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失恋皇女は冠を掴む~初恋相手にふられた私、両片思いに振り回されて困っています~【完結保証】  作者: はるてん
初公務編

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2章5話 絶望の鐘と、揺るがぬ熱量


 礼拝堂に駆け込んだ時、アイリーンは確かに看護師と二人だった。

 看護師が扉に閂をかける後ろ姿をこの目で見た。


 ――なのになぜ、私は今一人なの。


 誰もいない目の前の光景が信じられなくて、アイリーンは固まった。

 見えている扉は一つしかない。

 室内にあるのはチャペルチェアと祈祷台、聖女像だけで、人が隠れられそうな物陰は存在しない。


 彼女は、どこに行ったのか。


 アイリーンが恐る恐る消えた案内人を探そうと一歩踏み出した時、何かを扉に叩きつける音が響いた。その衝撃音にアイリーンはびくっと肩を震わせる。


 激しく震える扉の向こうからは騎士の怒号と貧民たちの懇願が聞こえる。

 扉の向こうは開けられる状態ではないことが察せられた。


 アイリーンは慌てて周囲を見回す。

 礼拝堂は石造りの基礎と漆喰の壁で囲まれていた。

 美しいステンドグラスは頭より高い位置にあって外の様子を見ることもできない。


 高い窓から色鮮やかな光の筋がいくつも入り込む幻想的な世界の中で一人、アイリーンは絶望する。



 ――閉じ込められた。



 全身から血の気が引いていく。

 胸が鎖で締め付けられているかのように縮こまって息ができない。


 パニックを起こすと同時に、アイリーンの頭は冷静に考える。


 このままここから出られないと、どうなるのか。

 この後、開かれた式典にアイリーンの姿がなかったら、皇族としての価値を示せなかったら、どうなるのか。


 激しい眩暈がした。呼吸もできなくて、膝から崩れ落ちる。

 色鮮やかなガラスが散りばめられた美しい礼拝堂が、今は漆黒の牢獄に見えた。


 体が、鉛のように重い。





 絶望に俯いたところで、はらりと、髪が一房アイリーンの視界に入り込んできた。

 母親と同じ、赤橙の髪。

 遠い昔の優しい母親の笑みがぼんやりと浮かぶ。

 隙を見せるな、という昨夜の父親の言葉が、赤く鋭い視線が脳裏によぎる。


 ――ごめんなさい、お父様。今の私には、まだ周りを見まわす力が足りていなかった。


 アイリーンは拳を握りしめた。


 ――私は、簡単に諦めるわけにはいかない。



 仕事を放り出そうとする肺を叱咤して無理矢理息を吸う。脳を動かす。

 ばくばくとうるさい心臓を無視して、アイリーンは立ち上がる。


 ステンドグラスを透過した光が七色の粒子となって降り注ぐ中、濡れた翠緑の瞳は一段と鋭い光を放っていた。


 ――出る。ここから。なんとしても。



 アイリーンはもう一度礼拝堂を注意深く見回す。足元の石材一つひとつに目を走らせていく。

 すると一カ所、うっすらと積もった床の埃が、拭われている場所が目に入った。


 ――ここ! やっぱり出入り口がある!


 近づいてみると、石壁の一部に小さな継ぎ目があるのをアイリーンは見つけた。

 辿ってみると大きな石が扉のようになっているのに気づく。

 ちょうど小柄な人が一人くぐれるかどうかぐらいの大きさのそれを、アイリーンは力いっぱい押した。


 石同士が擦れ合う特有の重い音が響く。

 けれど石の戸は指一本分ほど動いたところで、ガリ、と固い何かに当たる音がして、びくともしなくなった。

 

 何度押し直してももう動かなくなってしまったそれを、アイリーンは隙間に指先をこじ入れて揺らしてみるが、結果は変わらなかった。

 アイリーンは立ち上がり、もう一度周りを見渡す。


 唯一の出入り口は今も小刻みに揺れていて、民がそこまで押しかけていることが伺えた。

 隠し扉はもう開かない。

 壁はぐるっと石造りと漆喰で塞がれている。


 ――残る出口は、窓しかない。


 頭上の上で光を放つステンドグラスをアイリーンは睨み付ける。まずは触れられる位置に行く必要があった。

 アイリーンは素早くチャペルチェアと祈祷台を窓下に移動させる。チャペルチェアを踏み台にして、罰当たりだと思いながらも祈祷台の上に上ると、ようやく色ガラス越しに外の様子を見ることができた。


 窓の外には手入れされた植木と城壁がそびえたっていた。外を通る人影はない。

 窓枠に触れると窓ははめ殺しの構造だった。細い窓だったが、アイリーンなら通れる幅がある。


 ――割るしか、ない。


 アイリーンは大きく拳を振り被る。

 息を止めると同時にぎゅっと目を瞑って顔を背けてから、窓に拳を叩きつける。


 情けない音が鳴った。


 城で育てられたアイリーンにはガラスを割る力も、全力の力で拳をガラスに叩きつける度胸もなかった。

 ガラスを割らなければいけないことは十分わかっているのに、ガラスが割れるのが怖くて、何度やっても力が逃げて七割の力もぶつけることができない。


 ――ここから出なきゃいけないのに。もうここしか、出口はないのに。


 ガラスに叩きつける度、無意味に拳が赤くなっていく。


 ――誰か。助けて。


 情けなさにアイリーンの瞳に涙が滲んだ。




 光が降り注ぐ礼拝堂で、アイリーンは祈るように願い続ける。

 すると、視界の端にきらりと光るものが動いた。

 アイリーンは顔を上げ、そして息を飲む。


 二つにくくった金髪を揺らす少女、リリアナがそこにいた。後ろにグレースの姿もある。

 学院とは違ってリリアナはふわふわの純白ドレスを身にまとい、対照的にグレースはフロックコートで男装をしていた。

 裾をつまみ、ドレスを汚さないようにしながらも、二人はぬかるんだ土の上をためらうことなく歩いている。


「リリアナ! グレース!」


 アイリーンは必死に呼びかけるが、二人ははきょろきょろとあたりを見回すだけで、上を見ようとはしない。


「っ、気づいて!」


 精一杯の力で、アイリーンは窓を叩く。

 どん、と音が鳴った途端。ぐるんっとグレースの首が回った。

 全てを吸い込みそうな闇色の二つの目がアイリーンの赤橙を捉える。


「リリアナ様! 上です!」


 グレースが叫ぶとリリアナも素早く上を向いた。

 ステンドグラス越しにアイリーンを見つけると、その大きい目がさらに見開かれる。


「お兄様! アルバート様! いました! 裏です!」


 リリアナの悲鳴に近い声が病院の裏手に響き渡った。

 即座にリリアナは人を呼ぶために駆けだす。

 グレースは窓下の壁をよじ登ろうと石壁に手をかけたが、無理だと悟ると入口を探して動き出した。

 アイリーンはうるさい心臓を抑えつける。


 ――ここにきて、どれだけ経った? 次の鐘までどのぐらいある? 二人が人を呼びに行って、それからここを出て私は式典に間に合う?


 不安で喉がからからになる。

 祈って待っていると、リリアナに連れられて、フロックコート姿のアルバートとフィデルがすぐに窓の下に現れた。

 二人ともアイリーンの姿を見つけると目を見開いて絶句する。

 特にアルバートは、自分の目に映るものが信じられず、悲痛に顔を歪ませた。


「殿下! 何故そのような場所に!」

「訳は後だ! この場所の入口は?」

「アルバート様!」


 リリアナ達が駆けて来た方向とは逆の方向から、グレースが走ってきた。


「この礼拝堂の入口らしき通路に村人らしき人々が詰めかけております! ひどい興奮状態で騎士様が一人で扉を守っておられます。私一人の力では制圧できそうにありません!」

「どういう状況だそれは!」


 窓の外でアルバート達の怒号が飛び交う。

 グレースと同じく、フィデルは石壁を登ろうとしたが、無理だと悟るとアイリーンがいる窓の下に立った。両手を組んで体の前に差し出す。


「アルバート!」


 フィデルの意図を瞬時に読み取ったアルバートはためらいなく動いた。

 フィデルの手を踏み台にして彼の肩に登る。

 服についた泥など欠片も気にせずにフィデルは自分の方に乗るアルバートの足を、泥ごとしっかりと掴んだ。腰を落として踏ん張り、全身でアルバートを支える。


 少年二人分の背丈を得たことで、アイリーンよりも上の位置にアルバートがたどり着く。

 窓越しに現れた紅の瞳に、息もつけずに重く縛り付けられていたアイリーンの体が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。緊張の糸が緩んでアイリーンは泣きそうになってしまう。


「アイリーン! 無事か! 怪我は?」

「ありません! でも、出られなくて」

「出入り口は一カ所なのか」

「はい」


 アルバートは険しい顔をした後、足場になっているフィデルに視線を向けた。


「フィデル。窓を割って引っ張り出すぞ」

「最初からそのつもりだ! やれ!」


 アルバートは首元からスカーフを外すと自分の手に巻き付け始めた。


「下がれアイリーン」


 指示通りにアイリーンが祈祷台から降りて窓から距離をとると、アルバートは躊躇うことなく拳を窓に叩きつけた。

 ガシャンと音を立ててステンドグラスが簡単に割れる。フィデルの体にも破片が落ちた。


「上から羽織れ!」


 アルバートの言葉と共にアルバートのコートが投げ込まれる。

 アイリーンがそれを拾って着る間に、アルバートは窓枠に残ったガラスや鉛を端から端まで丁寧に叩き落としていく。

 アイリーンの体には大きいそのコートは、アイリーンの体をドレスごとすっぽり覆った。


「アルバート様! 着ました!」


 アイリーンが叫ぶ。それを合図にアルバートは手に巻いていたスカーフを投げ捨てた。

 ガラス破片がパラパラと音を立てて落ちる。


 その時。頭上から鐘の音が響いた。

 息を飲むアイリーンに追い打ちをかけるように鳴り響くラッパの音も聞こえる。

 式典開始の合図にアイリーンは視界が真っ白になった。


 ――間に合わ、なかった。


 アイリーンの翠緑の瞳から光が消えた。


「大丈夫だ!」


 アルバートの怒号が、アイリーンの意識を引き戻す。

 アイリーンを見つめる紅い瞳は熱を失っていない。

 遠くでどんなに金管が鳴り響いても、その瞳だけは揺れない。

 風が吹いて埃っぽかった礼拝堂に、若々しい青草の香りが入りこむ。


 閉じられた世界にぽっかり空いた穴から、彼は空を背負って立っていた。


「来い! アイリーン!」


 ――もう来ないでと言ったのに。

 差し出された手をアイリーンは両手で握りしめた。

お待たせいたしました、第2章の大きな山場を少し長めにお届けしました。

鐘が鳴っても、物語はまだ終わっていません。


【第2章第6話:焼き焦がすほどの忠愛】


ここから「週2投稿」のペースとなります。

次回更新は、5月13日(水)21:00頃を予定しております。

加筆・調整に全力を尽くし、最高の結末までアイリーンたちを導いてまいります。

またお会いできれば幸いです!


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