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緋の扉2 ~いつかの断片~  作者: 緋龍
災いの知らせ
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7話 惨劇の記憶

 ――いいかい、絶対にここを出るんじゃないぞ。声を出さずにじっとしていれば大丈夫だから。リマーラ、ナナリノを頼むな。


 外は危険って知ってるのに。なのにお父さんはどうして行こうとするの?


 ――父さん! 父さんも一緒にいようよ!


 そうよ、三人で隠れていれば大丈夫。だってここは安全だから。


 ――ごめんな、リマーラ。それは出来ないんだ。母さんがいない間お前たちを護るって、母さんと約束したからな。


 行っちゃ駄目だよ。帰って来れなくなる。


 ――でもっ!


 行かないで。お願いだから行かないで。


 ――なに、母さんが帰ってくるまでの辛抱だ。じゃあ静かにしてるんだぞ。


 待って。どうして聞いてくれないの。こんなにお願いしているのに。


 ――父さん!


 

「お父さんっ! ――――あぁ、また見ちゃったな」

 

 ナナリノはベッドの上でゆっくりと上体を起こした。眼尻から一筋の雫が頬を伝って落ちる。

 嫌な夢。十六年も前のことなのに、この夢を見るとあの惨劇がつい昨日のように思えてくる。


「はっきり顔も覚えてないのにね」


 十六年前、リムストリアの南部にある辺境の村が、突如、獣の大群の襲撃に遭い、一夜にして滅んだ。

 村の名前はヲロン。生存者は、襲撃の際、村を離れていた者を除けばわずか五名。その全員が子供だった。

 ナナリノもその中の一人で、姉のリマーラと二人、家の床下を掘って作った、食べ物などを保存しておく貯蔵庫に隠れていて助かった。当時ナナリノは三歳、リマーラは十二歳だった。

 二人に隠れているように言った父親は、獣に噛み殺された。といっても、よく覚えておらず、数年後リマーラに訊ねると、あんな姿を覚えておく必要はないと言われた。よほどひどい有り様だったであろうことが、容易に想像できた。

 しかし、無残な最期を覚えていない代わりに、顔も覚えていなかった。穏やかで優しい父だったと、ぼんやりとした記憶はある。声も何となく覚えている。なのに、何度夢に出てきても、顔の部分はそこだけ穴が開いたかのように真っ白なのだった。


「ナナ! ナナリノ! いい加減起きないと遅れるよ!」


 階下から聞こえてきた大きな声に、ぼうっとしていたナナリノは、びくっとなってベッドから飛び出した。

 二年前の十七歳のとき、ナナリノはリムストリアの兵士に志願した。強くなって誰かを護りたいと思ったからだ。リマーラもすでに国を護る一員になっており、姉は憧れであり目標だった。 

 厳しい訓練に耐えること、二年。ようやく訓練兵から正規兵となり、今日は正規兵として町の警備にあたる最初の日。初日から遅れる訳にはいかなかった。


「すぐに降りる!」


 寝間着を脱ぎ捨て、真新しい深緑色の制服に袖を通すと、鏡を見る間も惜しんで部屋を出る。階段を駆け下りると、香ばしい匂いがナナリノの鼻を刺激した。


「おはよう、お母さん」


「おはよう。さっさと顔洗ってきなさい。朝三の鐘が鳴るまでもう半刻もないよ」


「はーい」


 ナナリノが母と呼んだ女性は、片手を腰に当てて井戸がある裏口の扉を指差した。

 ナナリノとリマーラ姉妹の母、ヨクルチァ。四十も半ばを過ぎているにも拘わらず、褐色の肌と黒い髪には艶があり身体はしっかり引き締まっている。三十代前半でも十分通用するだろう。

 ヨクルチァは、五年前に負った右足の怪我で引退するまで賞金稼ぎを生業としていた。“疾風のクル”という通り名を持ち、リムストリアの賞金稼ぎの間では結構有名な存在だったのだ。

 引退したあとは砂漠の町ユイレマで宿屋『風の名残』を開き、今度は名物女将として近隣の村に名を馳せている。怪我の後遺症で激しい運動は出来ないが、それでも毎日欠かすことなく鍛錬を続けており、それが若さの秘訣に違いないともっぱらの噂になっていた。


「二人とも兵士になるなんて、あたしの影響なんだろうけど、一人くらい結婚してここを手伝ってくれてもいいのにねえ」


 十六年前の惨劇の日、ヨクルチァは村にいなかった。村人の病を治すため、砂漠を抜けた先にある小さな森まで薬草を取りに行っていた。ヲロン村は砂漠に囲まれた辺境の地にあり、どこへ行くにも危険が付きまとう。恐ろしい砂漠の獣を倒せる腕を持つ人間は他にもいたが、ヨクルチァが頼まれることが多かった。一番強かったからだ。

 それが災いした。

 ヨクルチァがいれば、村の運命は変わっていたかもしれない。事実、倒壊し燃え上がる家々の間を動き回る百頭近い獣を、彼女はたった一人で倒した。泣きながら、叫びながら、服の色が変わるまで返り血を浴びながら。それでも剣を振り矢を放ち続けた。

 全ての獣を倒し、隠れていた子供たちを助け出したヨクルチァは、彼らを抱きしめて何度も謝った。村の皆を助けられなくてすまなかった、と。村にいなかった彼女に非はない。村が獣に襲われるなど誰も予想だにしなかったのだから。

 それでも謝らずにはいられなかった。子供たち、村に戻ってきてその様相に呆然とする村人、誰からも責められなくともヨクルチァは自分を許せなかった。

 愛する人の亡骸を埋め、村人の亡骸を埋めたヨクルチァは、ナナリノとリマーラを連れて国中を転々とした。二人を育てながら、人に害をなす獣を狩り続けた。

 そんな危険を冒しながらも、二人が無事に育ってくれたことには感謝している。しかし、もう少しおしとやかになってくれても良かったのにと、自分の性格や行動を棚上げにしたヨクルチァは思うのだった。


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