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三年間手柄を横取りされ続けた私が転職したら、怖い先輩が私の代わりに激怒して溺愛してきた件シリーズ  作者: makubes
第二章 今度は悠の番

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5話 彼氏の実家に連れて行ったら義姉に詰められたが、私の正体がバレたら一瞬で態度が変わった件

 黒崎の実家に向かう車の中で、颯はほとんど口を開かなかった。

 それはいつものことだ。でも今日の沈黙は少し質が違う気がして、私は助手席から横顔をちらりと見た。

 普段と変わらない無表情。でも、微妙に顎に力が入っている。

 緊張しているのかもしれない。

 それに気づいたとき、少しだけおかしくなった。あの黒崎颯が。


「着いたぞ」


 車が停まって、私は窓の外を見た。

 言葉が出なかった。

 門構えからして違った。重厚な木の門、丁寧に整えられた生垣。

 玄関までのアプローチだけで、私のアパートの廊下より長い。

 奥に見える建物は平屋だが横に広く、屋根の稜線が空に向かって緩やかに伸びていた。


「……広いですね」


「まあ」


 颯は短く答えて、先に歩き出した。

 玄関で出迎えたのは、穏やかな顔をした男性だった。

 颯より少し背が低く、目元だけが颯によく似ていた。


「颯、久しぶりだな。遠いところよく来てくれた」


「父さん」


「君が悠さんかね。話は聞いているよ、よく来てくれた」


 父親は私に向かってにこやかに頭を下げた。颯に向ける目も、柔らかかった。

 その瞬間、廊下の奥から声がした。


「お父様、こちらではなくあちらでお待ちください」


 麗子だった。有無を言わさぬ口調で、父親は苦笑いしながら「そうだな」と引き下がった。

 颯が小さく息を吐いたのが、隣で聞こえた。

 黒崎麗子。颯の三つ上の姉だと事前に聞いていた。着物姿で、背筋がまっすぐで、笑顔が上品だった。

 でもその目が私をさらりと値踏みしているのは、分かった。


「篠原悠さんね。話は聞いているわ」


「はじめまして。篠原と申します」


「そう」


 温度のない相槌だった。

 奥から現れた母親も、麗子によく似た目をしていた。


「颯、遅かったわね」


「仕事があった」


「相変わらず」


 通された部屋は広い和室で、庭園がそのまま切り取られたように見えた。

 手入れの行き届いた苔と石、奥に池。私が生きてきた世界とは、明らかに違う。

 颯はと言えば、姉と母の前では明らかにいつもより言葉が少なかった。

 何か言われるたびに、微妙に視線が泳ぐ。

 私は内心で、こっそり笑った。

 お茶が運ばれてしばらくした頃、母親が口を開いた。


「颯、薫子さんのことはどうするつもりなの。あちらも困っていると聞いているわよ」


 颯は答えなかった。


「薫子さん、小さい頃はあんなに仲良くしていたでしょう。いつも颯と手を繋いで、本当に可愛かったわ。あの子も颯のことが好きで」


 母親の声は穏やかだった。懐かしむような目をしていた。

 悪意があるわけではないのが、かえってきつかった。

 麗子がそこで私を見た。立ち上がって、こちらに近づいてくる。


「何も言わないで新しい方を連れてきても、はいそうですかとはいかないわよ、颯」


 それから私に向き直った。


「どこの誰かはまだよくわからないけれど、あなたはどういうつもりなの」


 私は背筋を正したまま、視線を逸らさなかった。

 麗子の目が、私の鞄で止まった。


「……それ、見せてもらえる?」


 断れる雰囲気でもなく、私はストラップを外して渡した。麗子が手のひらに乗せて、じっと見つめる。

 次の瞬間、麗子の目が変わった。


「……これ、シノハラユーの公式グッズじゃない」


 空気が変わった。母親も身を乗り出す。


「シノハラユーって、あの?」


「そう、あの。私ずっと探してたのよこれ」


 麗子が私を見た。さっきまでとは全く違う目で。


「あなた、どこで手に入れたの」


 私は少し迷った。でも嘘をつく理由もなかった。


「……作りました」


 沈黙。


「作った」


「はい」


「あなたが、シノハラユー」


「……はい」


 麗子と母親が顔を見合わせた。それから同時に私を見た。


「颯」と麗子が言った。


「なんだ」


「あなたはここで待っていなさい」


「……姉さん、何を——」


「私たちは悠先生と少し話をします」


 麗子は私の返事も待たずに立ち上がった。母親も続く。

 私は颯と一瞬目が合って、それから二人の後をついていった。



 別室に通されると、そこにはすでにお茶の用意がされていた。

 それから一時間、私は黒崎家の女性陣と話をした。

 作品のこと、どんな経緯で書き始めたか、次は何を書くつもりか。

 麗子は最初の印象とは別人のように饒舌で、母親も目を輝かせていた。

 話が一段落したとき、麗子がふと立ち上がって、棚の引き出しを開けた。

 しばらく探すように手を動かして、取り出したのは文庫本だった。

 表紙がすっかり色褪せていた。


「これ、先生の二作目。発売日に買ったの。もうずっと好きなのよ」


 差し出されたその本を受け取って、私はページを開いた。

 端が丁寧に折られているところが、何箇所もあった。


「……読んでくださっていたんですね」


「読んでいたどころじゃないわ。颯が仕事ばかりで話し相手もいない時期、ずっとこれだったんだから」


 麗子は少し苦笑して、またお茶を注いだ。それから、ふと思い出したように顔を上げた。


「そういえば、先生の新シリーズ。あれ、颯はどう言っているの?」


 私は少し間を置いた。


「……読ませていません」


 麗子の目が止まった。


「あら。どうして」


「主人公が、男性同士で」


 静寂。

 母親がお茶を持ったまま固まった。麗子がゆっくりと私を見た。


「つまり」


「はい」


「先生の書くあの繊細な恋愛が、男性同士で」


「……はい」


 麗子と母親が顔を見合わせた。それから同時に私を見た。

 二人の目が、じわじわと輝いていく。


「颯は知らないの?」


「知りません。できれば、このまま」


「……そう」


 麗子は本を棚に戻して、居住まいを正した。今日はじめて、本当に笑った顔をしていた。


「あなたのことは、気に入ったわ」


 颯がどこで何をしているかは、知らない。



 帰り際、玄関まで見送りに来たのは父親だった。


「悠さん、また来てくれると嬉しいよ。颯のことをよろしく頼むよ」


「……そうだな」


 颯は短く答えた。

 父親に頭を下げて、車に乗り込んだ。門を出てしばらくしてから、颯が口を開いた。


「悠、先生って?」


 私は少し黙った。


「別室で何を話していたんだ」


「作品のことを色々と」


「作品?」


「……小説を書いていて。それで」


 颯がちらりとこちらを見た。


「小説」


「はい」


「知らなかった」


「言う機会がなくて」


 颯はしばらく前を向いたまま黙っていた。信号で車が止まったとき、また口を開いた。


「今度読ませてくれ」


「そ」


 私は一瞬固まった。


「それは、秘密です」


「なぜ」


「秘密なので」


「……」


「秘密です」


 颯は何も言わなかった。でも納得していない顔をしているのが、横顔でわかった。

 私は窓の外を見ながら、少しだけ冷や汗をかいた。



 夜、二人でいつもの居酒屋に入って、向かいに座った颯にビールを渡した。

 お母さんの言葉が、まだ頭の隅に残っていた。いつも手を繋いで、可愛かったわ。

 私の知らない颯と、私の知らない薫子さんの話。


「聞いていいですか」


「なんだ」


「薫子さんのこと、どう思っているんですか」


 颯はグラスを置いて、少し考えてから答えた。


「幼馴染だ。妹みたいなものだと思っている。それ以上でも以下でもない」


 まっすぐな目だった。いつも通りの、嘘をつかない目。

 私は少し息を吐いた。


「分かりました」


「信じるのか」


「信じます」


 颯が静かに私を見た。

 私はグラスを両手で包んで、颯を見た。


「颯」


 颯が目を向けた。


「私にも頼ってください。ひとりで抱えないで」


 颯はしばらく黙っていた。グラスを置いて、カウンターの木目を見て、それから口を開いた。


「頼ってもいいか……」


 私はそれを聞いて、少しだけ笑った。

 前に同じ場所で、同じように言葉をもらったことがある。

 あのとき私に言ったことを、今度は私が言っている。


「……当たり前、なんですから」

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