接点 或いは弁解
「あの、部員の方ですか?」
早見唯が、きょとんとした顔で問いかける。
どうも口調からして、俺が同級生であることも分かっていないようだった。
クラスも違うのだから、仕方ない話だろう。
「……ああ、そうだけど……」
少し言葉に詰まったが、一応返答する。
実際のところ、研究会の申請は今まさに実行されている最中であり、正確には部員ではないのだろうが、そのあたりを説明するのも手間だ。
最初からこういった部活があった、という形にしておいた方が、向こうも認識が楽かもしれない。
そう考え、さして否定はしなかった。
「へえ、こんな部活があるなんて……」
知らなかった、と小声で続け、早見唯は興味深そうに俺が貼ったばかりの紙を見つめる。
同時に、俺の方もしげしげと見てきた。
こんな妙な名前の部活に入っている生徒のことが気になったのだろうか。
しかし、彼女の様子を観察するよりも先に、俺にはしておきたいことがあった。
「えーと、失礼だけど……」
「はい?」
「その、何か、用?」
口調に困った末、普通に俺は問いかける。
何故、彼女がここに来ているのか。
その理由がどうにも分からないため、聞いておきたかった。
殆ど初対面だというのに、この部屋に何の用があるのだろうか。
俺の問いを聞いた彼女は、一瞬、不思議そうな顔を浮かべる。
そして、訳が分からない、とでも言いたげな表情のまま、もう一度口を開いた。
「いえ、あの、まだ四月中で、仮入部期間ですし……」
「ああ、そうだな」
「看板があったので、見学でもしようかなって思っていたのですが……」
──見学?この、本を読むしかしていない部屋に?
今度は、俺の方が混乱に包まれる。
しかしすぐに、彼女は何もおかしなことを言っていないことに気が付いた。
彼女が言うように、今は四月であり、仮入部期間である。
部活に入る意思のある一年生が、好きに部活を選べる時期だ。
ならば、一年生である彼女の前に、「日常探偵研究会」と看板を立てた部室があったのなら、見学者が来ること自体はおかしくはないだろう。
本当に、ただ興味を抱いたというだけなのだから。
──しかし、変な看板があるというだけで中に入って来るんだから、相変わらず好奇心旺盛な人だな……。
入学式の日、コンビニでの出来事を思い出しながら、俺は呆れとも関心ともつかない感情を脳裏に浮かばせる。
あの時も、俺とは初対面だというのに、彼女は目についた不思議なことを確認してきた。
こういうのも、即断即決、というのだろうか。
だが、ここでふと、俺はもう一つ思い出すことがあった。
他でもない、あのコンビニでの出来事に関連したことである。
今の反応からすると、彼女はあのことを忘れているのかもしれないが──まあ、実際に顔を合わせたのは数十秒だから、仕方がないだろう──俺の方は、霧生の謎解きも相まって、良く覚えている。
確か、あの時の彼女の部活は────。
「……バスケ部は、どうしたんだ?」
彼女の前で固まっていた俺は、その言葉を投げかける。
瞬間、彼女の背中がぎょっとしたように跳ねた。
「……何故、知っているんですか?私の昨日までの仮入部先のこと」
そう言って、彼女は少しだけ後ずさる。
そこまで来てようやく、俺は致命的な失敗をしたことに気が付いた。
早見唯がバスケ部であり、春休み中の体験入部にまで参加していたことは、俺はほぼ確定事項として記憶している。
霧生が、そう推理したからだ。
だが、当たり前だが、あれは俺と霧生の間で完結した話であり、彼女にとっては当然知らない話である。
向こうからすれば、たまたま見に行った部活の、ほぼ初対面の部員が、何故か自分の仮入部先を知っている、という話になる。
彼女はその容姿から目立つ存在ではあるが、さすがにこうも断言されるのは奇妙な話だ。
恐怖を覚えるのも仕方がない話だった。
ここで会話を打ち切られると、色々と不味い。
もしかすると、ストーカーか何かだと思われるかもしれない。
焦った俺は、手を振りながら釈明した。
「あー、違う違う。俺は、ストーカーだとか、そう言う者じゃない」
「じゃあ、どこで聞いたのですか?初対面ですよね、私たち」
「いや、俺は一度、君と会っている」
再び、早見唯はぎょっとした顔をした。
まあ、突然目の前の男からファンタジー小説のようなセリフを吐かれたのだから仕方がないだろう。
というか、キモ過ぎるな、今の俺。
「入学式の日、学校近くのコンビニであっただろう?覚えていないか?」
それでも一縷の望みを託して、俺はあの日のことに言及した。
これで彼女が俺について全く覚えていなかったなら、アウトだったのだが────幸いなことに、彼女の記憶力はそこまで悪くなかったらしい。
徐々に、俺を見つめる瞳の色が変わり、何かを思い出そうとするような顔になる。
それを見た俺は、最後の駄目押しをした。
「ほら、コンビニの入り口で、俺を呼び止めただろう?」
「……あ……ああーー」
刹那、合点がいった、というような声を出し、早見唯は目を見開く。
突然の再会に、かなり驚いたようだった。
「確か……雨なのに濡れてなかった人……」
──おお、霧生の推理、やっぱり当たってたか。
最初にこんな感想が浮かび、俺は意図せず感動しそうになる。
この反応、間違いはないだろう。
「日常の謎」であるが故に、証拠が無かったあの話だが、ここへきて確かな証拠が手に入った。
まあ、元々本人に聞けばいいだけの話だった、ともいえるが。
しかし、そんな感動に浸っている俺を現実に戻すかのように、早見唯はもう一度口を開いた。
「……ですが、何故あの時会っていたら、私がバスケ部だと分かるのですか?」
「ああ、それは……」
勿論、霧生に推理してもらったからだが────そのあたりのことを話すとなると、長くなる。
立ち話でするような内容でもないだろう。
そう思った俺は、体をそらし、扉の前の位置を譲った。
「中で話すよ。少し、長くなるから」
「はあ……」
「あと、敬語もやめてくれ。同級生だから、俺たち」
「……ええ、じゃあ、そうするけれど」
まだ状況が掴めないのか、不思議そうに、早見唯は首を傾げた。
しかし、やがて好奇心の方が勝ったのだろう。
そこまで迷うことも無く、彼女は、部室へと足を踏み出した。
そこからの話は、いつも通り割愛させてもらう。
要は、これまで起こった二つの日常の謎について、詳しく解説しただけのことだからだ。
「何故俺が、コンビニでの邂逅だけで早見唯がバスケ部であることを知っているのか」を説明するには、霧生の推理について話すのが、一番早かったのだ。
俺と霧生にとっては、最早自明の結論。
また、話したうちの一つの事例では当事者である彼女──フルネームも面倒くさいので、これからは名字で呼ぶが──、早見にとっても、自明の結論。
それを、本人と会わずに、どうやって解き明かせたのか。
幸い、ほぼ関係のないところまで全て話したのが良かったのか、早見は楽しそうに話を聞いてくれた。
最初こそ困惑が強かったようだが──まあ、自分の一言が俺をここまで悩ませるとは思っていなかっただろう──途中からは、紙芝居を聞いている子供のような反応を見せていたのである。
俺としても、彼女が楽しんでくれたのは嬉しかった。
「廊下で君の話を盗み聞きした」とか、「食堂で君の会話を盗み聞きした」とか言った、後から考えればかなり恥ずかしい話までした甲斐があったというものだ。
いや、本当に、早見が寛容な性格でよかった。
尤も、楽しんでくれたのは、俺があくまで話の表層しか語らなかったからで、霧生が何故謎を解けたのかを考えた、あの最後の邪推関連は省いたから、というのもありそうだったが。
何にせよ、全てを聞き終えた早見の言葉が、これである。
「……凄いわ、面白い!」
まるで幼稚園児のようなきらきらとした目を向けて、早見は霧生のことを称賛する。
その振る舞いは、元々の美貌も相まって、一種の輝きを伴ってすらいた。
「全部当たっているわ……私が体験入部したのもそうだし、置き傘をしていたのも当たってる……。凄いわね。現実に、探偵のような人がいるだなんて!」
「……霧生のこと、知らなかったのか?」
ふと思いついて、俺はそんなことを聞く。
俺は元々顔が広くないため、忘れられていたのも無理が無いが、霧生の方は学年代表だ。
早見に負けず劣らず、入学当初はかなり注目されていたはずであり、早見の方も、ある程度霧生について知っているのではないか、と感じたのだ。
まあ、ただの勘なのだが。
だが、俺の予想に反して、早見はふるふると首を振った。
「さすがに、入学式の挨拶で顔は知っていたけど、挨拶をしたことも無いわ。元々霧生さん、あまり見かけないから……」
後半には、思わず漏れ出たような困惑が込められていた。
それを尻目に、俺はなるほど、と一人納得する。
無理もないな、と思ったのだ。
俺と霧生は同じクラスだが、クラス内ではあまり話したことが無い。
これは性別の関係もあるが、そもそも、昼休みや放課後には、霧生はいつもこの部室に移っているため、話す機会が少ないのだ。
何というか、同じクラスのはずなのに、見かけること自体が少ないのが、霧生という存在なのである。
学年代表、ということで少々遠巻きに見られているのか、教室に居てもあまり話さないのも大きいが。
同じクラスの俺ですらこれなのだから、他クラスの早見からすれば、殆ど幽霊のような存在だろう。
何となく、入学一か月で早くも取り巻きを作っている早見なら、人間関係が広い分、知っていてもおかしくないか、とも思っていたのだが、これでは知らないのも無理が無い。
ただ、それはそれとして。
ふと、俺は全く別の疑問を覚える。
──彼女、こんな喋り方だったか?
今の状況事態とは全く関係がなく、どうでもいい話ではあったが、俺はそこが気になった。
敬語を取り去ってから、彼女はこのような話し方しかしていない。
具体的には、語尾に「~だわ」と付ける、前時代の女性のような話し方である。
彼女は現実に探偵がいたことに驚いているようだが、俺はこのような話し方をする人物がいること自体に驚いた。
以前聞いた時には、彼女はこのような話し方はしていなかったはずだ。
確か、廊下で取り巻きと話していた時には、普通の、いかにも女子高生、という口調だった。
こうも短期間で、何故口調が変わっているのか。
或いは、男子生徒と女子生徒とでは、話し方を変えているのだろうか。
何となく早見の口調が気になり、俺は微かに思案する。
だが、その思考を打ち切るようにして、早見が声をかけてきた。
「……そんなことよりも、ねえ」
「……何だ?」
「日常探偵研究会って、そういった謎解きをいつもやっているの?」
思わず、俺の動きは止まる。
続いて、苦笑いが零れた。
どうやら、謎解きのことから話したせいで、誤解を招いたらしい。
「いや、普段はただここにある本を読んでいるだけの部活だよ。推理だって、今話した二つだけだ」
「そう……」
そう言って、早見は一つ、ため息をついた。
彼女の様子を見て、俺はおや、と思う。
何というか、彼女の様子に、ある種の真剣さを感じたのだ。
それがただの落胆────面白い話がもう聞けないのか、と嘆くだけのことなら、俺も気にはならなかっただろう。
だが、その時の早見には、そんな雰囲気は無かった。
寧ろ、逆。
霧生という探偵役が居ないことに、心の底から、困っているような。
まあ、ただの勘なのだが。
そして、普通に考えれば。
探偵役が居ないことに困る理由というのは、一つしかない。
だから、という訳ではないが。
勘に導かれるまま、俺は口を開いた。
「……何か、霧生に解いてもらいたいような謎でもあるのか?」
バッ、と早見が弾かれたように顔を上げた。
その目は、再び期待で満ちようとしている。
丁度、推理について話していた時のように。
気が付いた時には、俺は言葉を続けていた。
「……日常の謎?」
うん、と早見が頷く。
そして、期待した顔で聞き返した。
「貴方たちが、そこまで推理力に優れているのなら、意見を聞きたい、という話があるの。……良いかしら?」
──今度は、俺が頷く番だった。
八割以上は、美少女のお願い、という状況が作り出す反射だったが。
好奇心とは恐ろしい。
後から俺は、しみじみとそう感じた。
何しろ、この日。
まだ、話し始めて三十分も経っていない俺を相手に、早見はとある「日常の謎」を語ったのだから。
先週の金曜日、彼女自身が体験したという、「動機の無い窃盗事件」を。




