第二話「鉱山都市・メイセキ」
メイセキという町は、遠くから見ると黒い。
山肌に張りついた建物は煤けた石造りで、空には常に薄い煙が漂っている。緑がない。木が育たない土地なのか、視界に入るのは岩と石と、鉄でできた構造物ばかりだ。
しかし、死んではいない。
どこからか槌の音が聞こえる。金属を打つ、規則正しい音だ。人の声もある。荒削りだが、活気がある。鉱山で生きる人間の、無骨な息吹がそこにある。
レイヴンは御者台の上で、その町を遠くから眺めた。
「いやぁ」
呟く。
「煤けてますねぇ」
グラディウスの耳がぴくりと動いた。
嫌いじゃない、とレイヴンは思った。
町の門をくぐると、すぐに空気が変わった。
鉄と炭の匂いが濃くなる。石畳は黒ずんでいて、すれ違う人間の顔も手も、どこかしら煤で汚れている。しかし誰も気にしていない。ここではそれが普通なのだ。
レイヴンはゆっくりと町を流した。
目が自然に、町の空気を読んでいた。
人の顔が、暗い。
活気はある。槌の音も、人の声もある。しかしその下に、何か重いものが沈んでいる。目が泳ぐ人間が多い。足が速い。広場を通り過ぎる人間はみな、どこかを警戒するように肩をすくめていた。
レイヴンは耳をすませた。
「……また昨日も出たらしい」
「第三坑道、もう閉鎖するって話だぞ」
「護衛団が頑張ってるけど……」
「もう三人やられたって聞いた」
断片的な声が風に乗って流れてくる。
レイヴンは口を閉じたまま、静かに聞いた。
細い目が、ほんの少しだけ動いた。
荷車を宿の前に止めて、グラディウスを繋いだ。
宿に荷を運び込んでいると、宿の主人が声をかけてきた。初老の女性で、人の良さそうな顔をしている。しかし目の下に疲労の色がある。
「旅のお方ですか。歓迎しますよ。ただ……」
「ただ?」
「今、町が少し物騒でして」女性は声を落とした。「鉱山で魔物が大量に出ているんです。採掘が止まって、町全体が参っていて」
「そうッスか」レイヴンは静かに言った。「大変ッスねぇ」
「護衛団が対処してくれているんですけど、なかなか……。お客さんも、早めに部屋に入っていただいた方が安全かもしれません」
「分かりましたッス」
レイヴンは笑って、荷を受け取った。
部屋に入ってから、窓の外を眺めた。
町の奥に、山が見える。その山腹のどこかに、第三坑道がある。
「……意図的な歪み、ッスか」
ベルタで聞いた言葉が、頭の中で静かに響いた。
翌朝、レイヴンは早めに宿を出た。
市場が開く前の時間だ。石畳に朝靄が漂っている。槌の音はまだない。町が眠っている、静かな時間帯。
レイヴンはグラディウスを連れて、町を歩いた。
目的地は決めていなかった。ただ、足が自然に動いた。
護衛団の詰め所の前を通りかかった時、声がした。
「おい」
振り返ると、詰め所の前に大柄な男が立っていた。白髪混じりの短い髪、岩のような体躯。鎧は傷だらけだが、立ち姿に一切の隙がない。目が鋭く、品定めするようにレイヴンを見ていた。
「昨日も町をうろついていたな」
「いやぁ、商売の下見ッスよ」
レイヴンは片手を上げた。笑顔だ。
「気になる町だったんで、少し見て回ってたッス」
「何が気になった」
「人の顔ッスね」レイヴンは言った。「みんな、下を向いてる」
大柄な男は黙った。
レイヴンは続けた。
「鉱山の魔物騒ぎ、町全体に影響してるみたいッスね。採掘が止まったら、この町は干上がる。みんなそれが怖い」
「……旅商人にしては、よく見ている」
「見るのが仕事ッスから」
大柄な男はしばらくレイヴンを見た。それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「ガトリン」と名乗った。「護衛団の団長だ」
「レイヴン。旅の商人ッス」
ガトリンはそれだけ言って、詰め所の中に戻っていった。
レイヴンはその背中を見送って、小さく笑った。
無口だ、と思った。
嫌いじゃない、とも思った。
その日の昼過ぎだった。
市場で商売をしていたレイヴンの耳に、騒ぎが届いた。
市場の外れ、鉱山へ続く道の入口あたりで、人だかりができている。怒声と、悲鳴が混ざっている。
レイヴンは手を止めた。
「グラディウス、店番頼むッス」
グラディウスの耳がぴくりと動いた。
人垣をくぐると、道の真ん中に男が二人倒れていた。鎧を着ている。護衛団の団員だ。その前に、大きな影がある。
魔物だった。
岩のような外皮を持つ、四足の獣型魔物。体長は馬ほどもある。目が赤く光っている。低い唸り声が、石畳を震わせた。
坑道から出てきたのだ、とレイヴンは即座に判断した。
周囲の人間は逃げるか、固まるかしていた。護衛団の団員が数人、魔物を囲もうとしているが、腰が引けている。先に倒れた二人の様子を見て、怯んでいるのだ。
レイヴンは人垣の外から、魔物を眺めた。
外皮の硬さ、動きのクセ、唸り声の間隔。三秒で測った。
「すみませんねぇ」
するりと人垣をくぐって、前に出た。
団員の一人が気づいて、声を上げた。
「危ない、一般人は下がれ」
「大丈夫ッスよ」
レイヴンは外套の内側に手を入れた。取り出したのは、小さな球だ。親指ほどの大きさで、表面に細かい魔法陣が刻まれている。薄く青白い光を放っている。
「なんだそれは」団員の一人が呟いた。
「睡眠玉ッスよ」レイヴンは言った。「対魔物用の自作品ッス」
魔物がこちらを向いた。赤い目が、レイヴンを捉える。
低い唸り声が大きくなった。
跳んだ。
岩のような巨体が、信じられない速さで宙を舞った。
レイヴンは一歩も動かなかった。
ただ、球を軽く握りつぶした。
ぱん、と乾いた音がした。
青白い霧が広がった。魔物の巨体がそれを突っ切った瞬間、動きが鈍った。前足がもつれる。後足が流れる。そのまま石畳に顎から突っ込んで、どうと倒れた。
地面が揺れた。
魔物はそれきり動かなかった。
大きな胸が、ゆっくりと上下している。眠っている。
「……二十分くらいは起きないッスよ」
レイヴンは外套の内側から、今度は細い紐を取り出した。一見すると普通の縄だが、表面がわずかに光っている。
「蜘蛛の魔物の糸から作った魔力紐ッスよ」レイヴンは言った。「魔力を通すと締まる仕組みで、魔物が暴れても切れないッス」
手際よく魔物の四肢を縛る。結び目を確認して、魔力を少し流した。紐がきゅっと締まった。
「これで目が覚めても動けないッスよ」
立ち上がって、倒れた団員に近づいた。
「大丈夫ッスか」
団員は呆然とレイヴンを見上げた。
「あ、ああ……」
「骨は折れてないッスね。安静にしてれば大丈夫ッスよ」
それだけ言って、踵を返した。
市場に戻ると、グラディウスが待っていた。
犬型のまま、きちんとお座りをして。
「お待たせッス」
グラディウスの耳がぴくりと動いた。
レイヴンが荷を整理し始めると、後ろから足音が来た。
「……さっきのは、お前がやったのか」
振り返らなかった。声で分かった。
「たまたま通りかかっただけッスよ」
「嘘をつくな」
ガトリンが隣に立った。腕を組んで、レイヴンを見ている。
「あの睡眠玉とやら。対魔物用と言っていたな」
「ええ、まあ」
「あの規模の魔物を、あれ一つで落とした」ガトリンは言った。「魔導師が束になっても手こずる相手をだ」
「運が良かったッスよ」
「運で魔物は眠らない」
レイヴンは笑ったまま荷を整理し続けた。
ガトリンはしばらくその背中を見てから、静かに続けた。
「魔力紐も見た。蜘蛛の魔物の糸から作ったと言っていたな。素材の入手から加工まで、普通の職人には不可能だ」
「趣味ッスよ、魔道具いじりは」
「趣味で作れるものじゃない」ガトリンは言った。「正規の魔道具管理局に届け出のない、強力な魔道具の所持は違法だ。知っているか」
レイヴンの手が、止まった。
ガトリンは続けた。
「本来なら今すぐ、危険物所持で捕縛することもできる」
レイヴンはゆっくりと振り返った。
笑顔だ。いつもと同じ、柔らかい笑顔だ。
しかしその目が、ガトリンをまっすぐに見ていた。
「……それは」レイヴンは言った。「脅しッスか」
「取引だ」
ガトリンは一歩、前に出た。
「捕縛するつもりはない。ただし条件がある。第三坑道の件に協力しろ。お前の目と道具を貸せ。それだけでいい」
レイヴンはしばらく、ガトリンを見た。
それから、ゆっくりと笑みを深めた。
「……悪い人ッスねぇ、ガトリンさん」
「現実主義なだけだ」
「同じッスよ、それ」
ガトリンは眉一つ動かさなかった。
「どうする」
レイヴンは少し考えるような顔をして、それから肩をすくめた。
「……もともと行くつもりだったんスけどね、坑道」
「ならば話は早い」
「ただ」レイヴンは人差し指を立てた。「一つだけいいッスか」
「何だ」
「今後、私の荷物は調べないでいただきたいッス」レイヴンは笑った。「色々と、説明が面倒なものが入ってるんで」
ガトリンは少し間を置いた。
それから、短く笑った。一度だけ、小さく。
「……交渉成立だ」
「毎度ありッス」
レイヴンはぱん、と軽く手を叩いた。
グラディウスの耳が、呆れたように動いた。
護衛団の詰め所に入ると、奥から足音が来た。
赤茶の髪をポニーテールに結んだ、若い女性だ。軽装鎧を身に着け、姿勢が良く、歩き方も軍人らしい。レイヴンを見た瞬間、わずかに眉が動いた。
「団長、呼びましたか」
「ああ」ガトリンは言った。「この男を第三坑道に案内してやれ」
リィナはレイヴンを見た。頭から足まで、真っ直ぐな目で。
「……この方が、ですか」
「そうだ」
「失礼ですが」リィナはレイヴンに向き直った。「あなたが、さっき市場で魔物を止めた方ですか」
「たまたまッスよ」
「たまたまで、あれができるんですか」
「運が良かっただけッスよ」レイヴンは笑った。「なんとなく、うまくいったッスね」
リィナは口をつぐんだ。
何か言いたそうな顔をしたまま、ガトリンを見た。
「団長、本当にこの方で大丈夫なんですか」
「俺が大丈夫だと判断した」ガトリンは短く言った。「それで充分だろう」
リィナはもう一度レイヴンを見た。
それから、息をひとつついた。
「……分かりました」
声のトーンが切り替わった。任務モードだ。
「リィナ・ベルクです。護衛団の剣士をしています」
「レイヴンッス。旅の商人で」
「正直に言います」リィナは続けた。「あなたのことはまだ信用していません」
「正直で、いいッスねぇ」
「からかっているんですか」
「滅相もない」レイヴンは首を振った。「本心ッスよ」
リィナは何か言いかけて、口を閉じた。
くるりと背を向けて、扉へ向かった。
「ついてきてください。ただし」
「ただし?」
「足を引っ張るようなら、すぐに引き返してもらいます」
「了解ッスよ」
レイヴンはその背中を眺めて、小さく笑った。
真面目だ、と思った。
真面目で、不器用で、それを隠せていない。
嫌いじゃない、とも思った。
詰め所を出ると、グラディウスが待っていた。
犬型のまま、入口の前にちょこんと座っている。リィナを見て、耳をぴくりと動かした。
「……何ですか、これは」
リィナが足を止めた。
「相棒ッスよ」レイヴンは言った。「グラディウス。一緒に連れて行っていいッスか」
「ゴーレム……ですか」
「そうッス。役に立つッスよ」
リィナはグラディウスを見た。グラディウスもリィナを見た。
しばらく、見つめ合った。
グラディウスがゆっくりと尻尾を振った。
「………」
リィナは何か言いかけて、口を閉じた。
それから前を向いて、歩き始めた。
「……行きますよ」
「はいッス」
レイヴンはグラディウスに目配せした。
グラディウスの耳が、楽しそうに立った。
二人と一頭が、鉱山へ続く道を歩き始めた。
空は高く、煤けた山が近づいてくる。
レイヴンは前を向いたまま、小さく呟いた。
「さて、どうでしょう」
返事はなかった。
グラディウスの耳だけが、ぴくりと動いた。
【次話予告】
第三坑道の入口に到着したレイヴンとリィナ。坑道の奥から漂う異常な魔力の気配に、レイヴンは静かに確信を深める。そしてレイヴンは気づく。この感触を、自分はどこかで知っている、と。




