第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五十
幻覚の一種なのは、アタマで分かっている。
当然だ。
いくらガルーナの野蛮人でも、過去と現在を間違えることはない。これは、『ギルガレア』の罠でしかないのだから。
それでも。
セシルを殴る影がいた。七歳のセシルを殴るバルモアの兵士どもが……お袋の姿も見えた。敵どもをにらみつけていた。殴られて、斬られて。血まみれになっても、怒りに燃える真っ直ぐな、おふくろらしい目だったよ。
炎のなかに。
みんながいた。
ストラウス家と共に生きてくれた、村の……みんなが。
焼けていく。
断末魔の叫びさえも、黒く焦げていく。
女子供と年寄りしかいなかったのに。若い男たちや、戦士は、バルモアと戦うために出撃していたのに。残酷に、痛めつけた。とんでもない憎しみが、バルモアどもにはあった。オレたちのせいだろう。
ストラウスの竜騎士は、親父と兄貴たちと……竜と、オレとアーレスは。大勢の敵を殺したから。それが、悪かったとは思わん。
戦士とは、敵を殺し、奪い、守るのが仕事だ。
目の前ではない―――ただの記憶に過ぎない。アーレスの魔眼が見せてくれた、真実だが、過去のものだ。
届くはずがない。
あのときも、届かなったじゃないか……。
記憶は、いくら鋼で斬りかかっても。ストラウスに伝わる竜太刀をもってしても、絶対に届くことがないのだから。
「あにさま!!あつい!!あついよう!!」
―――ああ。知っている。
罠だ。こいつは、『ギルガレア』の罠だってことは、アタマで理解しているんだよ。教え込もうとしているに違いない。過去を、救う方法を……それは、本物でなかったとしても。このとてつもない心の痛みを、セシルがいない空虚を、みんなを助けられなかった苦しみを。
孤独を、埋めてくれるのだ。
ありえなかったことをする。
現実ではないが、まるで現実のように、竜教会のなかは熱くて。血と命と叫びが焦げていくにおいに満ちていて。
それでも。
走れる。
『今』は、ここを駆け抜けられた。
あのときは間に合わなかったが、今は、今日は……間に合っていた!!
竜太刀を振るう!!
『ストラウスの嵐』を叩き込み!!片っ端から、バルモアどもを殺す―――どいつもこいつも、今のオレとアーレスならば、敵ですらないのだからな!!
敵どもを斬り裂いて……。
泣きじゃくりながらも、喜んでいるセシルを見た。
「あにさま!!やっぱり、来てくれた!!」
殴られて腫れた顔で、セシルは笑ってくれるのだ。
9年もかかった復讐よりも。
復讐の果てに得た、記憶のなかに感じられた笑顔よりも。
……このときに間に合った方が、笑顔は大きくて。強くて、深くて。かがやいている。
「セシル!!」
大切な名前を呼んだ。もう記憶にしかいないはずのセシルが、抱き着いてくれる。オレと同じ赤い髪。オレの妹。オレが絶対に守るべき命。いつか、『未来』で、ストラウスの赤い髪を持った、新しい竜騎士の母親になるべき少女だ!!
間に合っていた。
間に合ってしまっていた。
抱きしめて、世界でいちばん幸福な顔で、泣きじゃくりながら。赤い髪に、あにさまは鼻を埋める。
セシルのにおいがした。セシルのあたたかさがあった。セシルが、いた。
……間に合えていたら。
運命を変えることが出来ていたら。
こんな幸せを、腕のなかに……迎えて、いられたんだな――――――。
「あにさま!!あつい!!あついよう!!」
叫びが。
叫びとね、炎がね。オレの腕のなかで、暴れていた。もがいていた。必死に、叫ぶ。オレが間に合ってくれるはずだと、期待して、信じているセシルが……現実のセシルが、そこにいた。
「セシル!!セシル!?セシルッッッ!!!」
抱きしめて、火を消そうとしているのに。あにさまは、必死に、お前の体を炎から助けようとしているのに。炎が、消えてくれない。
ああ。
遠ざかるんだ。
遠ざかってしまう。
遠くに、遠くに……セシルが。
間に合わなかったという、現実に。引きずり戻されてしまう。
壊れそうになった。
いや、壊れていたかもしれん。
それは、そうだろう。オレは、助けられていたはずのセシルを、また、失ったのだ。助けられていたんだぞ!!あの9年間を遡って、セシルのところに戻れたはずなのに!!バルモアの悪人どもを、八つ裂きにして、助けられたはずだったんだぞ!!
それなのに!!
ただ繰り返すだけじゃなく、助けられたはずのセシルを、焼きやがって―――。
ああ。
怒りで、血が沸騰しそうになる。
とんでもなく大きな声で、叫んでいた。
遠ざかる。ガルーナが、セシルが、おふくろが……オレが間に合っていたら、してやれた奇跡が!!何よりも、嬉しいことが!!
泣く声に、悲鳴に、焦げた死のにおいに。
戻っていくんだ。
赤く燃える、あの小さな骨に。
全てが、成り果てていく。元に、戻ってしまっていく。オレの腕から、全てがこぼれおちて―――。
「……悪神め!!お前は、お前は、やはり『侵略神/ゼルアガ』だぞ!!『ギルガレア』ああああああああ……ッ!!許さん!!許さん!!オレを、オレを……ッ。こ、こんな目に、遭わせやがってえええええええええええええッッッ!!!」




