第5話 総務部のざわめきと、最初の一歩
大会議室での社長の発表が終わると、社員たちは蜂の巣をつついたようにざわつきながら部屋を出ていった。
「キタさんが代表って……マジかよ……」
「いや、でもキタさんなら……いや、でも……」
「サッカークラブって、どうやって作るんだ……?」
そんな声があちこちから聞こえる。
北島岳は、軽く会釈しながら総務部へ戻った。
足取りは落ち着いているようで、内心はまだ波立っている。
(……本当に、始まったんだな)
総務部のドアを開けると、全員の視線が一斉に岳へ向いた。
「キタさん!!」
若手の佐伯が、椅子を勢いよく回転させて立ち上がった。
「本当に……代表なんですか?」
「まあ……そういうことになったみたいだね」
岳が苦笑すると、総務部の空気が一気に熱を帯びた。
「すげえ……」「いや、すげえけど……」「どうなるんだこれ……」
ベテランの山根が腕を組んで言った。
「キタさん、総務の仕事はどうするんです?」
「社長は……“両方やれ”って」
「無茶苦茶だなあの人は……!」
山根は頭を抱えたが、どこか楽しそうでもあった。
「でも、キタさんなら……なんか、やれそうな気もしますね」
佐伯がぽつりと言った。
「え?」
「いや、その……キタさんって、なんか……地味にしぶといじゃないですか」
「褒めてるのかい?」
「もちろんです!」
総務部に笑いが広がる。
その空気に、岳の胸の奥が少しだけ温かくなった。
(……みんな、応援してくれてるんだな)
その時、内線電話が鳴った。
「北島さん、社長室からです」
佐伯が受話器を押さえながら言う。
「たけし、すぐ来い。市役所行くぞ」
受話器から聞こえる三好社長の声は、相変わらず勢いがあった。
「……市役所?」
「そうだ。市長に挨拶だ。クラブ作るって言ったら、まずはそこだろうが」
電話が切れる。
岳は深く息を吸った。
(……いよいよ、最初の一歩だ)
「キタさん、頑張ってください!」
「市役所って……もう動き出すんですね……!」
「お土産話、期待してますよ!」
総務部の仲間たちが、口々に声をかけてくれる。
岳は鞄を手に取り、軽く頭を下げた。
「行ってきます」
社長室の前に立つと、すでに三好大悟社長が腕を組んで待っていた。
「遅いぞ、たけし」
「すみません、総務部が少し騒がしくて……」
「そりゃ騒ぐだろうな。だが、時間は待ってくれん」
三好はスーツの上着を羽織り、颯爽と歩き出した。
「市役所には話を通してある。市長も興味津々だ」
「興味津々……ですか」
「そりゃそうだろ。宇和島にサッカークラブができるんだぞ。市としても悪い話じゃない」
エレベーターに乗り込みながら、三好は続けた。
「ただし、向こうも簡単には首を縦に振らん。練習場の確保、補助金、地域との連携……課題は山ほどある」
「ですよね……」
「だからこそ、最初の印象が大事なんだ」
三好は、岳の肩を軽く叩いた。
「たけし。胸張っていけ」
その言葉は、意外なほど優しかった。
宇和島市役所。
白い庁舎の前に立つと、岳は思わず背筋を伸ばした。
(ここから……本当に始まるんだ)
市役所のロビーには、市民が行き交い、窓口の呼び出し音が響いている。
その雑多な空気の中に、岳は妙な緊張を覚えた。
三好が受付に名刺を差し出す。
「宇和島オレンジトレーディングの三好です。市長にお約束をいただいております」
案内された応接室は、落ち着いた木目調の部屋だった。
数分後、扉が開く。
「お待たせしました」
入ってきたのは、宇和島市長・大川誠一。
五十代後半、穏やかな目元だが、芯の強さを感じさせる人物だった。
「三好社長、お久しぶりです。そして……北島さんですね」
「は、はい。北島たけしです。よろしくお願いします」
岳は深く頭を下げた。
大川市長は微笑んだ。
「社長からお話は伺っています。宇和島にサッカークラブを作りたい、と」
「はい。宇和島オレンジエクストリームです」
その名を口にした瞬間、岳の胸に小さな誇りが灯った。
「面白い話ですね」
市長は椅子に腰を下ろし、指を組んだ。
「ただし、簡単な話ではありませんよ」
「承知しています」
岳は、自然と背筋が伸びた。
「練習場の確保、地域の理解、資金面……課題は多い。ですが――」
市長は、ゆっくりと言葉を続けた。
「宇和島が元気になるなら、私は協力したいと思っています」
岳の胸が熱くなる。
三好が笑った。
「市長、話が早い」
「ただし」
市長の声が少しだけ厳しくなる。
「本気でやる覚悟があるかどうか。それを見せていただきたい」
岳は、迷わず答えた。
「……あります」
その声は、自分でも驚くほどまっすぐだった。
市長は満足そうに頷いた。
「では、まずは地域スポーツ課と話を進めましょう。できる限りの協力はします」
「ありがとうございます!」
岳は深く頭を下げた。
応接室を出ると、三好がにやりと笑った。
「たけし。いい顔しとったぞ」
「え……そうですか?」
「お前、もう“代表の顔”になっとる」
岳は照れくさく笑った。
(代表の……顔)
まだ実感はない。
だが、確かに何かが変わり始めている。
市役所を出ると、宇和海から吹く風が心地よかった。
(よし……やるしかない)
岳は小さく拳を握った。
宇和島オレンジエクストリーム。
その旗は、確かに今、立ち始めたのだった。




