黄色い目の天使
25、黄色い目の天使
『ほんとね。約束よ』
胎児のビイちゃんが目を開く。何千年の年月を過ごした目は、私の心を射抜く。私はしっかり深くうなずく。
「約束」
彼女は目を眇めて私を見る。私の態度が突然変わったのはなぜか、いぶかっているのだろう。
「何もないわよ。心の底からあなたに帰ってもらいたいの、もともと生まれた世界へ」
『バカなの?』
「そうかも」
そう笑って言えるのは神童の矜持も、博士の称号もすべて無に消えたから。バカでもなんでもいいじゃない?
『何か企んでるなら……』
「いいえ、何も企んではいないわ。お姉さん、あなたを愛してるだけ」
ビイちゃんが眇めていた目を見開いた、その目はさっきまでの黒目がちな大きな目ではなく、黒目の部分が小さくなって、現れた白眼は長い年月を経た老人の目特有の黄色に変わっていた。
私は起き上がり、ビイちゃんをそのかいなに導く。頭の中に入っていたんじゃ出来なかったけど、ほんとはこうして成長していけるはずだったんだ。お互いに助け合って。
「どうしてはじめからこうしてあげられなかったんだろう?ごめんね、マヤ」
『……!』
「どう、あなたの本当の名前?ビイちゃんはお腹の中にいるときの愛称なんだよ。私は妹だから美也。あなたは真也」
『まや……』
「そう、真実の追求者になるんだってお母さんがつけたんだって。私は昔ながらの美しい子になるようにって。こんな顔だから意味なかったけどね!」
だからサインはいつもカタカナ表記にしてた。美しきなりなんて恥ずかしいものね。『まことなり』のほうが格好いいよ。
『真也と美也』
「そう、古典な名前でしょ?笑っちゃうよね」
『……お母さんは元気?』
「うん、一緒に日本に行くんだったのよ。とても楽しみにしててね、もう10年以上帰ってなかったから、着物着たいとか、お餅が食べたいとか、京都に行きたいとか、料亭に行きたいとかリストアップしてた。それがリーガル用箋になんと5枚!全部やったら倒れちゃうよって言ってたの。でもどれも削れないって。一つだけ太い字で書いてあったのは、お墓参り。おばあちゃんと真也が入ってるお墓は同じところにあるのよ」
思い出すと懐かしい気がするど、ほんの数カ月前の話。
『そう、父さんは?』
「そうね、仕事に燃えてるって感じ。新しく不動産業をはじめてね、ぼろぼろの家を買って、自分で修理とリフォームをして、きれいにしてからお客さんに売るの。机にかじりついてキーボードたたくよりよっぽど人間らしいって、楽しんでやってる。水道工事に電気工事の資格を取って、今度ガスの資格を取りに行くって言ってたからもう、取ったんじゃないかな?ガスの次は庭の設計をしたいって言ってた。車もセダンの高級車から、工事用のバンに乗り換えて、荷物たくさん積んでるの。少し工具オタク入ってるんだけど」
そう、株取引やってるときより顔色もいいし、体も引き締まった。お父さんがあんなに器用だったなんてって、お母さんもビックリしてたんだ。
『おばあちゃんは?』
「えっと、おばあちゃんはもう何年も前に亡くなったの。私も小さかったからあまり覚えてないんだけど、優しかったよね」
『そうね、おばあちゃんは優しかった……?』
「そうよ、覚えてる?」
真也はお姉さんなんだから、美也を守ってあげなくちゃいけないよ。必ず真也に出来ることがあるから。いつでも美也のそばについていてあげてね。そうすれば美也はお前を叩いたりしないからね。
『ああ、そうだ。あれはおばあちゃんだ。泣いている美也を抱いたまま、抜け殻の真也に言ったんだよ。抜け殻の真也は、おかあさんに抱かれていて、お母さんは美也からそれをかばうようにしてて……』
「私が、真也をたたいちゃった時?」
『そう、それでおばあちゃんとお母さんが大ゲンカしたの』
「ほんとに?」
驚いた、そんなことがあったことも、それを真也が覚えていたことも。
『その後すぐおばあちゃんは日本に帰っちゃったんだよ』
「真也!私そんなこと知らなかった!よく覚えてたね」
『あたし……おばあちゃんが大好きで、死んじゃったの?』
真也が泣いていた。全く感情を表さなかった、その老成した目がたるんで行くまぶたから涙を落とす。
黄色くなった目が光を失い、皮膚がみるみるしなびていく。水かきも干からびて動かしたら破れそうに見える、茶色い斑点が浮かび上がってくる。なのに表情は平和で泣きながら笑っている。
『美也、ありがとう。愛してるとみんなに伝えて。あたしは、あたしは……』
「真也!ダメ、戻ってきて!」
どんどん真也の心が離れていく。オブジェが力なく一つまた一つと粉々に砕けて、白い床に色とりどりの砂を撒き散らす。
『タイチと島を離れて……行けるとこまで』
「真也も一緒に行くの!あきらめないで!」
干からびた真也の顔がほほ笑む。今まで見た中で最上のグロテスクさと優しさの笑み。
『美也、愛してる……』
「真也、私も愛してる」
言い終わらないうちに真也の体がパンとはじけて砂になった。私のまわりに舞った砂粒がキラキラと輝きとても美しかった。手の平にたまった砂はさらさらとこぼれおちていく。
しばし茫然と座り込む私は世界が動いていることに気付かなかった。天井に穴が開き光が射す。壁が倒れて、床には亀裂が入っている。床が生きているようにのたうち、オブジェのなれの果てのカラフルな砂が隙間に流れていく。私は真也だった砂の中に座り込み天を仰いでいた。
手の平はこぼれおちた砂には気づかないままだった。ふと気づくと手の中に砂ではない何かの感触が。
こぼれおちた砂の中から現れたのは、タイの指輪だった。プラチナ台の紫水晶の指輪。
「これは……?」




