43話 死と夢の狭間
ファムカとシュニカの手から滑り落ちた瓶が、ころころと床を転がっていく。
「何を飲んだ!? 毒か!? おい、すぐに吐き出せ!」
ヴォードはシュニカの肩を掴んで、彼女の身体を揺さぶる。重傷の人間にする行為ではなかったが、死なせたくないという思いが彼をそうさせた。
「もう、お、遅いわ。もう後戻りはでき、ない」
弱々しい動きでヴォードの手を払ったシュニカの身体が、ぴくっ、ぴくっ、と何かの発作のように痙攣し始める。ファムカもまた同様に身体を大きく震わせていた。
二人が口にしたのは本当に毒なのか。
ダレスはファムカから離れ、血だまりで止まっている瓶を手に取り、中を覗き見る。
瓶の底にはきらきらと輝く純白の粒が残っていた。
「まさかっ」
純白の粒から連想されることは一つしかない。
ダレスはファムカに駆け寄り、彼女の服の脇腹の部分を手で引き裂いた。
「おいルーク! 何考えて――」
「ヴォード、よく見ろ。この二人が飲んだのは毒じゃない。あの瓶に入っていたのは“至る夢の砂片”……そうだな?」
ファムカの褐色の肌には、ダレスがつけたはずの傷がどこにもなかった。血で濡れてはいるが、傷痕といえるものがない。
あり得ない治癒速度。
自分の眼で見るまで半信半疑だったが、どんな傷でも治す薬は確かに存在したのだ。
ダレスは手の中の瓶に視線を落とす。
「はぁ……はぁっ……そう、よ。わたし、たちは、夢に、至る」
胸を押さえるファムカは、苦しそうに顔を歪めている。
「お、おう、そうか。その、なんだ……今見てる光景がとても信じられねえが、まあ……お前らの死なねえならそれでいい、か」
ファムカとシュニカ、それにダレスが持つ瓶を代わる代わる見ながら、ヴォードが眉間に指を当てて唸る。
当然の反応だろう。
傷が――たとえそれがほんのかすり傷であったとしても――見る間に塞がれば、誰だって信じられない気持ちになる。いま己が眼にしているものは本当に現実なのかと疑う。
だからこそ、『嘆きの四翼』についていく者が多くいたのだろう。神秘の力を持つ彼らに惹かれたのだろう。
「かん、ちがい、してる、わ」
シュニカが槍を杖代わりにして、よろよろと立ち上がる。ファムカもふらつきながら立ち上がった。
彼女たちの顔から苦しそうな表情が徐々に消えていく。
「お、おい、無理するなって」
シュニカに触れようとしたヴォードの腕を掴み、ダレスが待ったをかける。
「近づくなヴォード。様子がおかしい」
「わたし、たちは、このく、にを……せ、せかいを、こわ……すの…………」
「そし、て……にど、と、めざめな、い……ゆめ……を……みる…………」
双子の首がかくりと折れ、彼女たちの動きが止まる。
完全なる停止。
呼吸音さえも聞こえない。
だが、本能が危険が迫っているのを知らせてくる。まだ戦いは終わっていないと告げてくる。
ダレスは床に突き刺していた自分の剣に手を伸ばし、ヴォードもごくりと唾を喉をならしながら腰に手をかけた。
はらり――。
ファムカの黒髪が揺れた。
それを眼にした次の瞬間、ダレスの身体は後ろにふっ飛んでいた。
玄関大広間の壁に背中から激突する。
「ぐぅっ!」
「ルークっ! ――ぐあぁっ!」
吹っ飛ばされたダレスに気を取られ反応が遅れたヴォードも、円柱に叩きつけられる。
「なっ、なにが――っ!」
床に膝をついたヴォードは、反射的に左に跳躍した。その鼻先を銀色のものが掠めていく。
「間一髪ってか。おい、ルーク! 無事か!?」
「問題、ないっ!」
ダレスは激突した壁を蹴って上に跳躍し、身体を回転させながら大剣を振るって迫りくる穂先を弾く。床に着地すると同時にもう一度後ろに跳ぶと、ヴォードの隣に降り立った。
騎士団長二人はさっと足を動かし、背中合わせに剣を構える。
「なあ、これってあれだよな」
「人間の常識を超えた動き……王宮の外で戦った奴らと同じだな」
ダレスは斜め上に眼を向けた。
そこには、片手で天井に張り付いているファムカの姿があった。何の感情も表れていない無の顔。であるのに、こちらを殺そうという意思がはっきりと伝わってくる。
「外にいる奴らは全員“至る夢の砂片”を飲んでたってことかよ」
ヴォードの視線の先にいるシュニカが、無造作に槍を振るいながら近づいてくる。槍は柱や床を壊し、その破片が当たっているはずなのだが、全く痛みを感じている様子はない。
「分かっているな」
背後から動揺の気配を感じたダレスが、厳しい声でヴォードに問いかける。
王宮の外で倒した相手と同じ。彼女たちは感情を持たない殺戮人形になってしまったのだ。
彼女たちはもうただ一つの行動しかしない。そしてそれを止める方法もまた、一つしかない。
「……ああ」
剣を強く握りしめたヴォードは、感情を押し殺した声で答えた。
「いくぞ!」
ダレスとヴォードは同時に床を蹴り、翼の折れた双子に剣を振りかざした。
剣と槍が激しくぶつかり合う。床を転がり、壁にぶつかり、腕を斬られ、腹を蹴り、四人は死闘を繰り広げた。
ほんの少しの迷いも、ひと呼吸の躊躇いも許されない、命を懸けた戦い。
ファムカとシュニカの動きは予測がしづらく、あり得ない方向から攻撃がくる。そのうえ、おそろしい速さで槍を操り、反撃する隙を与えてくれない。
「くっ、このままでは――ヴォードっ、剣を貸せ!」
ファムカの槍を大剣で受け止めながらダレスが叫ぶ。
「ああっ!?」
「柱を利用する! いいな!」
「しょうがねえ! しくじんじゃねえぞ!」
ダレスの意図を理解したヴォードは、シュニカの攻撃を弾きながら円柱のすぐ傍、かつファムカの死角になる位置まで移動する。
「誰に言って、いる!」
柱を挟んでヴォードと並ぶ位置まできたダレスは、そこでファムカと剣をぶつけ合う。
一度きりの機会。失敗は許されない。もし判断を見誤れば、自分どころかヴォードの命まで危険に晒すことになる。
どんなときも冷静でいるダレスの額に汗がにじむ。頬に裂傷がはしり、服が裂かれ腕から血を流しても、ただ一瞬を待ち続けた。
そして、今だ! と思った瞬間、ダレスは行動に出た。
片足を後ろに退き、上体をよろめかせる。その状態でファムカの槍を上に弾くと同時に、ダレスは大剣を手離した。大剣は彼方へと飛んでいき、壁にぶつかって床に落ちる。
無防備になるダレス。
そこにファムカが容赦なく槍を振り下ろした――




