11月17日 ~歩きお遍路12日目~
27番のお寺の休憩所で目を覚ます。
すごい寒いぃ……
最御崎寺に行った時は、あんなに暑かったのに。
こんなに気温差があるなんて……つれぇわ。
顔を洗いに外へ出ると、もっと寒いぃ……
この寺にある湧き水は、四国の名水に選ばれているらしい。
わざわざ車で持ち帰る人もいるんだってさ。
そんな水を使って、顔を洗ったり歯磨きしたりする。
ふふん……贅沢な歯磨きなんだぜぇ?
かっこいいだろう?(ドヤ顔)
山の上から朝日を浴びながら、下山を開始する。
今日はひたすら高知市を目指すことにした。
道のり50キロ。
行けないことはないだろう。
俺はそう思っていた。
結果……行けませんでした。
原因は、俺が足を引きずってるせい。
前は足の裏のマメが痛かったんだけど、次はふくらはぎの筋肉が痛み出したんです。
外側からの痛みじゃなくて、内側からの痛み。
これは本当に痛いぃぃぃ!!!
歩くたびに激痛がふくらはぎを襲って、もう歩くの無理です。
って、弱音を吐いても誰も俺を助けてくれない。
俺についてきてくれる人は誰も、誰もいないから。
色んな人に出会っても、結局俺はいつも1人だから。
何とか1人で頑張るしかないのだ。
それでも間に合わないものは間に合わない。
いくら頑張っても、無理なものは無理だからね。
そんな厳しい現実。
時々、もうここで倒れてもいいかなって思ってしまう時がある。
何もせず、このまま静かに死ねたら、どんなに楽なんだろうって。
なんでつらい思いをしてまで、生きなくちゃいけないのか、全然分からないのだ。
人の生きる意味なんて本当にあるのか?
人間はなんで生まれてきた?
人は人を支えあうために生まれてくるって道徳の時間で習うけど。
なら、人類全体は何のために存在するの?
人同士で助け合って、その先はどうするの?
人類は何をするべきなの?
これが偉人でも分からないから、人の存在する意味が・・・生まれてきた意味が分からない。
だから人が生きようが死のうが、大して変わらないような気がして。
人の生きる意味なんかないって意見も否定出来なくて。
大多数の人は、とりあえず仕事のため、家族のためって頑張りながら生きるけど。
それは本当にすごいことなんだけど……
俺は人の存在する意味が分からないと、俺の生きる意味が分からないんだ。
俺は生きる意味を誤魔化して生きていけるほど、強くない。
とりあえず頑張って生きてみるなんて、辛すぎるよ。
こんなにみんなにボロボロにされて、今まで生きてきたのに。
でも、いつの間にか歩いてる。
理不尽と戦ってる。
何でだろう?
……分からない。
それでも死なずに歩いてる。
本能的に、思い出を求めて。
……話が逸れたな。
関係ない話して、すんません。
目標の高知市内に行くなら、28番大日寺~30番善楽寺まで行く必要がある。
けど、多分28番寺には5時までに間に合わなくなってしまった。
30番善楽寺まで後20キロ以上あるのに、今は午後2時だ。
時速5キロで歩くんなら、1時間に5キロ進むことになる。
20キロ歩くんなら、4時間かかる計算だ。
しかも、休憩なしで。
うん、全然間に合わんですやん。
30番に行けないなら、野宿確定だなぁ。
だってここら辺、善根宿とかないんだもん。
28番の手前に道の駅が1つあって、野宿するならそこにしないといけない。
この状態でコンクリートの上なんかで寝たら、足の痛みが悪化してもう歩けなくなる。
それだけは避けなくちゃいけない。
だから今日は、道の駅のベンチで寝ることにした。
ここでなら、明日には高知市内に到着して宿に泊まれると思う。
ああ、久しぶりに外での就寝だ。
正直嫌だ。
本っ当に嫌だ。
でも、やるっきゃない。
俺に選択肢なんかありはしないのだから。
そうだ!
次の日に思いっきり宿でのんびりしてやるのだ。
そう、今日だけガマンすればいい。
ガマンガマンガマン……
そう思い、道の駅で寝床を探す。
近くにバスの停留所があり、一晩過ごせそうだったが、こんな張り紙が貼ってあった。
『当施設に宿泊している者を見つけた場合、即座に警察へ通報します』
ぐむむ。
それは嫌だな。
でもここで寝なきゃ、俺はもう旅に耐えられる気がしない。
……しゃーないな。
目立たなくて、迷惑のかからない場所のベンチで寝ないといけないな。
ちなみにここは、浜辺にある道の駅だ。
名前をヤ・シィーパークというらしい。
浜辺の面積は広くて、ベンチも結構な数があるから、そこで寝るのが目立たなくていいだろう。
ただし、海がすぐ近くにあるので、塩まみれになることは間違いないと思う。
そして夜がやってきた。
寒いよ。
昼間との寒暖差が激しいよ。
でも、耐える。
頑張る。
頑張れ。
頑張れっ……




