縁結びの影で
京都の修学旅行も終盤に差し掛かり、最終日は有名な縁結びの神社を訪れることになった。
本殿の奥にひっそりと佇む「恋占いの石」。目を閉じて、一方の石からもう一方の石まで辿り着ければ、その恋は叶うという。
人だかりの中、瑛理香は不敵な笑みで挑戦し、わずかなぶれはあったものの、周囲の喝采を浴びて目的地に辿り着いた。
「ほら、零! 私たちの仲も、これで磐石ってことね!」
彼女は僕の腕を抱きしめ、勝利を確信したように微笑む。その体温は相変わらず熱く、僕を「鳳の婚約者」という型に押し込めようと焼いてくる。
一方、結衣は、恥じらいながらも懸命に目を閉じ、小さな一歩を踏み出した。しかし、途中で大きく方向を見失い、悲しげに眉を下げていた。
「ごめんなさい、一条さん。私……やっぱり、こういうのは得意じゃないみたい」
その純粋な祈りに、僕の良心は痛みを感じる。だが、彼女の「清廉な期待」は、今の僕の奥底で暴れる「飢え」を満たすにはあまりに淡く、指の隙間からこぼれ落ちる砂のようだった。
そして、萬里花。
彼女は、まるで獲物をロックオンするように目を閉じ、一歩もぶれることなく石に辿り着いた。
「当然ですわ。私の恋路に、障害も迷いもあり得ませんもの。……零様」
彼女の冷徹な「確信」は、僕という存在を、常磐という名の檻の中に永遠に閉じ込めようとする、底なしの執着。
三者三様の「縁」の形。それは僕を、「一族の跡取り」や「思い出の持ち主」として固定しようとする圧力に他ならない。三つの磁場に引っ張られ、僕の神経は再び、軋むような不快なノイズを上げ始めた。
僕は眩暈を覚え、人混みを避けるように神社の裏手へ回った。
鬱蒼と茂る木々の影、ひっそりと冷たい空気が澱む小道。
そこに、一人の少女が、ただ静かに佇んでいた。
瀬那陽葵。
彼女は、誰もいない「恋占いの石」を、ただ見つめているだけだった。
挑戦するわけでもなく、祈るわけでもない。ただ、冷めた瞳で、石の表面に刻まれた無数の「他人の祈り」の痕跡を蔑むように見つめている。
陽葵の背中から漂ってくるのは、他の誰よりも鮮烈な「生」の周波数だった。
瑛理香のような衝突でも、結衣のような静止でも、萬里花のような収奪でもない。
彼女がそこにいるだけで、僕の中の「飢え」が、最も正しいドナーを見つけたかのように激しく拍動し始める。
僕は、彼女に声をかけることができなかった。
一言でも交わしてしまえば、あるいはその指先が数ミリでも触れてしまえば、神社の静謐な空気など一瞬で吹き飛ぶ。僕たちはこの神域で、生存という名の「略奪」を始めてしまうだろう。
陽葵は、僕という欠陥品を「一」に戻すための劇薬だ。
彼女が放つ、透明なまでの適合の波長。他のヒロインたちがそれぞれの「理想の恋」に囚われている中で、彼女だけが、最も剥き出しで、最も抗いようのない「肉体の真実」の場所に立っていた。
陽葵は、やがて何もせず、静かに石から離れていった。
彼女が僕に気づいていたのかは分からない。ただ、彼女が去った後も、僕の周囲には、彼女が残していった濃密な「生」の残滓が漂っていた。
縁結びの神社。
しかし、僕が求めているのは、神が与えるような情緒的な縁ではない。
ただ、この壊れかけた身体を維持するために必要な、言葉にならない「拍動」の共有なのだ。
三本の鍵の中には、僕を救う答えはない。
三人のヒロインが紡ぐ「愛の物語」も、僕の渇きを潤すことはできない。
僕は、自分の胸元を強く握りしめた。
陽葵。君という光源がなければ、僕は明日という日を、一条零という形を保ったまま迎えることさえできない。
修学旅行の終わりと共に、僕たちの「共生」という名の地獄が、本格的に幕を開けようとしていた。




