終話 闇が消える
「其方たちには本当に世話になった。なんと言えばよいのか……相応しい言葉が見つからぬが、感謝している。……ありがとう」
一日の始まりを告げる合図、眩い陽の光が差し込むを執務室で、リムストリア女王シャラトゥーラは、ローディスの騎士に頭を下げた。
死者百数十名、負傷者多数。
リムストリアの中枢、王都トゥオネが受けた傷はあまりにも大きかった。傷を負った者はもちろんのこと、幸いにして無傷だった者の心にも、今回の出来事は深い爪痕を残した。
死者の中には重臣や貴族も多数おり、立て直すには少なくない刻が必要だと思われた。
「もったいないお言葉です」
ヴォードとダレスが恭しく頭を垂れる。
この場にいるのは二人だけで、ライカと第一騎士、それに王都に着いたばかりのキールは、王宮の外で待機している。
「レヴァイア王には早急に文をしたためる。じゃが、可能であれば其方らからも伝えておいてくれぬか。剣雅祭に行けなくてすまぬ、と」
「しかと承りました」
もう一度頭を下げ、ダレスとヴォードは執務室を後にする。扉が閉まる前に見えたのは、憔悴しきった顔で両手を額に当てる若き女王の姿だった。
生々しい傷痕の残る謁見の間を通り、王宮の外へと向かう。すれ違う人々は皆、俯き加減で暗い表情をしていた。
回廊に差し掛かったところで、前方に朱色の外套の集団が見えた。紅色の仮面が一人と白色の仮面が六人。『朱の霞』隊長ツェルエとその隊員たちだ。
「――では頼んだぞ」
「はっ!」
『朱の霞』がツェルエを残し散らばっていく。彼女自身もどこかへと移動しようとしたが、身体の向きを変えたところでダレスとヴォードに気付き、足を止めた。
「ダレス殿、ヴォード殿」
「ツェルエ殿、『朱の霞』も二人亡くなられたとか。お悔やみを申し上げます」
ヴォードがそう言うと、ツェルエは「ありがとうございます」と言って軽く頭を下げる。そして頭を上げると、でも、と言葉をつづけた。
「でも、私は二人ではなく三人だと思っています」
「リマーラも数にいれると?」
ダレスの眉がぴくりと動く。
「ええ。確かに彼女は許されざる罪を犯しました。でも、私たちの仲間だったことも確かですから」
「……貴殿の自由だ。どう思うのかも――どう伝えるのかも」
しばらくの沈黙の後、ダレスはそう答えた。
自分たちにとっては敵でしかなかった。だが、ツェルエにとっては大切な存在だった。裏切られたと知っても憎みきれないほどに。
「……感謝します」
「その必要はない。我々はこの国の者ではないからな。――失礼する」
「ったく、もうちょっと言い方ってもんがあるだろうが。すまないツェルエ殿、悪気はないんだ――おい、待てって」
ダレスの愛想の欠片もない言い方に深々と溜息を吐いて謝り、先を行く彼をヴォードは小走りで追いかける。
二人の後ろ姿を見送る『朱の霞』隊長ツェルエ。無機質な仮面の下には、微かな笑みが浮かんでいた。
「あ、お二人が来たっすよ!」
湖のほとりに立って王宮と王都を結ぶ橋を見ていた包帯姿のキールが、ぎこちない走りで駆けてくる。橋の近くで瓦礫の片付けを手伝っていたライカは、作業を止めて荷物の置いてある木陰に近づいた。
木陰では、思い思いの姿勢で第一騎士が眼を閉じている。王都に放たれた『嘆きの四翼』を倒した後も、彼らは夜通しリムストリア兵に手を貸していたのだ。疲れが出て当然だろう。
ライカも一睡もしていなかったが、何故か眠りたいとは思わなかった。
「なに寝てんだお前ら!」
ヴォードの一声で、第一騎士が飛び起きる。可哀想な気がしないでもないが、仕方ない。これからすぐにローディスへ帰るのだから。
「ほら、ぼさっとしてねえでとっとと準備しろ。ん? お前、怪我してんじゃねえか。大丈夫か? もしかして……ダレスにやられたのか?」
包帯姿のキールが眼に入ったヴォードが、彼に訊ねる。
「大丈夫っす! ダ、ダレス様は全然全くほんの少しも関係ないっす!」
本当のことなのだが、必要以上に否定したせいで嘘だと思われたのだろう。キールは何度もヴォードに「ダレスがやったんだろ」と訊かれることとなった。
「ナナリノは?」
キールとヴォードのやり取りを尻目に、ダレスがライカに近寄る。
「分かりません。キールの話では正門で『朱の霞』に連れていかれたと」
「……そうか」
ツェルエはナナリノに、またヨクルチァに真実を伝えるだろうか。姉が、娘が、今回の事態を引き起こしたのだと。今はもうない故郷の復讐だったと。――失った過去に触れようとしたのだと。
伝えるか伝えないか、どちらが正しいのかライカには分からない。
いや、伝えるべきなのだろう。
だが、ナナリノの、姉のことを語っているときの心底誇らしげで、心底嬉しそうな表情を思い出すと、知らせない方がいいとも思ってしまうのだった。
「帰るぞ、俺たちの国へ」
「はい」
――南を包む滅びの息吹は、やがてローディスを覆いつくす。絶望に身を委ねる者に、与えられる希望とは何か。
セアルグから送られてきた文にあった言葉。
滅びの息吹とは、死獄石と至る夢の砂片のこと。絶望に身を委ねる者とは、ファムカとシュニカ、リマーラのこと。そして、与えられる希望とは――死。
では、滅びの息吹がローディスを覆いつくすとは? この国で起きたことがローディスでも起きると言いたいのだろうか。
(そのようなこと、絶対に阻止しなくては)
どんなことをしてもセアルグを見つけ出して止めてみせる。
固い決意を胸に、ライカは北の空を見上げた。
「お帰りなさい、ライカ」
フェリシアの許へと戻ったライカを待ち受けていたのは、『戦の護』の力の篭った抱擁と、間近に迫った剣雅祭の準備。
リムストリアでの疲れもそのままに、本来の侍女としての役目をマールとともに慌ただしくこなす。
忙しい日々はあっという間に過ぎ、気が付けば当日前日となっていた。
「ふぅ……」
夜三の刻を過ぎて自室へと戻る。
つかの間の休息を取るためだが、眠れるのはせいぜい二刻といったところ。
流石に疲れも溜まっており、もう少し眠りたいというのが本音だが、剣雅祭が終わるまでの辛抱だと自分に言い聞かせ、薄闇のなか、ライカはベッドに手を伸ばす。
が、見覚えのないものがベッド脇の机に置いてあることに気付き、その手を止めた。
「これは――」
この日以降、ライカの姿を見た者は誰もいなかった――。
これで『緋の扉2~いつかの断片~』は完結となります。
最後までお読み下さり本当にありがとうございました。




