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第三十二片 ささやかな修繕と、いびつな星座 

 ベッドの上に広げた分厚い麻のローブには、右膝のあたりに無惨なかぎ裂きができている。

 先日、森の斜面で木の根につまずいて転んだときに、泥と一緒に擦り切れてしまった痕だ。たらいの水でごしごしと洗濯をして土の汚れは粗方落ちたけれど、ぽっかりと口を開けたその穴からは、部屋の冷たい空気が容赦なく入り込んでくる。


 意識のずっと奥底にある、あの理不尽な回路を開けば、こんな布のほつれを直すことなど瞬きひとつするだけで終わるのだと思う。

 防具強化であるとか、加護の付与であるとか。そんなでたらめな奇跡を起こして、完璧を通り越した頑丈で美しい一枚のローブができあがる。


 そんな光景を思いながら、わたしは街の裏通りにある薄暗い小間物屋で赤銅貨数枚と引き換えに手に入れてきた、少しだけ錆の浮いた鉄の針と、ごわごわとした太い糸を手に取った。


 窓から差し込む乏しい光を頼りに、針のちいさな穴へ糸を通す。ただそれだけのことに随分と手間取って、ふう、と息が白く濁る。ようやく糸が通ると、わたしは不格好なかぎ裂きの端と端を不器用に寄せ集め、硬い布地に力任せに針を突き立てた。


 麻の生地は想像以上に分厚くて、安物の鈍らな針はなかなか貫通してくれない。指先にぐっと力を込めた拍子に、つるりと針の頭が滑り、親指の腹をぷすりと刺してしまう。


 ちいさな痛みが走り、そこから赤い血がぷっくりと丸い玉になって滲み出す。わたしはそれを舌打ちもせずに口にくわえて吸い、少しだけ鉄の味がする冷たい唾液を飲み込んだ。自分の不器用さがもたらした、ひどく正当で、ささやかな罰。


 ただひたすらに布の裂け目を塞いでいく。表と裏を交互に針が通り抜けるたび、そこにはミミズが這ったような、ひどく歪で無骨な縫い目が出来上がっていく。

 このひもじい生活を長引かせるための、みっともない継ぎ接ぎでできたわたしの輪郭。


 作業を終えて、生地からちょっと距離を取って、針仕事の成果を確認する。縫い目はがたがたで、等間隔からはほど遠く、まるでひどく迷いながら歩いた足跡みたい。

 ところどころ布がひきつれていて、どう見ても不格好で。でも、薄暗い部屋の中でその縫い跡を指の先で撫でてみると、それが夜空に浮かぶいびつな星座のように見えてくる。白鳥にも、さそりにもなれない、誰にも名前をつけられない星の連なり。


 奥底の力で修復したって、ほんとうはよかったのだと思う。けれど、わたしと一緒に日々を歩んできた服が、昨日までの損傷をなかったことにして、ただの無菌の幻影になってしまうのがいやだった。

 わたしが確かにあの森で転び、泥にまみれ、血を流したという生々しい代謝の記録が、不器用な手で縫い合わせたこの不格好な傷跡として残っていて欲しかった。


 重力に引かれて転倒し、服を破き、痛い思いをしながら針を動かす、ただの脆弱な肉の塊でいること、その圧倒的なままならなさが、わたしがこの歪な異世界で、ひっそりと呼吸を続けるための何よりの免罪符になる。


 出来上がったそのひどい有様のローブを羽織ってみる。右膝のあたりに、ごわごわとした硬い糸の塊がこすれて、少しだけ違和感がある。でも、そのささやかな摩擦と布の重みこそが、わたしをこの部屋の床に、そしてこの世界の地面に繋ぎ止めてくれる確かな錨のように思えた。


 どうせ誰も、わたしのこのいびつな縫い目に気づくことはないし、気にかけることもない。

 ほころびては、下手くそに縫い合わせて、そうやって時間をやり過ごしていく。その正しい手間に、ほんとうのさいわいがあるのかどうかは、わたしにはわからない。


 それでも、わたしは明日もこの継ぎだらけの分厚い鎧に身を包み、誰の物語にも干渉しない、路傍の石ころとしての一日を生きていくのだ。

 指先に残る微かな針のひりつきを撫でながら、わたしは冷え切った白湯をゆっくりと喉の奥へ流し込んだ。

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