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三年間手柄を横取りされ続けた私が転職したら、怖い先輩が私の代わりに激怒して溺愛してきた件シリーズ  作者: makubes
第三章 麗子・薫子・悠

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7/7

7話 彼氏の義姉の夫が血だらけで駆けつけて守った後、レストランで五人前食べて義母の目が優しくなった件

黒崎家の両親と食事をするのは、これが初めてだった。

連れて行かれたのは、駅から少し歩いた路地の奥にある料亭だった。

引き戸を開けると仲居が深く頭を下げ、個室に案内された。

窓の外に小さな坪庭が見える、静かな部屋だった。


義人さんは相変わらず穏やかで、颯に「仕事はどうだ」と聞いた。

颯は「問題ない」と短く答える。父と息子の会話は、いつもこんな感じらしかった。


冴子さんは料理が運ばれるたびに静かに箸をつけ、ほとんど表情を変えなかった。

綺麗な人だと、会うたびに思う。麗子さんに似ているようで、どこか違う。


食事が一段落した頃、冴子さんが私を見た。


「悠さん、颯との結婚はいつ頃お考えなの」


思っていたより直球で、私は少し咳き込んだ。


「あ、まだそういった話は……」


「そう」


冴子さんは静かに続けた。


「式を挙げるなら、麗子が挙げたところがいいわよ。あそこは良かった」


私は一瞬、言葉に詰まった。


「麗子さん、結婚されているんですか」


テーブルの空気が少し止まった。義人さんが穏やかに笑い、颯は「言ってなかったか」という顔をした。


「ええ。大和田猛という男と。三年前に」


「知りませんでした」


「家では当然の話だから」


冴子さんはお茶を一口飲んで、少し眉を寄せた。


「猛さんは悪い方ではないのだけれど……麗子があまりにも変わってしまったから、少し心配で」


「冴子」


義人さんが静かに言った。


「猛さんが麗子を変えたわけじゃない。麗子が自分で変わったんだ」


冴子さんは少し黙った。表情がわずかに緩む。


「……あなたは昔からそういうところがあるわね」


「そうかな」


「誰かに似たのかしら」


義人さんが静かに笑った。冴子さんも、口元だけ少し動いた。


私は颯と目が合った。颯は小さく肩をすくめた。



翌週、麗子さんから連絡が来た。


「買い物に付き合ってもらえる? お母さんも来るから。あと、猛も途中から合流するって。ついでに紹介するわ」


猛という人が少し気になった。颯の義兄がどんな人なのか、会ってみたいという気持ちもあった。私は待ち合わせ場所に向かった。


冴子さんは私服でも隙がなかった。麗子さんも着物ではなく洋服だったが、それでも周囲から浮いていた。二人並ぶと、街の空気が少し変わる気がした。


百貨店をいくつか回って、麗子さんが小物を見ていたときだった。


隣の売り場で声がした。


「ちょっと、何こっち見て笑ってんの」


振り返ると、派手な女性客が麗子さんに詰め寄っていた。麗子さんは涼しい顔で、相手を見た。


「笑っていませんし、見てもいません」


「嘘つかないでくれる?絶対笑ったじゃない」


麗子さんは一歩も引かなかった。静かに、でも確実に言葉を返した。

相手の声がだんだん大きくなったころ、売り場の端から数人の男たちがこちらに向かってきた。

その彼氏らしき男を先頭に、いかにも面倒そうな連中だった。


「何やってんの。俺も話聞かせてもらおうか」


先頭の男が言った。連れの男たちが左右に広がるように立った。麗子さんに一歩近づいた。


そのとき、麗子さんの手元で何かが光った。小さな機器だった。

ボタンを一つ押して、麗子さんはそれをそっとバッグに戻した。


男が一歩、麗子さんに近づいた。


「ちょっと待って」


私は思わず前に出た。男が私を見た。


「なんですか、あなたも因縁つける気ですか。私たちは何もしていません」


「あ?お前には聞いてねえけど」


「私が言いたいので言っています」


自分でも驚くくらい声が出た。麗子さんが横で私を一瞥した。その目が、少しだけ動いた。


男たちがじりじりと距離を詰めてきた。冴子さんが私の腕を引いた。引いたが、離れなかった。


百貨店のスタッフが遠巻きに様子を見ていた。誰も近づいてこなかった。


五分も経たなかった。


百貨店の入口の方から、足音が聞こえた。大きな足音だった。


人をかき分けて走ってくる人影が見えた。大きかった。本当に大きかった。

周りの人が咄嗟に道を開けた。開けないと間に合わないような大きさだった。


そのまま足が縺れて、目の前で盛大に転んだ。


どん、という音がした。床が揺れた気がした。


周囲がざわついた。床に両手をついたまま、その人はゆっくり頭を上げた。

額から血が出ていた。本人は気にしていないようだった。


立ち上がると、やっぱり大きかった。ガラの悪い男たちより頭一つ分は高かった。

それだけじゃなく、横幅も、存在の密度も、何もかもが違った。


その人は男たちを見て、穏やかに言った。


「うちの麗子に、何かようですか」


怒鳴ってもいなかった。凄んでもいなかった。ただ穏やかだった。それがかえって、とてつもなく重かった。


ガラの悪い男たちが固まった。私も固まった。冴子さんも、固まっていた。


麗子さんだけが、駆け寄った。


「猛!額、血が出てる、なんで走ってくるの、転ぶでしょう」


「麗子が呼んだから」


「そういう問題じゃないでしょう」


麗子さんの声が、震えていた。いつもの麗子さんとは、明らかに違う声だった。


ガラの悪い男たちはいつの間にか彼女を連れて消えていた。


猛さんは麗子さんに額を押さえられたまま、冴子さんの方を向いた。それから、額から血を流したまま、深く頭を下げた。


「お義母さん、ご心配をおかけしました」


冴子さんは一瞬だけ目を瞬かせた。それから静かに「顔を上げなさい」と言った。


猛さんが頭を上げて、今度は私を見た。


「こちらが悠さんですか」


「はい、篠原悠です。初めまして」


「大和田猛です。麗子がいつもお世話になっています」


またきちんと頭を下げた。額のハンカチが少しずれた。麗子さんが無言でそれを押さえ直した。



近くの外科に入ると、受付の女性が猛さんの額を見て少し目を見開いた。


「お怪我ですか」


「転びました」


猛さんが答えると、麗子さんが横から言った。


「走って転んだんです。止めたのに」


「走らないと間に合わなかった」


「間に合わなくていいから転ばないで」


「それは無理」


麗子さんが小さくため息をついた。受付の女性が少し困った顔で、問診票を差し出した。


待合室のベンチに三人で座った。

猛さんが問診票を書いている横で、麗子さんがずっと額のハンカチを押さえていた。

猛さんは書きながら、ときどき麗子さんの手ごと押さえ直した。


「自分で持てる」


「麗子が持ってくれてる方が痛くない」


「嘘ばっかり」


「本当のこと」


麗子さんは何も言わなかった。でも手を離さなかった。


私は少し離れて、スマートフォンを眺めるふりをした。


呼ばれるまでの間、二人はほとんど話さなかった。麗子さんはずっとハンカチを押さえていて、猛さんはその手の上に自分の手を重ねたまま、天井を見ていた。


処置が終わって出てきた猛さんの額には、白いガーゼが貼ってあった。麗子さんがそれを見て、少し眉を下げた。


「痛かった?」


「消毒が少し」


「そう」


麗子さんが手を伸ばして、ガーゼの端をそっと確かめた。猛さんはされるがままにしていた。


「情けない顔しないで」


「してない」


「してるわよ」


「麗子に確かめてもらえてよかったと思ってる」


麗子さんが猛さんを見上げた。


「……本当に馬鹿ね」


でもその声は、さっきより少し低かった。


冴子さんが外で待っていた。猛さんを見て、額のガーゼを一瞥して、それから小さく息をついた。


「……準備していたのね」


独り言のような声だった。私は何も言わなかった。


「義人さんにも知らせておくわ。私は悠さんと先に失礼するわ」


冴子さんがそれだけ言って、歩き出した。その背中が、いつもより少しだけ柔らかく見えた。



その後、近くの落ち着いたレストランに場所を移した。

レストランの個室で、四人で食事を始めた。


猛さんは額に大きな絆創膏を貼ったまま、悠々と料理を平らげていた。

前菜の盛り合わせをあっという間に平らげ、メインの牛ステーキを一切れも残さず食べ終え、付け合わせの野菜もきれいにたいらげ、さらにパンとスープ、お代わりのライスまで追加した。

気がつけば、もう五人前近い量を胃に収めている。


麗子さんが呆れたようにため息をついた。


「もう……本当に食べるわね、あなた」


「麗子が呼んでくれたから、力が出た」


「関係ないでしょう」


口では文句を言いながらも、麗子さんは猛さんのグラスに水を注いだり、ナプキンを直してあげたりしている。猛さんも当然のようにそれを受け入れ、麗子さんの皿に自分の取り分から肉を一切れ乗せた。


「食べて。麗子、ちょっと痩せた?」


「……馬鹿ね。太るわけないでしょう」


そう言いながらも、麗子さんはその肉をちゃんと口に運んでいた。

頰が少し緩んでいる。猛さんは満足そうに笑って、もう一皿追加で注文した。

六人前目に突入している。


私はその二人をぼんやりと見つめていた。

百貨店であの巨体で転んで血だらけになりながらも、麗子さんを守りに来た猛さん。

そして今、額に絆創膏を貼ったまま大食いしている猛さんを、麗子さんが優しい目で見つめている。

冴子さんも、時々その二人を静かに見つめていた。

さっきまで少し硬かった目が、今は穏やかで、どこか温かい。


これは使える。


食事が終わる頃、私は箸を置いて静かに言った。


「お腹いっぱいです、ご馳走様でした」

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