表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「旅商人は最強を隠す」 ~世界を終わらせようとする師を、今日も笑いながら追いかける~  作者: ユーマ
メイセキ編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/16

第四話「痕跡」

 ガトリンは報告を聞きながら、一言も言わなかった。

 レイヴンが術式の概要を説明する間、腕を組んで、目を閉じて、ただ聞いていた。リィナが補足を加える。グラディウスが犬型のまま、部屋の隅でお座りをしている。

 レイヴンが話し終えた。

 沈黙が落ちた。

「……人工の術式だと」ガトリンはゆっくりと言った。

「そうッスね」レイヴンは言った。「自然発生じゃないッスよ、あれは。誰かが意図的に作った」

「魔物を集めるために」

「集めて、何をしたいのかは分からないッスけど」レイヴンは続けた。「少なくとも、今は止めましたッス。しばらくは魔物の発生が落ち着くと思いますよ」

「しばらくは、というのは」

「術式を作った人間が生きている限り、また作られる可能性があるッスね」

 ガトリンは目を開けた。

「術式を作った人間に、心当たりはあるか」

 一瞬だった。

 レイヴンの表情が、ほんの少しだけ動いた。

 笑顔のままだ。しかしその笑顔の奥に、何かが揺れた。

「ないッスよ」

 即座に答えた。

 ガトリンはレイヴンを見た。長く、静かに。

「……そうか」

 それだけ言って、視線を外した。

 追わなかった。

 リィナはその一瞬を、見逃さなかった。


 報告が終わって詰め所を出ると、夜になっていた。

 メイセキの夜は暗い。街灯の魔力灯が石畳を照らしているが、それでも影が深い。遠くで槌の音がする。夜番の採掘夫が動き始めた頃だ。

「レイヴンさん」

 リィナが呼んだ。

「何ッスか」

「今夜は気をつけてください」リィナは言った。「術式が止まったとはいえ、坑道の魔物がどう動くか分からない。宿から出ない方がいいと思います」

「了解ッスよ」

「本当に従ってくれるんですか」

「従いますよ」レイヴンは笑った。「今夜は大人しくしてるッス」

 リィナはしばらくレイヴンを見た。

 何か言いかけた。術式の記号のことを、聞こうとした。

 しかし、止めた。

「……おやすみなさい」

「おやすみッス」

 リィナは踵を返した。

 レイヴンはその背中を見送って、空を見上げた。

 星が出ている。メイセキの空は煤けているが、それでも星は見える。

「さて」

 呟いた。

「どうしましょうかねぇ」

 グラディウスの耳が、ぴくりと動いた。


 宿の部屋に戻ると、レイヴンは荷をほどかなかった。

 外套を脱いで、椅子に座った。机の上にランプを置いて、火をつける。橙色の光が部屋を満たした。

 それから、荷の奥から木箱を取り出した。

 古びた、小さな木箱。

 いつもなら開かない。ただ見つめて、しまう。それだけだ。

 今夜は違った。

 レイヴンはゆっくりと蓋を開けた。

 中には一通の手紙と、もう一つ、小さな紙切れが入っていた。

 紙切れには、一つの記号が書かれている。

 今日、魔法陣の中心で見た記号と、同じものだ。

 レイヴンはその紙切れを、しばらく眺めた。

 ランプの炎が揺れた。


 記憶が浮かんだ。

 古い記憶だ。

 どこかの部屋。石造りの壁。机の上に広げられた紙。その紙に、びっしりと術式が書かれている。

 幼いレイヴンが、その紙を覗き込んでいた。

「……これ、全部覚えるんッスか」

「覚える必要はない」

 低い声がした。

 机の向こうに、男が座っていた。白髪混じりの黒髪。深い皺。静かな眼差し。その存在そのものが、静かな圧を持っていた。

 ゼノだった。

「術式は覚えるものじゃない。理解するものだ」

「理解、ッスか」

「そうだ」ゼノは紙を指先でなぞった。「一つ一つの記号に意味がある。その意味を理解すれば、術式は自然に組める」

「難しいッスねぇ」

「難しくない」ゼノは言った。「丁寧に組め。それだけでいい」

「丁寧に?」

「術式は作った人間の手癖が出る」ゼノは静かに言った。「丁寧に組んだ術式は、何年経っても術師の手癖を残す。それが証明になる。それが責任になる」

 幼いレイヴンは、その言葉の意味をよく理解できなかった。

 ただ、ゼノの指先が術式をなぞる動きを、目で追い続けた。


 記憶が変わった。

 別の場面だ。

 夜だった。同じ石造りの部屋。しかし空気が違う。重い。何かが、終わりに近づいているような重さがある。

 レイヴンは扉の前に立っていた。

 部屋の奥に、ゼノがいた。荷をまとめていた。少ない荷だ。旅に出る人間の荷ではなく、消える人間の荷だ、とレイヴンは思った。

「……どこかへ行くんッスか」

 聞いた。

 ゼノは手を止めなかった。

「ゼノさん」

 返事がなかった。

 レイヴンは一歩、前に出た。

「答えてくださいッス」

 ゼノがゆっくりと振り返った。

 いつもと同じ顔だ。静かで、深くて、近寄りがたい。しかしその目の奥に、レイヴンが今まで見たことのない何かがあった。

 名前をつけるなら、諦観と呼ぶものだった。

「お前はお前の道を行け」

 ゼノは静かに言った。

「それだけでいい」

「そんな答えじゃ納得できないッスよ」

「納得しなくていい」

「ゼノさん」

「レイヴン」

 ゼノの声が、少しだけ変わった。

 低く、静かで、しかしその奥に何か温かいものが滲んだ。

「お前は、正しく生きろ」

 それだけだった。

 翌朝、ゼノはいなかった。


 ランプの炎が揺れた。

 レイヴンは紙切れを、木箱の中に戻した。手紙の隣に、丁寧に。

 蓋を閉じる。

 椅子の背にもたれて、天井を見上げた。

 ゼノさん、と心の中で呼んだ。

 返事はなかった。いつもそうだ。

「……正しく生きろ、ッスか」

 呟いた。

「そういうあなたは、どうなんッスかね」

 皮肉ではなかった。

 ただ、問いかけだった。

 世界の終わりを望む男に、正しく生きろと言われた。その矛盾を、レイヴンはずっと抱えている。答えは出ない。出るはずがない。

 しかしそれでも、足は止まらない。

 止める気もない。

 グラディウスが、レイヴンの足元に頭を乗せた。犬型の温かさが、足首から伝わってくる。

「……何ッスか、急に」

 グラディウスは動かなかった。

 ただ、そこにいた。

 レイヴンはしばらくその頭を見て、それから静かに撫でた。

「……ありがとうッス」

 グラディウスの耳が、小さく動いた。


 夜半過ぎだった。

 詰め所から、走る足音が聞こえた。

 レイヴンは目を開けた。いつの間にか、椅子に座ったまま眠っていたらしい。グラディウスが耳をぴんと立てて、扉の方を向いている。

 足音が近づいてくる。

 扉が叩かれた。

「レイヴンさん」

 リィナの声だ。

 レイヴンは立ち上がった。外套を羽織って、扉を開けた。

 リィナが立っていた。鎧を着けている。顔が真剣だ。

「どうしたッスか」

「斥候が戻りました」リィナは言った。「第三坑道の魔物が、動き始めています」

「動き始めた、というのは」

「群れを作って、町の方へ向かっています」リィナは真っ直ぐに言った。「数は、少なくとも五十以上」

 レイヴンは少し間を置いた。

「……術式を止めたのに、ッスか」

「はい。術式が止まったことで、溜まっていた魔物が一斉に動き出したと思われます」

 なるほど、とレイヴンは思った。

 術式で集められた魔物が、行き場を失って外へ向かった。自分が術式を止めたことが、引き金になった。

「ガトリンさんは」

「既に動いています。防衛線を張る準備を」リィナは言った。「ただ、数が多すぎる。護衛団だけでは、持たないかもしれない」

 レイヴンは外套の前を閉じた。

 仕込み杖を手に取る。

 笑った。

 いつもの笑顔だ。しかし今夜の笑顔は、少し違った。柔らかさの奥に、静かな何かが宿っていた。

「行きましょうか」

「……本当に来てくれるんですか」

「当たり前ッスよ」レイヴンは言った。「私が術式を止めたせいでもあるッスから」

 リィナは少し目を細めた。

「責任感、あるんですね」

「それだけッスよ」

 レイヴンは扉を出た。

 グラディウスが後に続いた。

 夜のメイセキを、二人と一頭が駆けた。


【次話予告】

魔物の大群がメイセキに迫る。ガトリン率いる護衛団が防衛線を張る中、レイヴンとリィナは最前線へ向かう。そしてリィナは、無茶をしてしまう…

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ