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 ――翌朝。高遠久雪は彼の上司・高遠榛希の指示通り、六時五分前には病室の前で待機していた。高遠榛希は時間に遅れることも、時間より前に行動することも許さない。

 腕時計の秒針がきっちり六時を示してから、久雪はひとつ溜息をついて部屋に入った。

 奥のゲストルームの扉は固く閉まっていたが、上司はすぐ目につくところにいた。

 開け放たれたカーテンから差し込む光を全身に浴び、いつものように貴公子然とした表情で微笑んでいる。格好は昨日と同じラフな格好だったけれど、それだけであまりある気品があった。

「おはよう、久雪」

「おはよう、榛希」

「和泉から、聞いた? ――婚姻届、無事受理されたってね」

「ああ。――というか、なんでわざわざ和泉に頼んだ。おまえの秘書は俺だろう」

「……久雪が僕を裏切るなんてこれっぽっちも思ってないんだけど、この件に関してはどうしても過敏になっちゃってねぇ。女嫌いの久雪は、晶ちゃんにだけは『逃げたくなったらいつでも言え』って言っちゃうくらいには優しいから。婚姻届を提出したフリしてこっそり破棄とかしちゃいそうだなって思ったら、和泉に頼むほうが安心でしょう?」 

 エレベーターでの会話を、やはり盗聴していたらしい。盗聴・監視・尾行は高遠のお家芸だから、これくらいのことではいちいち驚いたりしない。

「俺とあいつは正真正銘兄妹だぞ」

「でも、血のつながりは半分だ。異常なまでに血の濃さを重視する高遠では近親婚は禁止じゃない。世間体的にはアウトだけどね。きみたちの関係はほとんど誰も知らないし――普通に結婚可能だよ」

「だとしても、俺はあいつをそういう目で見ていないし、――第一もしそうだったとしても、自分の両親を殺した女の息子と結婚したいだなんて思わないだろ」


 それが久雪の、晶に対する何よりの負い目だった。

 久雪はあの日自分が晶に会いに行ったことが、全てのきっかけだと思っている。誰も指摘しないがそれは事実だった。

 晶の両親が死んでしまったのも、従兄に執着されるようになってしまったのも、全ては自分のせいと思っているから、晶が望むなら、久雪は何をおいてでも彼女を助けるつもりでいる。

 ――……久雪の知っている七歳年上の従兄は常に完璧で、そして何も執着しない男だった。全てを均等に愛しているといえば聞こえがいいけれど、彼にとっては彼の両親も路傍の石も、それこそ大差がなかった。

 それなのに、今はどうだ。

 その執着心を巧妙に隠してはいるものの、執着の強さは父と何ら変わらない。晶は育った環境ゆえか、他人から寄せられる好意に疎い部分がある。だからたぶん、自分がとんでもなく執着されていることに気がついていない。

 どうかそのまま、気づかないでいてほしい、と、祈りにも似た気持ちで異母兄あには願う。



「――ま、久雪がそこまで言うなら少しは信じてあげようか。僕はね、久雪。きみが嫌いじゃないんだよ。ねえ、知ってた?」


 久雪は返事をしなかった。

 そんなこと知っている、というで、榛希を見つめ返していた。



『私、高遠家の当主と結婚するとかまっぴらごめんなので。当主の妻の座になんの魅力も感じませんし、私たちを守ってくれようとしているのはよくわかるんですが、当主の奥さんになるっていうオプションは正直マイナス要素ですごめんなさい』


 わずか十三歳の少女が心底嫌そうな表情(カオ)でそう言ったとき、高遠榛希の胸は歓喜に踊った。結婚するならこの子しかいないと思った。

 ――なぜなら榛希自身も、高遠家当主(たかとおはるき)と結婚するのは真っ平ごめんだと思っていたから。

 生まれながらにして何十万人という社員の生活を守り抜く責任を背負わされ、しかも他人からはその地位をうらやまれる。そのたびに、榛希は吐き捨てたくなった。

 常に誰よりも優秀でなくてはならないのに?

 ひとつも判断を間違ってはならないのに?

 何をするにしても責任がついてまわるのに?

 両親からも後継者という目でしか見てもらえないのに?

 立場をうらやまれるたびに、自分に近づこうとする人間に会うたびに、吐き気がした。自分の考えが間違っているのかと思った。

 そんな日々の中で、彼女だけが、重圧に耐えかねていた自分の気持ちを理解して(わかって)くれた気がした。

 ――だから、あまたの女性の中で、高藤晶という少女だけが、彼の特別になったのだ。



「晶ちゃんは何にも変わらないまま大人になって、今や高遠晶だよ? ……不幸だねえ」

 十八のくせに妙に達観していて、高遠榛希に振り回されているようで、逆に振り回している女は、これからもきっと表情ひとつ変えず、高遠榛希の傍にいるのだろう。

「……でもまあ、お金で解決できないことはない高遠家当主の奥さんになったわけだし、高遠家の呪縛から解き放ってあげられない分は、身代傾けてでも僕が幸せにしてあげよう。――なんたって僕は、天下の高遠榛希だしね」

 と、朝日の中、高遠榛希は幸せに満ちた顔で、神に宣誓するように、言葉を紡いだ。

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