第三話 『愛する者に不滅の薔薇を』 その六
マルド・メロとセザル・メロは、大いに間違っていたことが、この男を見ているだけで分かる。あの二人は、歪んでいたのだ。目的の大きさも、目的の方向も、ある意味では正しかったのかもしれないが、方法論が歪み過ぎていた。
「人体実験を、繰り返していました。『寄生虫』の能力を、向上させるためだったのでしょう。錬金術は……あれを、錬金術と言っていいとは思えませんが……マルド・メロは研究熱心で、ドワーフを死なせることも、おそらく帝国人を死なせることも厭わなかった」
「悪人だが、ちゃんと殺した。君と、君の友人たちの仇の一人は討ち取ったのだ」
「……マルド・メロは、リヒトホーフェンの部下ですよね」
「そうなる。全ての元凶は……これらの惨劇の中心的な指導者は、リヒトホーフェンに他ならない」
「……帝国人は、大陸の各地で残酷な略奪者です。しかし、リヒトホーフェンは、また一段と異質な気がしています。広大な、領地の支配者なのに……どうして、邪悪な道を進むのか……」
「理由は本人のみぞ知る。暴走している野心は、限界を知らん。止めねばならない」
「ええ。協力は、惜しみません。その……質問を、してください。感情の整理が、まだついていない。体力は落ちていますし、あの呪毒の煙は、まだ私を痛めつけている。冷静な判断を、出来そうにありません。指示を、くだされば、それに従うことはやれるはず」
虜囚となっていたことで、心に深い傷を負っているのかもしれない。腰の裏に下げたカバンから、羊皮紙を一枚取り出した。
「それは……『ルファード』の地図……?」
「帝国の……リヒトホーフェンの支配には、多くの者が反感を抱いている。これは、『オルテガ』から来た行商人にもらったものだ。『ルファード』攻略のために使って欲しいと、提供されたのだ。彼はシモンという。人間族だが、巨人族の友人が侵略戦争で子供を亡くしていた。復讐のために、オレに協力してくれたのだ」
「侵略は、いけないことですね」
「そうだな」
「多くの者を、不幸にしてしまう……取り戻すべきです。奪い返さないと……た、戦いたい。ああ……しかし、馬車に自らの力で、上ることもやれない……ッ。わ、私は、建築家に戻れるのか……ッ」
「戻れるさ」
「ストラウス卿……」
「なぐさめるためだけの言葉ではない。『寄生虫』は呪毒で除去された。そして、呪毒も徐々に体から抜けて行く。ドワーフの身体能力の底力を信じているし、こちらの医療チームは充実している」
「医療チーム……」
「錬金術師に良い感情はないかもしれないが、オレのお抱えの錬金術師は、世界で一番だ。どんな症状でも緩和する薬を作り上げてくれる。研究と対策は、この瞬間にも進んでいるんだよ。多くの専門家が、『寄生虫』がもたらした悲劇に挑んでいる。彼らは、勝つぞ」
ルクレツィアだけじゃない。サルマたちもいる。森のエルフの薬草医の息子ジョナサンも、メダルドの主治医も……死んでしまったが、ボブ・カートマンも、きっと、この戦いをあの世から応援してくれているはずだ。
「……ストラウス卿は、本気で信じているんですね」
「もちろんだ。君も、健康を取り戻す。また、建築家として働けるようになる。信じてみるがいい。この不幸に、挑もうとしている専門家たちの力と意志を」
「……ええ。貴方が信じている方々を、貴方に助けられた私は信じてみます。そう、ですね。この体調については、専門家に任せましょう……私は、私の知識と経験を、使います。建築家に戻る前に、倒すべき敵がいる」
「この地図の裏に、迷宮都市『オルテガ』の概略を描いてくれるか」
「全てを書き尽くすのは、難しい複雑さですが……」
「欲しいのは、君らがいた『研究施設』のような場所だ。マルド・メロの研究の拠点。君のトラウマに触れることになるかもしれないが、そこは調べたい場所の一つに他ならん」
ドワーフの建築家は、青ざめた。おぞましく、痛ましい記憶と戦っているのだろう。呼吸まで荒くなり、青ざめた顔には苦悶の汗が垂れていくが……無言のまま、待った。
恐怖も悪夢も、克服できる。
この男は、専門家だ。専門家という者は、その道を進むために、何度も挫折している。それでもなお道を進み続けた者だけが、専門家と呼ばれる者になる。戦士の道も、建築家の道も同じだ。
「君の職業が、勇気を与える」
「……っ。そう、ですね。私は、建築について、誰にも負けはしません。動けなくても、頭脳は明瞭に機能していますから……心の痛みなどに……恐怖などに、負けません。か、紙を、ください」
「ああ。これだ。それと……この木炭で良いだろうか?」
「馬車の上では、羽ペンよりも、ずっと使い勝手が良いですから。そちらでお願いします」
木炭チョークを渡すと、ドワーフの建築家は、驚くような早さで地図を描いていく。こちらも地図作りの特技を持っているからこそ分かるが、彼は天才的な空間把握能力の持ち主か、あるいは、記憶能力の達人なのだろう。
迷いなく、主要な街路が描かれていき、三重……いや、場所によっては四重にさえ構築されている迷宮と呼ぶのに相応しい複雑さを持つ城塞も完成していく。迷いがないからこそ早く、そして、描写の線がぶつかることさえない。
「素晴らしい建築家のようだ。君は、オレが知っている職人のなかでも、トップクラスかもしれんぞ」
「……思い出していたんです」
「思い出していた?」
「……各都市国家の建築家ギルドを回って、修行中だった若手のころ……軍事要塞の作り方を学ぶために、『オルテガ』に行きました。あのころとは、かなり、構造が変わっていますが……それでも、同じところもあります」
「増築していったわけだからな」
「奴隷として『ルファード』から『オルテガ』に運ばれたとき、記憶と現在を照合することしか、することがありませんでした。だから、檻の外で見える『オルテガ』を、しっかりと観察していた。牢の窓から見える、その街並みも……記憶を使いました。若いころの思い出と、鋼の隙間からわずかに見える光景を、混ぜ合わせて……思い出のなかで、散歩したんです。他に、することもなかったから……はい。これが、今の『オルテガ』です」
ものの数分のうち、天才は『オルテガ』の地図を完成させていた。




