解放 或いはもう一つの密室(Case 2 終)
「恐らく、彼女は必死に考える中で思い出したんだろう。ライブハウスに来る前、偶然、誰にも見られずに帰宅したこと、そして、倉庫の窓がいつも開いていることを」
「さらに、梯子はいつも外で野晒しになっている、か」
「ああ。つまり、学校内に入りさえすれば、倉庫の中に侵入は可能だということだ」
そう言われて、俺は倉庫の様子を思い出す。
あの窓は、普通の状態では、要するにジャンプでは手が届きそうになかった。
故に、中から外に出るのは不可能だった。
しかし、梯子を使って外から中に入るなら、話は別である。
女子生徒だろうが何だろうが、普通に侵入できるだろう。
実行したのは、朝早くだろうか。
用務員が出勤してくるよりも早く、彼女は倉庫内に侵入した。
勿論、荷物も更衣室に戻し、本人も体操服に着替えなおしたのだろう。
仮に家に帰らずに、直接ライブハウスに向かったのであれば、体操服を持ったままでもおかしくはない。
その服装に────自分が閉じ込められていたなら、こういう感じ、という服装になってから、彼女は倉庫に侵入した。
その後は、着地が心配になるところだが────よく考えれば、それも問題が無い。
倉庫内の、あの窓の真下には体操用のマットが置かれてある。
先程は足場にもならない、と思ったあれだが、外からの侵入者を受け止める分には、その本領を発揮したはずだ。
恐らく、あのマットも使わない時は、常時あの場所に置いてあるのだろう。
彼女がバレー部に仮入部し、後片付けをし始めたのは一週間前からだ。
入学式の次の日から、部活動をしていると、話の中で触れられていた。
つまり、彼女は倉庫内の物の配置も、だいたいは覚えていただろう。
それを思い出せば、着地は容易だったのだ。
マットの上に飛び降りるだけなのだから。
「……じゃあ、彼女が本当に倉庫の中に居た時間は、それこそ二、三時間なのか?」
「もしかすると、もっと短いかもしれないね。少なくとも、トイレに行く必要が無い程度の短時間だ」
そう言って、霧生は皮肉気に唇の端を吊り上げた。
最初に提示された謎は、こうしてシンプルに解かれた。
何故、彼女は倉庫に閉じ込められながら、トイレをしなかったのか?
答えは、トイレに行きたくなるほどの長時間、倉庫の中に居なかったから。
単純と言えば、単純な話だ。
拍子抜けと言ってもいい。
「まあ、事の次第はだいたいこんな感じだったんだと思う。……後は分かるよね」
「ああ、後は、俺が見た通りだろう?」
彼女は、そのまま短い時間を倉庫内で過ごし、やがて発見された。
そして、見つけてくれた同級生に対してこういうのだ。
「良かった、やっと出られた」、と。
そう言いながらさも感動の再会、とでもいった風に友人たちと抱き合うのだから、彼女も大した役者である。
或いは、そこまでしたくなるほど、彼女の親は怖いのだろうか。
まあ、何にせよ、あの瞬間、彼女の計画は成立した。
親には連絡されたが、「家に居なかったのは倉庫に閉じ込められていたからであり、仕方がなかった」、と言い訳できた。
彼女の目論見は、概ね達成したのだ。
「……あれ、じゃあ彼女は、用務員さんが梯子をたまたま片付けてくれただとか、そういったことは何も意図していなかったのか?」
「だろうね。そこのあたりのことは、きっと本当に偶然だったんだろう」
そう言って、霧生は少し呆れたようなため息をつく。
「そもそも、今回は彼女に運が向いていただけで、本来この計画は成功確率が低い、杜撰なものだ。それこそ、鍵を預かっていた三奈とかいう生徒が、鍵を閉める際にもっとよく倉庫を確認し、誰も居ないことを把握していたなら、そこで彼女の目論見は破綻していた」
「言われてみれば、確かに……」
相模朋美が、鍵が閉められる前に帰っていたということは、彼女は実際のところ、三奈とか言う生徒がどのように鍵を閉めたのか、その詳しい様子は知らないままだったのだ。
それこそ、ああやって抱き合う中で知ったのだろう。
霧生の言う通り、仮にその生徒がしっかりと中を確認していたなら、二人の間で証言が食い違うことになっていたはずだ。
だが、そのあたりが問題にならず、むしろ三奈という生徒が謝ってすらいたというのであれば、彼女は本当にたまたま、中を確認せずに鍵を閉めていたのだろう。
少なくとも、相模朋美が閉じ込められていた、という話を聞かされても、否定できない程度には。
梯子が片付けられたこともそうだが、この辺りの偶然も相まって、あの倉庫はさも密室であるかのように見えていたのだ。
「まあ、彼女だってこんな悪だくみ──というほどでもないけれど──を考えたのは初めてだろうからね。細かいところには頭が回らなかったんだろう」
「そうか……推理小説の犯人たちとは、違うからな」
「ああ、考えたのも、実行したのも、高校生たちだ。粗があるのは仕方がない」
その口調は、まるで自分はそうではない、とでも言いたそうな雰囲気をたたえていて、俺は驚いて霧生を見つめた。
高校生なのは、霧生も同じはずだが。
見つめられた霧生は、最初、ん?と不思議そうな表情を浮かべた。
だが、やがて恥ずかしくなってきたのだろうか。
突然、顔を赤くして、ブツブツと小声で呟き始めた。
「……やだ、また、僕は……」
ブンブン、と首を振り、何やら恥ずかしがっている。
この光景、前も見たな、と俺は変に冷静になって思考した。
一週間前、早見唯にまつわる出来事を解いてもらった時も、最後はこんな感じだった。
どうやら彼女にとって、謎解きという行為は最後に羞恥を覚えることまで含めてセットの様である。
──難儀な性格だな……。
そう思って、俺は椅子に深く座りなおした。
霧生は未だに何やら恥ずかしがっているが、何にせよ、推理は終わった。
この密室とも呼べない密室事件は、解決されたのだ。
トイレ云々言っていた時からすれば、予想外の方向に向かったが、納得はできた。
──それに、今回は証拠があるからな……。
そう考え、俺は未だに開きっぱなしのノートパソコンを見つめた。
そこには、相変わらずライブの写真が存在している。
前回の早見唯の件では、何の証拠も無かったが、今回の霧生の推理はこれが確かな証拠となった。
密室に閉じ込められた彼女がライブに行くなど、そのままでは不可能なのだから。
──しかし、良く見つけられたものだな……。
霧生は何も言わなかったが、俺はその執念に思いをはせ、少しだが畏怖の感情を覚える。
相模朋美があの倉庫には居なかった、とは推理できても、俺の話を聞いた時点では、彼女がどこに向かったか、霧生は見当もつかなかったはずだ。
勿論、一晩で往復できる場所なのだから県内だろう、という予測はあったにせよ、それでも彼女が向かう場所を絞り込むには広すぎる。
偶然、彼女の写真を見つけられたから良かったものの、このバンドがホームページを更新していなかったら、推理は暗礁に乗り上げたのではないだろうか────。
そこまで、考えた時。
──ん?
俺の頭の中で、また。
違和感が、生じた。
倉庫の前で抱き合う、相模朋美たちの姿を見た時に感じたものと、同質の違和感。
何かがおかしい、という感情。
それを、俺は今、霧生に対して感じた。
そして、今回に限っては。
何が分からないか分からない、という状況ではなかった。
故に、俺はその違和感をそのまま口に出す。
「……なあ、霧生」
「ああ、僕はまた調子に乗って推理を……………………何だい?」
未だにブツブツ後悔していた霧生は、ようやくこちらに顔を向ける。
そこに向けて、俺は素朴な疑問を吐き出した。
「霧生は、この相模朋美と……その、知り合いだったりするのか?中学の時からの知り合い、とか」
「いや、名前を今日初めて聞いた程だけど……何で?」
さも、当然のことのように、霧生は問い返す。
その様子があまりにも自然体なものだから、俺は一瞬言葉に詰まった。
霧生は、分かっているのだろうか。
今の自分の言葉が、どれほどの矛盾をはらんでいるのかを。
彼女のこれまでの行動には、一つ、明らかにおかしい点があることを。
推理に関しては、文句のつけようがない。
彼女は推理力に長けているのは、どうやら間違い無いらしい。
だが、証拠集めの段階に置いて、彼女は不思議な行動をしている。
その、証拠となった写真がおかしいのだ。
相模朋美の写真をネットで見つけたことがおかしいという訳ではない。
それだけなら、可能性こそ低いが、有り得なくもないだろう。
問題は、見つけた後だ。
霧生は、相模朋美とは知り合いでもなんでもない、と言った。
だったら、何故────。
どうして霧生は、その写真が相模朋美の写っている写真だと、判断できたのだろうか?
どう考えても、この点がおかしい。
霧生は、朝のあの騒動を見てはいない。
あの人ごみの中に、霧生はいなかった。
そしてもちろん、食堂で相模朋美の姿を見たわけでもない。
霧生は、俺がここに来て、彼女の話をしたことで、初めて推理をし始めたのだから。
要するに、この件に置いて、霧生は最初から最後まで、相模朋美本人と会って話したことなどないのだ。
つまり、霧生は相模朋美の顔がどんなものか、知ってはいない。
当然だ。霧生は、俺の話の中でしか、相模朋美について知らないのだから。
まだ、入学して一週間しか経っていない。
同級生とはいえ、クラスも違う、顔も知らない相手の顔など覚えてもいないだろう。
というか、把握出来る方がおかしい。
ただでさえ、放課後はいつも第二図書室に籠り、他者との交流も少ないであろう彼女には、そんなことは出来ない。
だというのに、どうして彼女は、ネットで軽く検索するだけで、相模朋美の写真を見つけられたのだろうか。
顔も知らない相手の写真というものを、人は見つけられるものなのだろうか。
俺は、もう一度その写真をちらり、と見る。
そこには、確かに相模朋美の顔が写っている。
だが、あくまで小さく、だ。
顔は辛うじて写っているが、私服姿であることも相まって、高校生であるかどうかも定かではない。
しかし、霧生はこの写真だけで、これが相模朋美の写真である、と看破した。
……逆に考えよう。
霧生が、この写真を目的のものだ、と判断するには、どうすればいいのか。
どういう条件であれば、霧生は相模朋美の顔を判別できるのか。
彼女は先ほど、今日まで名前も知らなかった、と言っていた。
言葉尻を取ってみれば、顔を知らない、とは言っていない。
もしかすると。
どこかで、彼女は相模朋美の顔を見たのではないだろうか。
名前は知らずとも、判別できる程度に。
では、それはどこだろうか。
それ以降の推理を可能とする程度にまで、相模朋美の顔を見る場所は。
寧ろ、この写真の発見を後押ししそうな場所は。
──ライブハウス、か……?
俺は、霧生の顔を見つめながら、そんなことを感じた。
これは、完全に俺の妄想だが────実は、霧生もまた、このバンドのライブに観客として参加したのではないだろうか。
そして、その場所で相模朋美の顔を見た。
勿論、その場では名前など分かりはしない。
あくまで、自分と同じ、演奏を聞きに来たファンの一人、という認識だ。
しかし、その相模朋美は、途中で帰ってしまう。
両親が帰ってくることをメールで知ったからだ。
その様子を、霧生は目撃していたのではないだろうか。
或いは、彼女が親にバレないための計画を考えこんでいる様を、盗み聞きしていたのではないだろうか。
だからこそ、霧生はここまで推理を進められた。
霧生にとって、この少女が倉庫になど閉じ込められていなかったことは、自明の理だったからだ。
俺から話を聞いた霧生は、それが昨日見た少女であることを察して、そこから推理を組み立てたのではないだろうか。
この写真も、必ず相模朋美の顔がある、と確信していたから、見つけられたのではないだろうか。
思い返せば、霧生は推理を始めるとき、何やら渋っていた。
それは、こうやって自分がライブハウスに行っていた、という事実を隠したかったからではないだろうか。
今恥ずかしがっている理由も、もしかすると。
勿論、証拠はない。
霧生がどこか別の場所で相模朋美の顔を知ったのかもしれないし、或いは何となく写真だけで、これは同級生だ、と判断できたのかもしれない。
だが、前回のことも考えると────。
霧生は、俺が考え込んでいる間、不思議そうに佇んでいた。
その顔に、俺は、もう一つだけ質問を投げる。
「なあ、霧生も実は……」
「何だい?」
「その、バンドとか、好きだったりするのか?」
直接的には、聞けなかった
ただの勘だが、そうすべきではない、と思ったのだ。
その質問を聞いた霧生は、軽く、驚いたかのような表情を浮かべた。
だが、それも一瞬のこと。
すぐにその表情は覆い隠され、代わりに悪戯っ子のような表情が現れる。
「さあ……どうだろうね?」
ふふん、と機嫌良さそうに彼女は発声する。
そして、おもむろに席を立ち、図書室の奥へと向かっていった。
本を取りに行ったのだろうか。
──ここまでだな。
ふと、そんな思いが湧いてきた。
ここまでだ。
これ以上は、深入りすべきではない。
前回の件も併せて、一つ、分かったことがある。
霧生は、理由は分からないが、自分のことを隠したがっている。
以前、自分が小鳥遊吾郎の存在を隠した事を言わなかったように。
そして今回、ライブハウスに向かうほど音楽好き──もう確定といって良いだろう──であることを隠したように。
何故か、自分にまつわることに言及しない。
時として、推理の過程を捏造してまで、自分のことを隠している。
だったら、あまり踏み込むべきではない、という良識は、俺にもあった。
これは、今までの「日常の謎」とは違う。
仮に解き明かしたところで誰かが苦しむわけでは無く、また解き明かさなかっとしても誰も困りはしない、「日常の謎」とは違うのだ。
ここを踏み込めば、確実に。
霧生との関係が悪化する。
場合によれば、霧生を傷つけてしまうかもしれない。
虚言を弄してまで、霧生はそのことを隠したがっているのだから。
ただの勘だが、そんなことを、俺は考えた。
同時に、こんな疑問も湧いてくる。
──しかし、だとしたら何で……霧生は、推理を断らなかったんだろう?
もし、俺が相模朋美について話した時点で、「おかしなところは無かった」「何が違和感があるのか分からない」と嘘をついて、推理をしなかったのなら。
わざわざこうやって自分のことを隠す必要も無く、こうやって色々と俺に感づかれることも無かったはずだ。
推理小説の探偵と違って、霧生は謎を解く義務などない。
仕事でもなんでもないのだから。
断ろうと思えば、断れることが出来た。
それにも関わらず、彼女は推理を断らなかった。
────────分からない。
霧生という人間のことが、どうにも分からない。
推理のことを、人の心に入り込むことだと言い。
しかしいざ謎を解こうとすれば、楽しそうな様子を見せる。
だが、謎を解いた後は、ああやって恥ずかしがる。
彼女は、一体。
どう考えているのだろうか。
謎を解きたいのだろうか。
それとも、解きたくないのだろうか。
自分にまつわることを、隠したいのだろうか。
それとも、バレても構わない、と思っているのだろうか。
──何にせよ、密室よりも難しい謎だな、これは……。
本を選ぶ霧生の背中を見つめながら、俺はそう考える。
相模朋美の関する謎の真相は、理解できた。
しかし、霧生の心中は、相変わらず五里霧中だ。
さっぱり分からない。
そしてこれは、霧生から語ってくれない限り、真相が分からない謎だ。
窓も、梯子も、用はなさない。
そんなものを俺は持っていない。
人の心は、密室以上に密室だ。
俺は、分からないことが嫌いだ。
何かが分からないまま進むのは、気持ち悪い。
違和感を覚えた時は、猶更。
だが、この手のことは、踏み込まない方が良いだろう。
自己満足にしては、無粋が過ぎる。
場合によっては、他人のトイレの痕跡を探すよりも悪趣味だ。
だから、俺はこう思うことにする。
謎を謎でなくする、あの言葉を唱えつつ。
「……まあ、いっか」
一応、口に出す。
安心させるために。
霧生の背中が、それに合わせて少し震えた。
それを無視して、俺は今日読む本選びを開始した。




