知りすぎるということ 或いは知らなすぎるということ(Case 8 終)
「ただまあ、誤解しないんで欲しいんだが、それをきっかけに親と上手くいかなくなったとか、周囲の大人を信じなくなったとか、そう言う話じゃない。あくまで、大人相手でも、勘で色々と推し量るようになった、というだけだ」
弁明のように、俺は言葉を挟んでおく。
ここで誤解されてしまうのは、流石に嫌だった。
「そう言ったことを通して……何というか、俺は今の俺になった。勘で色んなことを判断しつつ、周囲とは、多少距離を取る感じで」
そう言いながら、俺は霧生から視線を外し、前を見据えた。
何となく、彼女の顔を見るのが、気恥ずかしくなったのだ。
古今東西、自分語り程恥ずかしいこともない。
しかし、すぐに霧生が質問をしてきたために、その視線は戻された。
「一つ疑問があるんだけど、良いかな?」
「え?……何だ?」
疑問、というのが分からず、俺は本気で当惑する。
「どこか、分からない点があったか?」
「いや、分からない点、という訳じゃない。寧ろ、理解自体は十分にしたと思うよ」
その二言目の語調は、かつてなく重かった。
ただ相手に合わせるようにして、分かった分かった、と言っているのではない。
本気で、霧生は俺の経験や考えを理解したのだ、という重みがあった。
「だからこそ、気になるんだ……確か以前、君は僕に対して、どんなことであっても違和感を抱えたまま終わるのは嫌だ、という節のことを言っていたね?」
「……ああ、そうだな」
一瞬、何時のことを言っているのか分からず、返答を遅らせたが、幸いにもすぐに思い出すことが出来た。
確か、まだ四月の、霧生と出会って間もない頃。
密室に関する件で話し合っていた時のことだ。
──やっぱり、どんなことであっても、違和感を抱えたまま終わるのは、気持ち悪いと思う。
この「日常の謎」が気になるのか、と問いかける霧生に対して、返した言葉だ。
「……今の君の話を聞くと、この時の君の発言と、考えが繋がっていないように思える」
淡々と、表情の読めない顔で霧生は告げた。
「これまでの話だと、君は自分自身の勘の良さに辟易していて、周囲の人間とも、嫌な面を見ないためにあまり関わらないようにした、ということだったね?……だとしたら、今まで、『日常の謎』を見つけたり、その解決に取り組んだのは、何故だい?これこそ、周囲への干渉のように思えるけど」
「……ああ、なるほど」
「もっと言えば、この理由だと、寧ろ君の勘は鈍くなるような気がする……君自身が、勘が良すぎるのも考え物だ、と気づいたのだから。最初に君が言っていた、勘が鋭くなった理由、になっていないんじゃないかい?」
「確かに」
霧生の言いたいことがわかる、俺は深く頷いた。
確かに、ここは説明不足だった。
というか、今まで俺がいくつもの「日常の謎」を霧生の元へと持ち込んでいる以上、疑問を持たれるのは必然だっただろう。
周囲と距離を取ると言っている割に、周囲の謎に興味を持っているじゃないか、と。
勘が良いから苦労した、と言っているのに、今も勘が良いじゃないか、と。
……この矛盾した態度について説明するのは、今までの話以上に気恥ずかしかった。
何というか、この点こそ、俺が抱える最も中途半端な側面だからだ。
だがここまで来たら、説明しない、というのも変である。
結局、俺は間を作らずに解答を述べた。
「まあ、そこは実は、俺の中では矛盾していない。何というか……基本的にあまり周囲とは関わらないし、滅茶苦茶たくさん友達を作るような真似もしない、というのは当時から今も変わっていない。ただ……」
もう一度、はあ、と大きく息を吐いた。
「……そんな生活の中でも、勘で気になったことに関しては、出来る限り深く調べるようにしている、ということだ」
「……それはまた、酷く両極端な姿勢だね」
やや呆れた口調で、霧生が突っ込みを入れる。
正論だったため、俺は何も言えなかった。
自分でも、極端な姿勢の変化だと思う。
「……さっきも言ったが、俺が気になったことって言うのが、真相を知らないと俺が損をするようなことが多いっていうのも事実だからな。いくら知りたくないことが含まれていても、それでも知らないと、もっと面倒くさいことになる」
「故に、普段は周囲に目を向けず、不要なことは考えない。しかし、そんな状況でも勘が働いたことは、躊躇せず考える、ということかい?」
「ああ、そうだ。勘のせいで、あまりにも周囲について知りすぎて苦労したが……だからと言って、あまりにも周囲について知らないっていうのも、それはそれで苦労するからな」
──この辺り、人間関係の一番ややこしい点な気もするな……。
ぼんやりと、そんなことを思う。
少なくとも俺のような人間の場合、周囲について深く知れば知るほど、人間関係が上手くいかなくなる。
だからこそ、いっそ知らないでいたい、という思いも生まれる。
だが、だからと言って、あまりにも知らないままだと、当然、学校生活をやっていけなくなる。
教師からの連絡、宿題の交換、部活動。
学校生活というのは、互いのことを知っているからこそのコミュニケーションに、溢れているのだから。
要するに、周囲のことを知りすぎても、知らなすぎても、生きていくうえで困る、ということだ。
当たり前と言えば、当たり前の話だが。
平たく言えば、過ぎたるは猶及ばざるが如し、とか言う奴なのだろう。
そこらの事情を鑑みて、今の俺のスタイルがある。
基本的に周囲に興味を持たず、しかし一度興味を持ったことには、深く知っておく。
例え、自己満足でも、これが一番わかりやすい、と思って。
どちらにも決め切れていない、中途半端な姿勢であることは自覚しているが。
「……まあただ、そんなスタイルでやっていったからこそ、当の勘がもっと鋭くなったっていうのは、皮肉と言えば皮肉だけどな」
「その、『一度気になったことは深く調べる』をしていく中で、研ぎ澄まされたのかい?」
「ああ……今でこそ、お前に相談することが多いが、少し前までは自分で考えていたんだしな。何度も勘で真相を追い求めれば、研ぎ澄まされもするよ」
そう言いながら、俺は、今の俺のスタンスを思い返した。
────もう、昔とは状況が違うのは分かっている。
昔のように、「全ての人間に裏と表があり、小さな悪事ならやっている人も多い」という事実に接するだけでショックを受ける程、子どもではない。
そう言ったことも全て、飲み込んだつもりだ。
多分、今、勘で誰かの嫌な面を知ったところで、大したショックは受けないだろう。
へー、と流すだけだ。
実際、その程度には割り切れているからこそ、霧生や早見とは──彼女たちが悪意ある行動などしていないというのもあるが──普通に関わることが出来ているのだ。
だが────このスタイルだけは、少し成長したところで、変わらない。
最早、良い悪いではなく、必然的な結末として。
これ以外の、自分の勘の良さと上手く付き合っていく方法を、俺は知らないのだから。
「多分、俺の勘が良い限り……俺はこれからも、こういう生き方でやっていくんだろうなって、そう思う。別に、この生き方で困っているわけじゃないし、ある程度上手くやれていると思うが……歪んでないか、と言われたら、ちょっと、返事に困るな」
最後に、そう言って、俺は口をつぐんだ。
そこからの沈黙は、いつかの、早見とコンビニのイートインスペースで過ごした時の雰囲気に近かった。
互いに言葉は発しないが、そこまで居心地が悪くない空間。
寧ろ、部室で黙っていた時より、居心地は良かったかもしれない。
俺も、霧生も、何も言わず。
ただ、自転車を押しながら歩いていった。
ああ、ただ。
一言だけ、霧生が発した言葉があった。
帰路の途中で、どこかの信号で待っている時に、突然、俺の耳元で囁いたのだ。
「知りすぎても苦労するし、知らなすぎても苦労する、か」
そこから、ポツリと一言。
「中々、難しいね、上手くやるっていうのは」
──本当に、そうだと思うよ、霧生。
声も無く、俺は同意した。
そこからも、しばらく沈黙のまま歩いて。
俺がふと周囲を見たのは、だいぶ経ってからだった。
いつの間にか、歩きとはいえ随分な距離を進んでいることに、気が付いたのだ。
見渡してみれば、話の発端となった橋の傍──かつて朝顔が置かれていた場所──にまで来ていた。
要するに、俺の家まで、後少し、というところまで来ていたのだ。
──夏とはいえ、流石に暗くなってきたな……。
橋の上を歩きながら、ふと、上を見据える。
そこに映る空は、ちょっと目を放した隙に、夕暮れをすっ飛ばして暗くなろうとしていた。
いい加減、日暮れなのだ。
──そして、かなり遅ればせながら、俺は気づくべきことに気が付いた。
それこそ、勘で。
「……あれ?霧生、お前……」
「どうしたんだい?」
小首を傾げて、霧生がこちらを見やる。
首の動きに合わせて、眼鏡が僅かにずれた。
「いや、いつの間にか、俺の家の近くに来ているんだが……」
「そうだね」
「そうだねって……お前、帰りはどうするんだ?お前の家の位置は知らないが、ここからはそれなりに遠いだろう?」
そうだ、もっと早く気が付くべきだった。
霧生の来訪に気を取られ、自慢の勘が鈍っていたのか。
何となく流れで霧生と一緒に帰ってきてしまったが、ここは俺の家であり、霧生の家などではない。
霧生が普段徒歩通学であることを考えると、彼女の家はもっと学校に近い方にあるはずだ。
つまり、今から俺がほぼ目の前にある家に帰宅すれば、当然霧生はそこから、歩いてきた道を逆走するようにして、自分の家に戻らなくてはならなくなる。
いい加減暗くなってきたし、女子高生一人が夜道を歩いて帰るのは、少し危ないだろう。
万一のことがあってはならない。
「もう、それなりに暗くなってきたし……本当に、どうするんだ?誰か、迎えに来れる人とか、居るのか?」
「……いや、そう言った人は居ないね。間違いなく」
じゃあどうするんだ、と言いかけた俺の口を塞ぐように、霧生は突然、指を立てた。
それこそ、推理中によくするのと、同様の動作で。
「だからこそ、僕から相川君に、一つ提案があるのだけど」
「……何だ?」
微かに嫌な予感を感じ取りつつ、俺は問い返す。
その表情が、見えていなかったわけでは無いだろう。
だが、一切躊躇わずに、霧生はこんなことを言った。
「いい加減遅いし、ここまで来てしまったのだから……一晩、相川君の家に泊めてはくれないだろうか」




