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緋の扉2 ~いつかの断片~  作者: 緋龍
災いの知らせ
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5話 世界を知る

 深い知性を湛えた瞳を、噴水の縁に置かれた林檎に向けてから、エルはゆっくりと水瓶に近づく。鼻をひくつかせ、中の石を見た彼は、唸るような低い声を発し、しばしの間考え込むように瞳を閉じた。


「エル? これが何か知っているの?」


 フェリシアが訊ねる。他の面々は、ただ黙って答えを待った。

 風が吹き、草木が音を立てて揺れる。生温い風からは、夏の匂いがした。


「世界ノケガレ、ヨドミ、ソウイッタ負ノモノガ、永キ年月ヲカケテ地中デ結晶トナル。結晶ハ海ニ流レ、再ビ永キ年月ヲカケテ浄化サレル。ソウシテコノ世界ハ保タレテイルノダ」


 眼を開けたエルは、己より遥かに短命の生き物に、静かに語った。


「……そうやってこの世界は清浄を保っていたのね。知らなかったわ」


 フェリシアは、喜びとも哀しみともつかない、複雑な感情が篭った息を吐く。ライカも初めて知る事実に驚いていた。

 空が、海が、大地が。美しいのは当たり前だと思っていた。当たり前すぎて考えもしなかった。世界が自浄していたなど。


「これは世界の穢れそのものなんだな」


「我モ実物ハ初メテ目ニスル。一部ノ人間ガ死獄石シゴクセキト呼ンデイルト、昔、オサガ言ッテイタ。結晶ガ放ツ匂イガ、獣ノ思考ヲ狂ワセルカラダロウ。我ラノヨウナ知性ノ高イ生キ物ニハ、アマリ影響ハナイノダガナ」


「思考を狂わせる匂い……だから紅鎌魚が狂暴化したのですね」


 ティアナンが呟きながら何度も頷く。


「ココニ置イテオクノハ感心セヌ。赤ノ団長、結晶ヲ海深クニ還スガヨイ。姫モ異存ハナイナ?」


「ええ、もちろんないわ」


「分かりました。責任をもって海に沈めます」


 そう言って敬礼し、ヴォードは後ろにいるティアナンに視線を送る。ティアナンはすっと前に出て、蓋をしてから水瓶を抱え上げた。


「ティナ、その水瓶、城で割るんじゃねえぞ。翼竜が暴れ出しでもしたら洒落にならねえからな」


「兄さんならともかく、僕はそんな子供みたいな失態は犯しません」


 意地の悪い笑みを浮かべるイシュヴェンを、冷たい眼で睨むティアナン。そんな仲が良いのか悪いのか分からない兄弟を横目に、エルは林檎をかじりはじめた。どうやら早く食べたかったらしい。

 そろそろマールが戻ってくるころだろう。そう思ってライカが庭園の入り口に視線を向けると、ちょうど彼女が小走りで駆けてくるところだった。

 城内は走るなとあれほど言っているのに。ライカは内心深々と溜息を吐いた。


「姫様ー!」


 茶色の髪を揺らして走ってきたマールは、ぺこりと頭を下げると、いつもの緊張感のない間延びした声で喋りだした。


「あのー、ダレス様がお見えになってますー。火急の報告があるそうですー」


「ダレス団長も? 今日は報告ばかりね」


 フェリシアが苦笑していると、長身の黒髪の騎士が堂々たる足取りで歩いて来る。

 ダレスはフェリシアの前で敬礼すると、一瞬だけライカに視線を向けた。


「定期報告以外で三人が揃うなんて珍しいですね。何かの前兆でなければよいのですが」


「偶然だろ? たまにはこんな日もあるって。なあ、ルーク?」


「お寛ぎのところ申し訳ありません」


 グレアスとヴォードを完全に無視し、第三騎士団団長は低い声で話し出す。


「およそ四半刻前、城壁に一羽の姫鳥ひめどりが激突し息絶えました。騎士団の使用している姫鳥ではありませんでしたが、このようなものを携えておりまして、急ぎ報告に参った次第でございます」


 ダレスは小さく巻かれた紙を取り出し、恭しく差し出す。受け取ったライカは、フェリシアにその紙を手渡した。


「…………これを書いた人物は?」


 文面を読んだフェリシアの顔が、すっと厳しいものに変わる。それを見て全員が表情を引き締めた。


「調査中です。ですが……」


 そこで一度口を閉ざし、ライカを見て躊躇うような素振りをダレスは見せた。感情を表に出すことが稀な彼にしては、かなり珍しい態度だった。

 まさか。嫌な予感がライカの頭をよぎる。

 

「ですが、死亡した姫鳥は、片目が潰されていました」


 紡がれた言葉に、フェリシアは勢いよく椅子から立ち上がった。ライカは身体の前で合わせていた手をぎゅっと握りしめた。

 予感は当たった。


「ではこれを書いたのはまさか――!?」


「おそらく」


 重々しくダレスは頷く。

 フェリシアは、少しの間、額に手を当てて俯いていたが、すぐに顔を上げると『戦の護』らしい威厳のある表情で口を開いた。海のように蒼い瞳がきらりと光る。


「……イシュヴェン副団長、ティアナン副団長、二人は下がってください。ご苦労様でした。マール、二人を控えの間に」


「畏まりましたー」


「はっ、失礼致します」


「失礼致します、フェリシア様」 


 拳を胸に当てて踵を返すザァレム兄弟と、二人を先導するマール。三人の姿が完全に見えなくなってから、フェリシアは無言でライカに紙を渡した。

 紙にはこう書かれていた。


 ――南を包む滅びの息吹は、やがてローディスを覆いつくす。絶望に身をゆだねる者に、与えられる希望とは何か。   

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