答える。
「批評家みたいな意見になって悪いが……その、弁当を買ってきたが電子レンジに入らなかったから、茶碗を使った、という推理は少し無理があるな」
「そうですか?」
微かに不服そうに、霧生が問い返す。
しかしその視線を意に介せず、父親は目を前に向けたまま頷いた。
「無理というほどではないが……流石に、あの家に十何年も住んでいるんだから、電子レンジの大体のサイズくらい、俺も覚えているよ」
「……あっ」
霧生に対する父親の口調は、息子の友達に話しかけているという状況のせいか、かなり柔らかい。
しかしその柔らかい口調でも、内容の衝撃を緩和するには至らなかったらしく、霧生には珍しい、驚きの声が漏れた。
それを聞きつつ、父親は説明を続ける。
「まあ、要するに、俺が電子レンジに入らないような大きさの弁当を買うこと自体、殆どない。あとで詰めなおすことになるのが分かり切っているからな。オードブルみたいな、よほど大きいものなら話は別だが、流石に昼に一人では食べない」
「確かに、そうですね……」
僅かに悔しそうに、霧生はその顔を歪めた。
なまじ整った容姿をしている分、その歪みは、夜の車内でもよく目立つ。
「……しかし、だとしたらあの米粒は結局何なんだ?」
謎が再びその形で戻ってきたことを感じ、俺はもう一度その疑問を口に出した。
霧生の推理が崩れた以上、また最初から考えなくてはならなくなるのだ。
「父さんが茶碗を使っていない以上、また別の誰かが使った、ということになるが……」
「そうなるな……あ、ちなみに、今の我が家に、ご飯関係の冷凍食品の類は無いから、米粒の元がそこ、という可能性も無いぞ」
一応、という風に父親が注釈を入れる。
なるほど、と霧生が呟いた。
「だとしたら……失礼ですが、今日の昼間、誰かご客人を招いたことはありますか?」
不意に、霧生がそんな質問をした。
「要するに、米粒がどこからともなく現れていることが問題なわけで……誰かご客人があの場所で料理を披露したとか、そう言うことがあれば、矛盾はないのですが」
「あんまり否定するのも申し訳ないが……別にそんなことは無かったな」
苦笑いをしつつ、父親はこの可能性も否定する。
「そもそも今日は、事務所の方でずっと一人でイラストを描いていたからな。誰かを招くなんてことは、一度も無かったよ」
──つまり、いよいよ白米を持ち込むような人はいなかった、か……。
ううん、と俺は唸った。
パッ、と思いつく、如何にもあり得そうな解答が次々と消えていく。
最早俺の頭には、「実は俺の家泥棒が入り込み、米だけ炊いて逃げたのではないのだろうか」などという、馬鹿げた可能性くらいしか浮かばなくなっていた。
密かに横目で霧生を見ると、彼女も真相が見えていないらしく、難しい顔をしていた。
今まで様々な「日常の謎」を相手にしてきた霧生だが、今回はどうにも相性が悪いらしい。
そうやって、俺たち二人が頭を悩ませていると。
不意に、父親はこんなことを言い出した。
食事に無頓着で、しばしば妙なことに拘って、勘が良くて────そしてそれなりに変人でちゃらんぽらんな、俺の父親が。
「……日常探偵研究会、だったか。どうだ?二人とも、この件の真相、分かるかな?」
その口調は、先程までのそれではない。
もっと、何かを面白がっているような口調だった。
それを聞いて、俺は即座に察する。
この人、既に分かっているな、と。
「……父さん、もう真相分かっているな?その上でからかってないか?」
「あ、バレたか?」
そう言ってから、フフフ、と父親は分かりやすく笑みをこぼした。
同時に、まあ、ただの勘だがな、という語尾も詰めた。
「そう怒るなよ。二人の考える姿を見るのが、何となく面白そうだったから、ちょっと教えるのは引き延ばしただけだ。嘘をついたとか、そう言うことじゃない。俺は昼にラーメンを食ったのも、客を招いていないのも、全て事実だ」
「……しかしそれでも、最初から、あの米粒の出所について、見当はついていた、と?」
「ああ。話を聞いた時に、な」
かなり非難の意が籠っている視線で、霧生が運転席を見やる。
流石に悪く思ったのか、父親は赤信号にかこつけて頭を掻いた。
「まあ、いい加減教えるよ。元々、大した話でも無いしな」
そう告げた瞬間、目の前の信号が青になった。
同時に父親はアクセルペダルを踏みつつ、話を切り出す。
その始まりは、奇しくも。
霧生が口癖のように言う最初の一言と、同じものだった。
「さて────────」




