使用感 或いは副読
「だけど……話を元に戻すようでも申し訳ないのだけれど、二人の利き腕が違う、という確証はあるの?確かに、違ってさえいれば、右利きの方が思い出の少女だ、と言えるでしょうけれど……」
「ああ、あるさ。その証拠こそ、例の万年筆の話だ。あれが無ければ、僕も解けなかったさ」
早見の疑問に対して。霧生は余裕綽々で答える。
その様子を見ながら、俺はもう一つ問いかけた。
「茉奈先輩の方が万年筆を何故か使わなかった、というあの話で……利き腕の差が分かる、ということか?」
「そう言うことだ。……ちなみに、一応確認しておきたいんだけど、早見さんと相川君は、右利きだよね」
「ええ、そうよ。霧生さんもそうでしょう?」
「今も右手でフォークを持っているしな」
ハンバーグに添えられていたポテトをつまみつつ、俺たちは返答する。
すると霧生は、こんなことを言い出した。
「……ここに左利きの人が居たら、説明が楽だったんだけどね。まあ、言うよりも体験した方が良いか」
「体験?」
「ああ、ええと、ちょっと待ってね」
そう言って、霧生は一度立ち上がり、俺の隣に置いてある荷物の中をガサゴソと漁りだす。
そしてすぐに、筆箱と一冊のノートを取り出した。
さらに霧生は、その筆箱の中から、一本の万年筆を取り出したため、俺は結構驚いた。
──高校生の持ち物か?万年筆って……。
無論、俺の驚きなど意に介することなく、霧生は話を続けた。
「上手い具合に、万年筆ならここにある。相川君、ちょっと書いてみてくれないか?」
「書くって……何をだ?」
「何でもいいよ。名前でも寿限無でも。ただ、最初は普通に右手で書いて、次は万年筆を左手で持って書いてほしいんだ」
──左手で……?
不思議に思いつつも、俺はノートと万年筆を受け取る。
そして、言われるがままに適当なページに文字を書いてみた。
「じゃあ、普通に右手……」
特に理由もなく、相川葉、相川葉、と何度も名前を書いてみる。
結構高い万年筆なのか、さらさらと気持ちよく名前を書くことが出来た。
紙を濃く彩るインクが映えている。
その手先を、霧生と早見がじっと見つめていた。
「じゃあ、次は左手……」
──と言っても、右利きの俺がわざわざ左手で書くんだから、相当下手な文字になるな……。
そう思いながら、適当にえいやっと、万年筆の先をノートに接触させると────。
ガツン、と手首に衝撃が走った。
「あれっ?」
「どうしたの?」
一画目から躓くとは思わなかったのか、早見が驚いて声をかける。
その声に、俺は起きたことをそのまま答えた。
「……これ、書けない」
「書けない?」
「ああ、何というか、ペン先が絶対に引っ掛かる」
手元を見られながら、何度か挑戦してみるが、結果は変わらない。
同じように相川葉、と書いてみようと思ったのだが、「相」の一画目となる横棒を書こうとすると、少しでも力を籠めた瞬間に、紙に万年筆が食い込むのだ。
右利きの俺としては、今まで一回も経験したことが無い──それ故に勘でも分からない──ことだった。
左手でこの手のペンを持つと、書けない。
いや、力を抜けばできなくはないのだが、非常に書きにくい。
──万年筆がページに対して垂直になるから、書けないのか?
悪戦苦闘しながら、俺はその原因を考察する。
俺が右手で万年筆を使う時に困らないのは、基本的に文字と言うものが、左から右に書くものだからだ。
右利きの人間がペンを持つと、自然にペンは持ち手から見て右に傾き、どう力を籠めようが、ペン先が紙に突き刺さるようなことはない。
だからこそ、さらさらと文字が書けるのだ。
しかし、左手でペンを持つと、当然ペンは持ち手から見て左側に傾く。
この状態で横書きに、左から右に文字を書いていくと、少しでも力を籠めればペンが垂直になってしまい、紙に突き刺さる危険性が増す。
気を付ければそうはならないが、それでも紙を引っ掻くようになってしまい、かなり負荷がかかっているのが分かった。
「知らなかった……これ、左利きの人にはかなり使いにくいものなんだな」
「まあ、どうしたって右利きの人が多いからね。昔は左利きでも、右利きに矯正した人もいたらしいし、左利きの人用にはできていないんだ。左利きの人が万年筆を使おうと思うと、かなりの工夫が求められるよ」
どこで知ったのかは知らないが、霧生が良く理解した様子で解説を挟む。
「具体的には、万年筆の傾く方向を変えたり、上手い具合に力を抜くコツを見つけたり、だね。ただ、それでも使いにくいことに変わりはないから、文房具としては敬遠されることも多いらしい」
「そんなに、なの?」
「ああ、それと、理由はもう一つ……相川君、一度書くのを止めて、君の左手を開いてみなよ」
「ん?」
霧生と早見の声につられ、俺は掌を一度開く。
するとすぐに、手のある一点に視線が吸い寄せられた。
「何だか、小指が……」
「インクで汚れているわね」
早見の言う通りだった。
掌の小指側の側面、要するに紙に接していた部分が、インクで黒く汚れている。
何故、と一瞬思ったが、良く考えればこれもまた、当然のことだった。
さっきも考えたが、横書きで文字を書くと、左から右に書いていくことになる。
右利きの場合は、書いた文字の右側、つまりまだ文字を書いていないところに手が置かれるため、問題は無い。
だが左利きの場合は、書いた文字の左側に────今まで文字を書いてきたところに手が置かれるのだ。
当然、インクが乾いていなければ、手が汚れることになる。
鉛筆やシャープペンシルのような物であれば、文字も薄いためまだ問題がないかもしれないが、万年筆のようにインクが濃いものだと、結構汚れが付く。
と言うか、よくよく書いてみた文字を見てみたら、いつの間にか文字が指で擦れて、紙に滲んでいた。
これでは読みにくいことこの上ない。
「……これが、茉奈先輩が万年筆を使わなかった理由、か?」
「だろうね。万年筆を敢えて使わず、そしてもう一人の方が代わりに書こう、と言っているのは、これで説明がつく。つまり……」
淡々と、霧生は話をまとめにかかった。
「君が見た光景と言うのは、茉奈先輩が何故か万年筆を使わずに他の筆記具を探し、そして里奈先輩が万年筆を勧めながらも、結局止めた、という内容に集約される」
「茉奈先輩が左利きだとすれば、これは全て説明がつく。さっきも言ったが、左利きの人にとって、万年筆は使いにくいからね。左利きの人用に、インクを薄くしたようなものもあるらしいが、そんなに気の利いたものが部室に置いてあるとも思えない」
「だから、茉奈先輩は別の筆記具を探した。しかし、里奈先輩は、彼女に万年筆を使うことを勧めた」
「ここから、里奈先輩は右利きである、と分かる。恐らく、彼女は普通にその万年筆も使っているのだろう。と言うか、彼女が使っているからこそ、その場所に万年筆が置かれていたんだ」
「だからこそ、つい彼女は姉に万年筆の使用を勧めた。相川君がそうだったように、右利きの人には、左利きの人の感じる使いにくさは想像しにくいからね。しかし、流石は姉妹だ。すぐに彼女は、姉が万年筆の使用を好んでいないことを思い出して、取りやめた」
「まあ大体、こういう流れだったんだと思うよ」
ふう、と説明を終え、霧生は息を吐く。
一方、俺と早見は、その話からすぐに「アイちゃん」の話に移った。
霧生の言うように、これは片方の謎が解ければ、もう片方も自動的に解けるものだったのだから。
「恐らく、茉奈先輩は左利きで、里奈先輩は右利き……ということは」
「必然的に、右利きだったという『アイちゃん』は、里奈先輩の方、ということになるわね。まさかかつて右利きだった人が、後から左利きになるとも思えないし……」
いつものように、すんなりと。
霧生は、まるで解き方が分かっているかのように、「日常の謎」を解いて見せた。




