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ドーナツとキョウコ

 この星の住民が宝石をありがたがる理由が理解できない。ショーウィンドウにずらりと並ぶ色とりどりのドーナッツの方がずっと素敵で綺麗だ。それにお腹も満たせる。

 ミニバンタイプの移動式ドーナッツ店『ニジュウマル』の前で、私は前のめりにドーナッツを吟味していた。

 決めた。今日はこれだ。

 プレーンとダブルシュガーをひとつずつ購入し、いい気分で会社に向かう。

 オフィスビルのエレベーターの中でスマホが振動した。意識して2回瞬きする。イヤリングから鈴の鳴るような声が聞こえてくる。サポートAIの鈴さんだ。

「個人宛てのメールです。タイトルは「『重要』アリス計画への参加のご案内。高額報酬あり」です。開きますか」

 スパムか。砂利を踏んだ気分になる。

 私は素早く3回瞬きした。鈴さんが「削除します」と言い、チリンと静かな音とともにフェードアウトした。


 オフィスで仕事をする。まずは前日のメールの処理からとパソコンの電源を入れる。

 返信内容を考えていると、こつこつと誰か近づいてくる足音が聞こえた。

「加賀美さん。ちょっといいかな」

 係長が声をかけてきた。

 叱責もお褒めも受けるようなことはしていない、はず。

 私は「はい」と席を立った。

「加賀美さんにお客さんが来ててね。一緒に来てもらえるかな」


 私が係長に連れられて応接室に入ると、既に先客がいた。黒いスーツにサングラスの男性。文化研究のために観た映画の中の登場人物に似ている。何の映画だったか。

「では、私はこれで」

 係長がさっさと逃げるように部屋を出る。

 黒スーツの男性がすっと立ち上がり、サングラスを外した。想像よりも若い、今風のさっぱりした顔立ちの男性だ。

「初めまして、加賀美さん。わたくし厚生労働大臣直轄の、、、」

 チリン。メン・イン・ブラックです。

 鈴さんが絶妙なタイミングで教えてくれた。

 あぁ、そうだった。

「、、、猫田浩平です」

「あ、はい。加賀美と申します」

 猫田さんの話をほぼ聞いていなかった。とにかく国の偉い部署の職員らしい。

 私がメン・イン・ブラックのテーマソングを考えていたことがバレたわけではないだろうが、猫田さんは笑顔ながら、私のリアクションを待っているような沈黙を保っている。

 仕方なく私から会話を切り出す。

「猫、お好きなんですか」

「え、まあ、はい。見ますか、うちの子。可愛いですよ」

 猫田さんが自前と思われるスマホを取り出す。

 最新の機種だ。私の収入ではとても手が出せない。

 差し出された画面にはぶすっとした三毛猫が映っていた。

 私は「お茶目ですね」と言った。他人のペットの評価は、どう答えるのが正解なのだろう。私もまだ勉強不足だ。

 しばらく三毛猫の『ミケ』の話を聞かされ、私は相槌だけで応えた。

 猫田さんは自慢に満足したのか「名残惜しいでしょうがそろそろ本題に」とスマホをしまった。とてもありがたい。

「加賀美さんには『アリス計画』にご参加いただきたく参った次第です」

「アリス計画」

 オウム返ししかできない。鈴さんからも「検索にはヒットしません」と返答を受けた。

 猫田さんがにこやかに続ける。

「有栖川鏡子氏をご存知ですよね」

 私はこっそり鈴さんに検索を依頼した。

 すぐに鈴さんが検索結果をまとめて返す。

 有栖川鏡子。日本の技術を100年進めたと評される稀有な人物。10年前に老衰にて死亡。

「凄い人、なんですよね」

「そうですね、いわゆる天才です。あまりに凄すぎて彼女の死後、あらゆる分野で停滞、衰退が著しいとまで言われるほどです」

 猫田さんが机を挟んで前のめりになる。

 私はその分、身体を反らす。

「アリス計画は、有栖川鏡子氏を再び誕生させようというプロジェクトです」

「私はただの2級国民で、一般のプログラマーですよ。とても有栖川さんにはなれません」

 猫田さんがぱちぱちと瞬きし、にこりと笑った。

「私がお送りしたメールは、あぁ、削除されたんでしたね」

「スパムメールかと思いまして」

 猫田さんが「大丈夫ですよ」とあくまでにこやかな態度を崩さない。

「現在有栖川鏡子氏の細胞は国が保管しています。そこから彼女のクローンを産み出し、育てることで『有栖川鏡子』氏自身を再度誕生させる。これがアリス計画の概要です」

「それに私がどう関わると」

「要はあなたに有栖川鏡子氏のクローンの育成をお願いしたいのです」

「私よりも適任の方は他にたくさんいるのでは。1級国民の方とか」

 私の社会的な位置づけは2級国民だ。つまり平均的な一般人。有栖川鏡子のクローンを育てるのに選出される理由が思い当たらない。

 猫田さんはいえいえと手を振る。

「クローンは複数います。階層を含めた色々なシチュエーションで育成することで、少しでも有栖川鏡子氏になれる可能性を探る方針なのです」

「少し濁った川で育てたら強くなるかも、みたいなことですか」

 猫田さんがぱんっと手を叩く。

「いい例えだ。その通りです」

 濁った川扱いされたことに怒るべきだろうか。いや、私から例えたのだからそれは筋違いか。

 猫田さんは私の沈黙を迷っていると思ったのか、傍らのカバンから分厚い書類の束を取り出した。タイトルに『契約書』と記載されている。

「細かい条件や報酬はこちらのページをご覧ください」

 私は契約書をめくる。あまりに内容が多く、小難しい言葉が並んでいるため、鈴さんに要約してもらう。

 有栖川鏡子のクローンの年齢は12歳。

 まずは一週間のお試し期間を経て、その後クローンと私双方の合意があれば1年間の本育成に進む。その後の更新は1年単位。

 育成中にかかる費用は国が全額補助。さらに援助金が毎月指定の口座に振込まれる。

 育成期間満了後審査を経て1級国民への昇進を検討する。

 育成満了後に支払われる報酬は以下の通り。

 、、、。

 なるほど。2級国民では望むべくもない金額だ。

 

 私は契約書の束をそっと閉じた。

「分かりました。お受けします」

 猫田さんが目を丸くする。

「素晴らしい決断力ですね。多くの方は『一旦検討します』とおっしゃるのに」

「お金が必要なのです」

 猫田さんが「分かりますよ」と相槌をうつ。

 私の事情など知る余地もないだろうに。

「ただ、追加の報酬をお願いできますか」

 猫田さんが一瞬だけ真顔になったがすぐにビジネス的な笑顔に戻る。

「何でしょうか」

「満了後の報酬に加えてほしい物があります」

 猫田さんに私が希望する物品を伝える。

 猫田さんは笑顔ながら、目元は笑っていない。

「なぜそれが必要なのかお伺いしても。用途が限られる特殊なモノですので」

「趣味です。工作に使いたいのですが、2級国民では購入できないのです」

 猫田さんが背もたれに背を預けて考え込む。

「ま、いいでしょう。契約書に加えておきます」

「ありがとうございます」

 あっさり承認された。猫田さんは私が思うよりも偉い人なのかもしれない。

 猫田さんは「詳細は追ってご連絡しますね」と最後まで笑顔を絶やさない。

 私は一礼して席を立った。

「あ、加賀美さん」

「はい」

 私が足をとめ、猫田さんを振り返る。

「気になりませんか。なぜあなたが選ばれたのか」

「ランダムなのでは」

 言ったあとにあっさりし過ぎていたかもしれないと反省する。猫田さんはふふっと笑った。初めて自然に笑ったようにみえた。

「もうお受けいただけるとのことですのでお答えしますね。名前ですよ」

 名前。私の名前と、アリス計画の関係。

 まさか。そんなことで。

 猫田さんがにまーっと笑う。

「加賀美『鏡子』と有栖川『鏡子』。同じキョウコ繋がりですよ」

「なるほど」

 猫田さんがつまらなそうにぼすんと背もたれにもたれる。

「驚くか怒るかすると思ったのですが」

「怒った方が自然な反応でしたか」

 言い方が不自然になってしまった。

 猫田さんはぽりぽりと頭をかく。

「いえ。ただ、あなたは資料でみるよりずっとオモシロイ方のようだ。期待しておりますよ」

「どうも。では、私はこれで失礼します」

 今度こそ私は部屋をあとにした。

 猫田さんは、決定権を持つ変な人だ。深入りしないに限る。

 オフィスに戻る。周囲の人がやけに私の周りをウロウロしているのが気になった。

 しかし誰も聞いてはこないので、私も黙って就業時間まで働いた。


 帰宅する途中で『ニジュウマル』で買ったドーナッツのことを思い出した。

 紙袋からプレーン味を取り出し、一口。美味しい。

 チリン。歩き食いは行儀が悪いです。

 鈴さんの忠告を聞き流し、さらにもう一口。別に私は気にしない。むしろこんな美味しいものを家まで我慢するほうがよくない。

 マンションの一室が私の家だ。

 お風呂からあがり、水道をひねって冷たい水を一口。

 コップと、ダブルシュガー味のドーナッツを持ってベランダへ。

 手すりにもたれて夜空を見上げる。

 早く帰りたいな。

 故郷の星はあまりに遠く、加賀美鏡子の肉体では視認できない。

 せっかくのダブルシュガーなのに、今晩はなんだかしんみりしてしまう。

 私はベランダでひとりため息をついた。

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