告解 或いはキャラクター
彼女が最初にそれを書いたのは、小学生の時だったという。
「私、当時から変に顔が良かったから」
一転してさばさばとした雰囲気で、早見は昔話をする。
人によっては嫌みにも取られかねない発言だったが、不思議とそうには聞こえなかった。
それはまず、早見が可愛いというのが事実であるから。
そしてもう一つは、早見がそれを一切良いものとして語っていなかったからだろう。
「女子って怖くてね、小学生の時から、グループとかはあったのよ。それでものの見事に巻き込まれたのが、当時の私」
「……当時から、その手のグループの中心だったのか?」
「まあ、そう言うのは自然発生だからね。……割と本気で、私を巡って周囲の女の子が喧嘩する、なんて話もあったくらい」
何となく、俺はその光景を想像できた。
小学生同士が言い争いをする光景だ。
「唯ちゃんが一緒にかくれんぼしてくれない!」
「違うの、唯ちゃんは今日は私たちと遊ぶの!」
言い分としては、そんなところだろうか。
別段、珍しい話ではないと思う。
俺自身、小学生の時からそれに近いものは見た記憶がある。
要するに、人気者はつらいよ、という話だ。
尤も、人気者を傍から見ているだけだった俺と、その人気者本人である早見とでは、また印象は違うのだろう。
事実、早見はそれを思い返すだけで、嫌そうな顔になっていた。
「……その様子だと、嫌だったんだな。その、グループが」
「ええ。本当に、大っ嫌いだった」
吐き捨てるように、早見が言葉を漏らす。
その強い語調に驚き、俺は僅かに体を揺らしたが、早見はそれに構わず言葉を続けた。
「つまらないことに拘って、馬鹿なんじゃないかって、ずっと思ってた。私が遊び場所を変えるだけで、ひよこみたいにぞろぞろと全員ついてきて、髪型を変えるだけで、友達がそれを真似して……本当に、嫌だった」
──確かに、それは面倒くさそうだな。
純粋に、俺はそう思う。
およそ俺は、人から注目を浴びるようなことになったことが無いが、想像するだけでもそのわずらわしさは察することが出来た。
一挙手一投足が、皆に注目される。
クラス替え一つで、友達が一喜一憂する。
これは決して、早見の自意識過剰などではない。
本気で、周囲の人間はそのような対応をしていたのだろう。
彼女が、可愛かったから。
「……こういうこと、あまり言ったらいけないのだろうけど……」
そう呟きながら、早見はちらり、とこちらを見る。
そして、いくらかの躊躇いを含みながら、結論とでもいうべき言葉を口にした。
「もっと不細工に生まれていたら、或いはもっと人気が無かったら、凄く生きやすかっただろうなって、何度も考えた」
まあ、そんなこと言っても、しょうがないんだけどね。
そう、明るく告げる。
これはもう、彼女としては、乗り越えたこと────ないし、諦めたことなのだろうか。
「だけどもう、人が寄ってくるのは仕方ない。変に避けるのも面倒くさくなる……だから、上手くやろうって」
──それで、いちいち関係図を書いてまで、人間関係を気にするようになった。
口には出さないが、俺は一人得心する。
元々の彼女の性格もあるのだろうが──周囲のことが一切気にかからない程彼女が鈍感だったなら、そもそも悩みはしなかっただろう──、最初に書かれた相関図は、必要に応じて作られていたのだ。
早見としては、必須品だったのだろう。
「まあそれで、自由帳に関係図を書いて、キャラも作って、周囲を固めて……クラス内の関係とかは、ある程度上手くやるようになったのだけれど」
「他の問題が、出てきたのか?」
文脈なら内容を読むと、早見が頷いた。
「まあ、問題というか、ちょっとした、歪みみたいな物、だけどね」
「……歪み?」
「そう。何というか……私が、人間関係を重視しすぎること。いや、違う…………ええと」
上手く言葉にならないのか、そこで早見の言葉は止まった。
急かすようなことでもないので、俺はそのまましばらく待つ。
すると、ようやくまとめられたのか、彼女の唇が震えた。
「こう……私の行動原理自体が、変になってしまった。普通の人とは、違う価値観で動くようになっちゃった……そう、それが問題だった」
「価値観?」
もう一度、早見が押し黙る。
そして、よほど言葉に困ったのか、かなり遠いところからそれに言及した。
「ねえ、私がバスケ部に仮入部で入っていたってこと、確か……」
「ああ、知っていたが……」
それこそ、一か月前、俺たちがこのコンビニで出会った遠因である。
実際、早見が日常探偵研究会に入った時、俺はかなり驚いたのだ。
バスケ部はどうしたのだろう、と。
これがどういう話に繋がるのかは分からないが────早見の中では、関係のある話なのだろう。
そう思って、俺は聞き役に徹する。
「それでね、私、ほんの少し前までバスケ部に入るつもりだったんだけど……やめちゃった。中学の頃から、ずっと好きなスポーツだったのに」
相変わらず、「素」のまま、砕けた口調で軽く告げる。
そして、ふと、彼女は問いを投げかけた。
「ねえ、その理由、分かる?」
「……君が、バスケ部に入らなかった理由を、か?」
一瞬、それは唐突な問いに思えた。
だが、そう思った次の瞬間には、俺はその意図を察していた。
バスケ。
五人の友人。
早見の、人間関係を気にする性格。
そして、俺の勘を合わせれば、妄想を募らせることぐらいはできたのだ。
「……もしかして、スタメンか?」
一度、早見は驚いた顔を浮かべる。
その表情こそ、答えだった。
「……その通り。先生が熱心すぎたせいか、今年の女子バスケ部員は、あの五人しかないから。……やっぱり、貴方、推理が上手いのね」
早見は、そう言って微笑む。
だが、俺は対照的に、表情を凍り付かせた。
理由は、言うまでも無いだろう。
早見の言う「歪み」を、ようやく察することが出来たからだ。
早見が言うには、あの紙に書かれた五人は全員がバスケ部らしい。
バスケットボールの試合人数も、五人。
要するに、早見が敢えて入部しなかったことで、今年の一年生は、全員で試合に挑めるようになったのだ。
もしも早見がそのまま入部していたら、一人だけスタメンではない部員が出ていただろう。
勿論、それは当たり前の話だ。
スポーツとはそう言う物なのだから。
寧ろ、メンバーが五人しかいない方が不味い。
これでは、交代もおちおちできない。
しかし、それでも、早見はこれを違った視点で眺めたのだ。
もし、スタメンではない生徒が現れたら、それは人間関係に影響を与えてしまう、と。
選ばれなかった一人と、選ばれた五人の間で。
格差が生じることこそ、彼女は重視した。
同時に、その解決法をも考えた。
では、格差を生じさせないためには、何をすればいいか?
簡単だ。
一人辞めれば良い。
その学年の部員が五人だけになれば、少なくとも三年生の時には、全員もれなくレギュラーである。
当然、下級生からもっと上手い子が出てくるかもしれないが、少なくとも同学年で競い合う必要はない。
その学年の中で行動する際には、格差は生まれない。
だが生半可な人間を辞めさせてしまうと、それはそれで人間関係が壊れる。
辞めた人間とは、間違いなく疎遠になるからだ。
つまり理想を言えば、バスケ部を辞める人間は、部活に入らないぐらいでは疎遠にならない人間が望ましい。
この条件を満たすのが、「早見がバスケ部に入部しない」、という選択肢なのだ。
きっと、たったそれだけの理由で、早見はバスケ部に入部しなかった。
四月末まで────仮入部期間が終わるまでは待っていたのは、他のメンバーが脱退するのを避けるためだろう。
早見は、取り巻きの五人をそのままバスケ部に入部させ、自分は入らない、というのが、最善の形だと考えたのだ。
……この目論見は、実際、成功している。
昨日見た通り、早見はバスケ部を辞めたが、バスケ部にそのまま参加したメンバーとは友人のままだ。
友人のままだからこそ、廊下であのような様子だった。
早見は中心人物だからこそ、除け者にされるようなことは無かったのだろう。
しかし、しかしだ。
ただ、人間関係を円滑に回すためだけに、入りたかった部活に入らない、とは。
いや、これはそれ以上だ。
人間関係が実際に悪化したのではなく、悪化するかもしれない、という懸念だけでその行動を取ったのだから。
無論、部活の選び方は人それぞれだ。
関係性で揉めそうであれば、部活を変えるのも普通の選択だろう。
しかし、早見のこれは────。
ただ、人間関係を円滑に回すことを至上にして決断をする姿は────。
確かに、少し────。
「頭おかしいって思っているでしょう、今?」
まるで俺の心を読んだかのように、早見が問いかける。
一瞬、俺の息が止まった。
「責めているわけではないの……ええ、貴方みたいな人には、特に変に見えるのは、分かるから」
それに、と言葉が繋がれる。
「私自身が思うもの。ここまで気にするのは、さすがにおかしいって」
もう、きっと治らないんだろうけどね。
最後にそう言って、彼女の「独り言」は終わった。
……俺は、声が出せなかった。
数分前とは、別の理由で、その場所は沈黙に包まれる。
ただ、自分としても意外ではあったが、今回はあまり、居心地の悪さは感じなかった。
それはきっと、彼女が満足したかのような表情をしていたからだろう。
何というか、悩みごとを抱えている人間が、それを周囲に話した時、その「話す」という行為だけで楽になることと、少し似ている。
目の前の早見は、ほんの少しだけだが、スッキリしたような表情だった。
この数十分で、いくつもの新しい顔を見てきたが、このような早見は、特に初めて見る。
さばさばとした、あっけらかんとした表情。
隠し事を全て言い切って、何というか、突き抜けた感じを抱かせる顔。
もしかしたら、もう自棄になっているのかもしれない。
しかし、これを言わせてしまった俺がこれを言うのは、筋違いかもしれないが────とても、楽になっているように思える。
だから、居づらい、とは思わない。
寧ろ、居心地は良いかもしれない。
それ故に、ここからの時間、俺たちは、ただ沈黙と共に過ごした。
早見は、爽快さすら感じさせるその顔のまま、ちびちびとカフェオレを飲む。
俺は、その横顔を、ぼんやりと眺めていた。
そのまま、一時間以上もいただろうか。
本当に、何もしないまま、俺たちはその場所にいた。
いや、きっと、何かをしていたのだろう。
何というか、沈黙で代用できる相談もある、ということだ。
そして、そろそろこのコンビニを出なければ遅刻する、という時刻になって、ようやく沈黙は砕かれた。
「じゃあ、そろそろ行くわ」
凛、とした口調で早見が腰を上げる。
その雰囲気は、とっくの昔に往時のそれに戻っている。
俺のよく知る、日常探偵研究会用のキャラクターを演じる彼女だった。
ふと、その姿に回帰した彼女を見て、もう俺は、あの「素」の早見を見ることは出来ないのではないか、と感じた。
まあ、ただの勘だが。
それは、何となく、寂しいことだった。
だから、という訳ではないが────俺は、最後に一つ、質問をした。
「なあ」
「……何?」
「君がバスケ部に入らなかった理由は、先ほど聞いたけど……この部活に、日常探偵研究会に入った理由は、何なんだ?」
バスケ部に入らなかった理由は、確かに存在した。
しかし、この謎は、まだ解決していない。
人間関係を円滑に回す、だけで言えば、彼女は帰宅部でも良かったはずだ。
何ならその方が、人気者の彼女が属する部活がなくなり、揉め事も減るかもしれない。
要は、彼女が積極的にうちに入る理由は、特にないはずなのだ。
人間関係のためだけに、様々な選択をする彼女だ。
この決断にも、何らかの意味があっただろう。
ここを逃せば、もう、その理由は聞けない。
だからこその問い。
しかし────。
「さあ、何でかしら?」
間隔から言えば、即答に近かった。
それだけ言って、彼女はこちらに背を向ける。
そして、すたすたと学校に向かって歩いて行った。
俺は、その呆気なさに少し目を見開いた。
しかし、同時に納得する。
まあ、そうなるか、と。
──「素」の彼女なら答えてくれたかもしれないが……キャラを作った彼女では、もう、無理か。
恐らく、これもまた、彼女なりの人間関係を上手く回すコツなのだろう。
ならば、俺としてはもう、何も言えない。
これ以上は、駄目だ。
何度目かの、霧生の言葉が脳裏に蘇りそうになり────寸前で、消えた。




