1章1話 恋が死んだ日(6/16 冠を掴んだ日を削除)
「心に留める人ができたら、できるだけ早く教えてくれ。君が選んだ奴なら私は応援するし、協力を惜しまないよ」
――私は、振られた、の?
彼の言葉を、アイリーンは何度も反芻して意味を考える。
うららかな春の昼下がり、宮殿のプライベートサロンは彼の一言で空気が凍りついた。
今年十五歳になる皇女、アイリーン・グランディヴェルはその発言の意図が読み取れず、返す言葉を見つけられない。
それまでただ恋をしていた彼女に不意打ちすぎる言葉だった。
親譲りの整った容貌は表面上ただ驚いているようにしか見えなかったが、翠緑の瞳は不安げに揺れていた。
綺麗に手入れされた長く緩やかに波うつ赤橙の髪が窓から入ってきた風に揺らめく。
アイリーンも侍女たちも、サロンにいる全員が驚きで動きを止めていた。
そんな空気の中、黒髪を大人顔負けのオールバックに仕上げたアルバート・ヴェルストラーテンは、切れ長の紅い眼を伏せて優雅に紅茶を飲んでいる。
アルバートの声は不自然なほど優しかった。まるで、自分に言い聞かせるように。
「……頼むよ、アイリーン」
だからこそ、残酷だった。
なぜ、どうして、と問いは喉の奥で潰れる。
他の人の応援なんてしないでと、わがままを言えたらどんなに楽だろうと心の中でアイリーンは嘆いた。
お従兄さまと、子供の頃のように呼んで縋りたい気持ちを必死に抑える。
体の冷たさに加えて、彼女は今、全身で侍女たちの視線を感じていた。
「どういうこと?」
「アイリーン様が振られた?」
同じ部屋にいる侍女たちが、視線だけで言葉を交わす。
全員が、固唾をのんでアイリーンがどう返答するかを待っていた。
皇族は常に品位を保たねばならない。
子供の頃から叩き込まれてきた教えは、こんな時でもアイリーンをパニックから引き戻していた。
――こんな人前でその発言をして、どうなるかわかっているのですか。アルバート様。
目の前で優雅にお茶を飲むアルバートをアイリーンは見つめる。
アルバートの端正な顔に気負った様子はみられない。
――もうこちらを、見てもくれない。
顔ばかり見ていたアイリーンは気づかなかった。
彼の手先が小刻みに震え、力の入れすぎで白くなっていることに。
彼女は馴染みの深い宮殿のプライベートサロンに目を向ける。
――ここで、何度もお茶をした。ダンスの練習だって、ここだった。たくさん話をした。ミスもたくさんした。それでも、いつだって彼は大丈夫と笑っていてくれたのに。
初めて彼と踊ったダンスを、アイリーンはまだ覚えている。
姿勢もステップもだめだめだったが、優しくリードしてくれる彼に感じた胸のときめきは、紛れもない初恋の始まりだった。
――家族を一度に失った悪夢のような七年前のあの日。あの時も、泣きじゃくる私の傍にいて手を握り続けてくれたのは、彼だった。
翠緑の瞳を涙でいっぱいにしながらアイリーンは笑みを浮かべた。
けれどそれは笑顔というにはあまりに悲痛で、水面に揺れる月影のような脆い微笑だった。
――泣けない。泣きたくない。せめて、最後まで、貴方の理想の皇女でいたい。
「アルバート様が、そうおっしゃるなら」
この片想いは実ると信じていた。
壊れるなんて、考えたこともなかった。
信じて疑わなかった未来が、砂のように崩れて手の平からこぼれ落ちていく。
片想いがこんなにあっけなく終わるものだと、彼女は知る。
立ち去るアルバートの背中をアイリーンは歪んだ視界で見送った。
彼の拳が、血がにじむほど強く握りしめられて震えていることにアイリーンは気づけない。
――さようなら、お従兄さま。
彼女の中で、恋が死んだ。
たった一粒、涙が落ちる。
この終わりが、冠へと手を伸ばす物語の始まりになった。
お読みくださりありがとうございます。
恋心を胸の奥に封じたアイリーン。けれど立場的にいつまでも悲しみを引きずることすらできません。
次話、再会する二人。
けれどアイリーンはもう、彼の知る彼女ではなく……
本作はすでに完結まで執筆済み、ハッピーエンド予定ですので、どうぞ安心してお読みください。
【第2話:貴方とはもう歩かない】本日12:00頃に更新予定です。
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※6/16 1話冒頭、銃口シーンを削除いたしました。
褒めていただくこともレビューも多かったので悩んだのですが、
すれ違い純愛の純度を高めたいなと思った結果です。
この後の展開は変わっておりません。お楽しみいただければ幸いです。




