疑心 或いは友達の条件
「その不具合と言う物、聞いても良いかな?」
おずおずと、しかし確かに。
霧生が問いかけてくる。
それを、俺はしっかりと答えた。
「簡単だ。さっき言ったように、人間って言うのは皆嘘をつく可能性があるし、ほんのちょっとした悪事は割とやっている人が多い……そういったことがさ、俺の場合、勘のせいで、全て『何となく』分かってしまうってことだ」
はあ、と大きなため息をつく。
言葉にしてしまえば、たったこれだけのことだというのに。
この事実に、どれくらい振り回されたことだろう。
「……一度、勘で周囲の人間を推し量ってみれば、小学校内でも、そんな例はいくらでもあった」
例えば、自分から喧嘩を吹っかけておきながら、それを他人のせいにしている子が居た。
例えば、明らかに自分が悪いのに、教師たちに嘘をついて叱られないようにしている子がいた。
例えば、表向きは友達を褒めておきながら、裏で悪口を言いまくっている子がいた。
一つ一つ、当時の俺が直面した例を、思い出してみる。
今思い返してみると、どれも、大したことがないものばかりだ。
まあ世の中、そう言う人もいるよな、という程度の。
だが、俺はこういった人たちの振る舞いに、勘のせいで一気に気が付いてしまった。
多くの人が、少しずつ色んなことを経験していく中で学んでいく真実を、一足飛びで。
多分俺は、学習の仕方を、誤ったのだと思う。
「……なまじ勘が良い結果、身の回りに起きているちょっとした悪事や、悪意に目を向けた瞬間、至る所でそう言ったことが日常的に起きていることに気が付いてしまい、ショックを受けた、ということかい?」
霧生が話を的確にまとめ、こちらをのぞき込む。
相変わらず、理解が早い。
「まあ、そう言うことになる。……不思議なことなんだけどな、つい先日まで何も考えずにたくさんの友達と遊んでいたのに、この視点を手に入れた瞬間、周りの全ての些細なズルや悪戯が、びっくりするほどたくさん見えてきた。俺の周囲って、とんでもない悪ガキしかいなかったんじゃないか、と錯覚するほどに」
「錯覚、ね」
「ああ、錯覚だ」
大事なことなので、俺は断言しておく。
俺だって、当時からわかっていたのだ。
この、周囲が皆悪人のように見える、というのは、錯覚に過ぎない、と。
当時の状況をまとめると、周囲が悪人というより、俺の視点の方が疑心暗鬼になっている、という方が正しい。
月宮の一件を境に、相手の悪いところや、何かをサボっているところ、或いは嘘をついているところばかりに注目して勘を働かせているため、そう言った悪い部分ばかり目に入っていたのだ。
別に、本当に俺の周囲の人間がクズばかりだった、という訳ではない。
ただ、俺の視界が歪んだのだ。
極端に被害妄想が強くなった上に、考えがネガティブになったせいで、周囲が腐って見えた、と言えばわかりやすいだろうか。
「……だけど、ややこしいのが、この俺の歪んだ視点を、『被害妄想』の一言で斬り捨てるわけにはいかなかった、ということなんだ」
「ああ、確かにそうなるね……被害妄想と違って、君の場合、本当に相手は、勘で気づいた通りのことをやっているのだから」
流石の理解力で、霧生はそのことを把握する。
それが何となく嬉しくて、俺は大きく頷いた。
この辺り、説明がしにくい上に、理解されにくい点なのだ。
そう────決して、被害妄想などではない。
「ああ、この人は嘘をついているな」、「ああ、この人は頼んだことをやってくれないな」、と。
俺がそう勘づいた時は、かなりの確率で、本当に相手はそう言うことをしているのだから。
ネガティブなものの見方をしてしまっているのは事実だが、同時に相手も、そう見られた時に目につくような何かがあった、ということだ。
そして、こういった考えの元周囲の人間を見ていくと────次第に、俺の行動原理が、変わり始めた。
「……段々、俺はたくさんいたはずの友達とは遊ばなくなっていった。誰かに遊ぼう、と声をかけることも、少なくなった。寧ろ、休み時間の殆どを図書室に籠るような、そんな子どもになっていった」
「それは、勘で周囲の人間の悪意が見えるから、距離を置いた、ということかい?」
「ちょっと違うな……何というか……疲れたんだ」
疲れた、と。
そう言ってから、俺はその言葉が、あまりにも的確に当時の俺の心境を表現していることに気が付く。
自分で自分の表現力に、少し驚いた。
そう、俺は本当に、疲れたのだ。
勘で、周囲の人間のやったことを自動的に推察し続けることに。
「何というかさ、人間と人間がある程度上手くやっていけて、仲良くなれるのは、程々に互いのことを知らないから、という側面があると思う。相手のことをそこまでわかっていないからこそ、人間同士は仲良くなれる、というか」
少し突飛な、しかし関係のある話を、俺は口に出す。
ここを理解してくれると、俺が「疲れた」理由も分かると思ったのだ。
「よく、相手のことを完璧に理解した、とか言い出す人がいるし、そのことをまるでいいことのように言われる場合もある。だけど、もし、本当に相手の全てを理解したなら、多分……その相手とは仲良くやれないんじゃないかって思う」
「相手の中の、自分にとって受け入れがたい部分や、嫌な部分まで理解してしまうわけだからね。……相手に程々に関心があり、同時に適度に無関心であるからこそ、人間関係は上手く回る、ということなんだろう」
わかるよ、と言って霧生は相槌を打った。
その様子が嘘でないことを、俺は「勘で」理解する。
「そう言う意味では、当時の俺が、たくさんいたはずの友達と上手くやれなくなっていくのは、必然だった気もする。こう……相手のことを良く分かっていないからこそ、相手を疑わず、一緒に遊べたんだからな」
────考えすぎだ、と言われればそれまでだ。
だが、そのくらい、当時の俺は勘で手に入れてしまう情報に溺れていたのだ。
例えば、今日一緒に遊ぶ約束をした子は、本当に時間通りに来てくれるか、と考えたとしよう。
勘は答える。
────いいや、恐らくは、遅刻する。何ならすっぽかされる。
それでも、実行したとする。
────勘の言う通り、三時間以上も待ちぼうけを喰らった。
次に、明日会う子は、ちゃんと約束の玩具を持ってきてくれるか、と考えよう。
勘は答える。
────持っては来てくれる。だがそれは、多分別の子どもの家から勝手に持っていったもの。
一応、その子の周囲に話を聞いてみる。
────その子の遊びに行った家では、よくゲームソフトが無くなっていたことがわかった。
勿論、全員が全員些細な悪事をしているわけでも無いのだから、中には普通に、楽しく遊んだ例もあるだろう。
だがその中に、こういった、気がつかなければ損をする事例があったのは事実だ。
そして概ね、嫌な記憶というのは、楽しんだ記憶よりも影響力が大きい。
こんな例を何度も経験してみれば、いい加減、考えること自体が嫌になる。
或いは、考えること自体に疲れてくる。
他の人がいちいち考えずに流している点を、全て察してしまうのだから。
……やがて、その勘を呼び起こす、周囲の友達自体に会う気が失せてきた。
俺が友達と遊ばず、図書室で本ばかり読むようになったのは、ある種の防衛反応だったのかもしれない。
「まあそう言う訳で、俺はかなりインドアな人間に変わっていったわけだが……これに、止めを刺すようなことがあった。いや、何かがあったというよりは、後から気が付いた、という方が正しいか」
「君の、父親のことだね」
──そう、その通り。
ここを解き明かした霧生に心の中で拍手を送りながら、俺は再確認する。
そうだ、あの件は、きっかけというにはほど遠い。
だが、ダメ押しではあった。
「ちょうどこの頃、霧生の言った真相に、ふと気が付いたんだ。もしかしてあの一件で、父さんは真相が分かっていたんじゃないか、だけど、俺に配慮して、真相を告げなかったんじゃないかってな」
「それが、嫌だったのかい?」
「嫌というか……」
これまた説明が難しく、俺はううん、と唸る。
嫌だった、という訳でもないのだ。
不要なおせっかいに近かったとは言え、それが善意によるものであることは、当時から理解していた。
だが────。
「何というか、こう、その件を境にして……実の親であろうと子どもに嘘をつくこともあるし、言っていることが正しいとは限らないなって、気がついちゃったんだよ。それが、俺の疑心暗鬼だとか、勘働きを加速させた」
「……今までは、自分の友達のことを、つまりあくまで子どものことだけを疑っていたのが、大人にまで拡大したんだね」
そう言うこと、と言って。
俺は、笑みを一つ返した。
諦めたような笑みに、なっていなければいいのだが。




