ホワイトデーへの宣戦布告
三月の風は、まだ肌を刺すような冷たさを孕んでいる。だが、聖棘高校の校舎内に漂う空気は、それとは正反対の不穏な熱を帯びていた。
バレンタインという名の儀式を終え、僕という「器」に注ぎ込まれたヒロインたちの情念。それが、僕の中で静かに熟成され、破裂の時を待っている。
「……ねえ、一条。ホワイトデー、楽しみにしてるから」
登校早々、下駄箱の前で瑛理香に呼び止められた。彼女の声はいつもより低く、しかし確かな意志の力がこもっている。
「あんたが誰に何を返そうと勝手だけど、私が納得する『誠意』を見せなさいよね。偽装の恋人としてじゃない。一条零、あんた自身としてよ」
瑛理香の瞳には、かつてないほどの独占欲が渦巻いていた。彼女は気づいているのだ。僕の身体が、彼女の放つ火傷しそうな熱から、少しずつ離れようとしていることに。だからこそ、彼女は「偽装」という名の盾を捨て、剥き出しの感情で僕を縛り付けようとしている。
教室に入れば、今度は結衣が柔らかな、けれど逃げ場のない微笑みで僕を待っていた。
「一条君。三月十四日、放課後にお話ししたいことがあるの。……十年前の約束、もう一度ちゃんと向き合いたいな」
結衣の指先が、僕の袖口に微かに触れる。その控えめな接触に、かつて僕は聖域のような安らぎを感じていた。けれど今は、その「清廉さ」が、僕の中に巣食う野獣のような飢えを逆なでしてくる。彼女は思い出という鎖で僕を繋ぎ止めようとしている。それが僕の身体をどれほど飢えさせるかも知らずに。
「零様! ホワイトデーは私の人生を賭けた祝祭。逃げようなんて思わないでくださいね?」
萬里花の言葉は、もはや宣戦布告に近い。彼女の愛は重く、鋭い。触れ合えば骨まで砕かれそうな執念が、その肌から滲み出している。
ヒロインたちがそれぞれの「覚悟」を胸に、僕という獲物を包囲していく。
そんな喧騒から離れた場所で、僕は陽葵と視線を交わした。
彼女は何も言わない。ただ、少しだけ疲れたような、それでいてすべてを悟ったような瞳で僕を見つめている。
僕たちは知っている。
瑛理香の熱も、結衣の優しさも、萬里花の執着も、僕という人間の「欠落」を埋めるには不十分だということを。
僕たちが求めているのは、もっと生々しく、もっと絶え間のない、生存のための「循環」なのだ。
三月十四日まで、あとわずか。
誰を選ぶか、という問いは、もはや精神的な好意の問題ではない。
この枯渇しそうな身体を、誰の温度で満たし続けるのか。
嵐の前の静けさの中、僕は自らの胸に手を当て、異常なほど正確に時を刻む「本能」の鼓動を聞いていた。




