存在しないもの 或いは逆説
「米粒がどうしたんだい?」
俺の振る舞いはよほど奇妙に見えていたのか、霧生が心配そうというよりも、最早不安げな様子で俺に問いかけてくる。
それに慌てて、俺は茶碗を置いて弁明した。
「いや、実は朝聞いた話で────」
そして俺は、べらべらとこの状況のおかしさについて説明した。
丁度普段、「日常の謎」について相談している時と同じ具合に、である。
ああしまった、推理を嫌がる霧生に、この手のことを話していいかどうか、意思確認を忘れた────ということに気が付いたのは、話し終わってからだ。
尤も、普段と違って、話を聞いた霧生はそこまで興味を持ったわけでは無いようだったが。
事実、彼女は最初にしたことは、俺の違和感への反駁だった。
「……それは、そこまで気になることなのかい?家に残りのご飯があったとか、或いはもっと前からの洗い物が残っていた、という訳では無いのかな?」
「ああ、そう言う訳じゃない」
今一つ、俺の抱いた違和感について説明しきれなかったことを察して、俺は補足を入れる。
まあ、この辺の不思議さの根拠には、我が家の食事における地味なルールが関わっているので、伝わらないのも無理はない。
「まず、残りのご飯があった、という可能性は殆ど無い。昨日はたまたま、母親が早めに帰った日で、三人での夕食だったんだが……」
「……その話しぶりからすると、お米が尽きた瞬間を見たのかい?」
「ああ、母親自身が言っていた。何か、記憶違いでもう一袋くらいあると思っていたらしくて、追加を送ってもらっていなかったらしい」
俺の母親の両親、要するに俺の祖父母は、定年後の趣味として農業に関わっている。
そのコネで、白米の類は祖父母宅から、自分のところで作った物を送ってもらえるのだ。
しかし、記憶違いのせいで送ってもらうタイミングを間違ってしまい、次の配送より先に白米が尽きた、という流れだ。
かなりきっちりとした性格の母親にしては珍しいミスであったため、よく覚えている。
実際、今朝になって母親が父親に話している姿を見て、ああ、昨日の件か、と思ったのだ。
そこまで印象に残っていたからこそ、勘が騒いだともいえる。
「そして、昨日からの洗い物が残っている、というのもあり得ない。というのも、ウチは母親も父親も忙しいことがあるから、洗い物は俺がすることになっているんだ」
母親は勿論、父親も先程本人が言っていた通り、夕食後も事務所で一仕事、という場合がある。
要するに、食後の時間に暇なのが、俺だけ、ということがしばしばあるのだ。
このため、洗い物係は基本的に俺がすることになっている。
母親が白米が尽きた云々と言っていたのを聞いたのも、皿洗い中のことだ。
「基本的に、朝食の時から、洗い物は流しで水に浸けておいて、俺は夕食後に一日分の食器を洗う、という流れになる。勿論、昨日もそうだった。……そして昨日の時点で、こんな茶碗は無かった」
「つまり……この茶碗は少なくとも、昨夜君が皿洗いをしてから、今、つまり今日の夕方になるまでの間に使用され、流しに置かれた食器、ということになるね」
ふむ、呟いて、霧生は腕を組む。
その頭が色々な可能性を探りつつあるのを、俺は何となく感じた。
「……今日の、一日の食事のメニュー、覚えているかい?」
霧生がポツン、と質問をした。
本人にとって良いことなのかどうかは分からないが、いよいよ興味を持ったようだ。
彼女の表情が、今までのしおらしいものではなく、部室における推理を嫌がるものでもなくなっていくのが分かった。
それを察して、俺は間違いが無いよう、出来る限り正確に答える。
「……朝食は、全員トーストだったな。そもそも、皿洗いが夕食後にされると分かっているから、朝は皿が汚れるようなメニューにならないことが多い」
それこそ、トーストだとか、買ってきたパンだとか、手掴みで行けるようなメニューになる。
母親にしろ父親にしろ、朝は何かしら忙しい場合もある、という事情もあった。
「昼は……少なくともこの家にいたのは、父親だけだな」
「君は学校だったし、お母さんは会社だからかい?」
「ああ。母親の方は、今日は会社じゃなくて、書店に直に営業に行く、とか言っていたな」
そう説明して、俺は県内にある大型書店の名前を二つ出した。
一軒はそこそこ我が家に近いが、もう一軒はかなり遠い位置にある書店である。
朝聞いた時も、遠いところにまでいくなあ、と思った記憶がある。
閑話休題。
昼食について考えるなら、まず家にいた父親の方を考えるのが普通だろう。
「父親は当然、何か昼飯を食べたんだろうが……」
「メニューの方は、お茶碗を使わなくていい何かだった、か」
「ああ。母親に代わりに使うように言われていた、パックのご飯は未開封だからな。……これも、母親が備蓄棚から持ち出すのを、昨夜見たんだ」
俺は置かれてあるパックのご飯を指さす。
五パックまとめて包装されてあるタイプで、一つでも取り出そうと思えば、当然外側の包装を破る必要がある。
これが未開封のまま、ということは当然、今日はこのご飯が使われることは無かった、と考えて良いだろう。
「そして夕食は、今食べたようにカレー鍋でご飯は使わなかった、か……」
「締めはうどんだったからな。もしご飯を選んでいたら、パックの方を使ったんだろうけど」
そこまで確認してから、ううん、と霧生が唸った。
「確かに、奇妙に思えてきたね。普通に考えれば、今日、ご飯をこの家で食べた人間は居ない、ということになる」
「だろう?それで、変に思ったんだ」
そう言いつつ、もう一度俺は茶碗とそれについた米粒を示した。
何度見ても、間違いない。
存在しないはずの白米である。
──ここで示される「あり得ない存在」が米粒、というのも、何か地味な絵面だな……。まあ、如何にも「日常の謎」だが。
ぼんやりと、そんなことを思った。
「普通に考えれば、君のお父さんが昼食の時に、何らかの形でそれを使った、ということになるのだけど……」
ううん、ともう一度霧生が唸る。
「だけど、それならパックのご飯が減るだろ、普通」
「勿論、そうだ。だがそうなると、食事以外の形で白米と茶碗が使われた、ということになってしまう」
言いながらあり得ない、と思ったのか、首を振りながら霧生はその可能性を挙げた。
──食事以外の形、ねえ。
ふと、俺の頭の中には、昔話の「舌切り雀」の光景が思い浮かんだ。
確か、物語に出てくるおばあさんが、茶碗の中の米を潰して、糊にするシーンがあったはずだ。
それを食べたことで、雀は舌を切られるのである。
食事以外の用途で白米と茶碗が使われるというのは、要するにそんな感じの場面のことだ。
しかし。
──まさか現代でそんなことはないよなあ……。
昔ならともかく、この現代において、白米を潰して糊を作るような人はそうそういないだろう。
第一、この例えは茶碗の使用用途を説明しても、白米の出所を説明できない。
米は尽きているのに、パックのそれも使わずにどこから米を持ってきたのか、という話になる。
「……ちなみに、他にパックのご飯がバラの形で残っていた、ということは無いのかい?」
突然、霧生がもう一つ、無難な可能性について聞いてきた。
しかし、俺は即座に否定する。
「断言はできないが、まず無いと思うぞ。さっきも言ったが、この五パックまとめられたやつを持ち出す様を見たし……他のパックは見ていない。そもそも、母親がこっちを使えって言っているのに、それに逆らうのも変だろう?」
「そうなるね……」
俺が別解を潰すと、もう一段深く、霧生は顔を伏せた。
どうやら、かなり真剣に考えてくれているらしい。
──しかし、実際に難しいな。どこから来たんだ、この米粒……。
それから俺たちは、皿洗いも忘れて、色んな可能性を出し合った。
どうにも父親が戻ってくるのが遅かったので──後で聞いたが、パソコンの電源を落とそうとしたらプログラムの更新に引っかかり、時間をくったらしい──誰も止めることなく、長く考えたのだ。
例えば、実はこの米粒は白米ではなく、食器の破片か何かである、という可能性。
或いは、流しのどこかにこの茶碗が上手く隠れて、随分前から洗われていなかったのでは、という可能性。
もう少し現実的に、流しのどこかに米粒が以前から付着しており、水に浸けているうちにこの茶碗に自然とくっついたのでは、という可能性。
証拠も何も無いが、可能性だけなら、いくらでも考えつく。
そうやって、様々な可能性を列挙し─────全て、否定された。
「日常の謎」の良いところの一つに、元がしょぼい話なので、真実かどうか確かめるのが簡単、という点がある。
この時も、俺たちは可能性を挙げてすぐ、それが正解かどうか確かめたのだ。
だからこそ、これらの可能性の無理さ加減は、即座に分かった。
確認した限り、食器は欠けてなどいなかったし、茶碗が隠れるスペースなどは無かった。
そして米粒の方も、決して一つではなく、複数個くっついており、自然とくっついたというよりも、食べ残しと考えた方が自然だったのだ。
そして、最後の最後に。
霧生は、こんな可能性を挙げた。
「……電子レンジで温めるため、というのはどうだろう」
「電子レンジ?」
背後に置いてある電子レンジを見つつ、俺は問い返す。
その俺を前にして、霧生はすらすらと説明をした。
「まず、君のお父さんが昼食のため、どこかに買い物をしに行ったとしよう。そして、何らかのお弁当を買った、と仮定するんだ。勿論、ご飯が入った物をね」
「仮定も何も、多分そんな感じだったと思うぞ。実際、カレー鍋の材料は買っているんだし」
「だろうね。そしてここからが妄想なんだけど、もし、そのお弁当が電子レンジに入らない形だったなら?」
そう問いかけられ、俺の頭にも閃くものがあった。
脳裏には、サイズが大きかったり、幅が広かったりして、電子レンジに入らない弁当のイメージが浮かぶ。
「そうか、そのままでは、買ってきた弁当が温められないから……」
「近くにある茶碗やお皿にお弁当の内容を移し替えて、それから温めるしかない。こういうやり方は誰でもすることだろう?このお茶碗のサイズなら、電子レンジに入らない、ということはまず無いだろうしね。そして、使い終わった茶碗を、お父さんはここに置いた」
それ故に、家にお米が無いにも関わらず、茶碗に米粒が付いているんじゃないか────。
そう告げる霧生に対して、俺はおおー、と小さく歓声を上げた。
この仮説は、今までの話の中で、最もあり得そうな可能性だった。
少なくとも、他の例よりは妥当だろう。
こうして、この小さな謎は解かれた────。
──本当に?
不意打ちのようにして。
俺の勘が、そう囁いた。




