エピローグ
ヘリオナ家の訓練場。その外周をソレイアとジャダが走り、その後をテレサが追っていた。
ソレイアとジャダには散歩のようなペースなのでかなり余裕。
しかしテレサは明らかにへとへとだった。歩いているだけなのに。
それをみかねたソレイアたちはテレサの後ろに回って背を押し始めていた。
「ほら、ママ、がんばって! あともうちょっとだよ」
「ぶるるっ」
「は、っはあ、…も、もう、…だ、ダメ」
へこたれているテレサを押しながらソレイアは目標のテープラインまでは押し続けることをやめない。
これはちょっとした拷問かもな。と木陰で涼んでいるロイドは思った。
術士として完成され過ぎているテレサは、極端に肉体の運用ができていない。
そうする必要がなかったのだが。そこにソレイアが待ったをかけたのだ。
妊娠し、体調不良で倒れたテレサを、本人が嫌がるのを押し切って医士に診せた。
するとなんということだろう。過労。睡眠不足。運動不足。栄養の偏り。などなど、妊婦にあるまじき生活習慣の悪さを指摘されたのだ。
骨兵に身の回りの世話をさせて、ぐうたらな生活に慣れ切っていたテレサを、ソレイアは一喝した。
自分を生んだ時よりもテレサは歳をとっている。このままではいけないと、一念発起。
今ではテレサ専用のパーソナルトレーナーの様相を呈していた。
娘に、暗に「もう若くないんだから」と言われ、さすがのテレサも肉体改造に取り組みだし、その結果が今のこの現状なわけだった。
ソレイアに「ケンカしてきなさい」と言ってそのまま飛び出していったのを知った時は、ロイドはやってしまったと感じた。やはりあまり深く踏み込むべきではなかったかと、後悔した。
追いかけている最中も、どうやら森と山をそのまま突っ切っていったであろうソレイアに、アスレチック訓練が想像以上の効果を発揮していて、そこでも、どうしてこうなった。と思ったものだった。
だがまあ、何とかなって本当に良かった。
ロイドの心配をよそに、いや、理解の範疇を超えた騒動を乗り越えて、この母子は元鞘に納まった。
前以上に絆が深まった様子もある。
結局は外野がどう言おうと、親子の事情なんて、なんとかなるものなのかもしれない。
「ほほ、さすがの死霊術士も娘には、かたなしじゃの」
隣で座るボルゾイが、愉快そうに酒を飲んでいた。
なんとなく、今回の件で気になっていた部分があった。それをこの老人はもしかしたら知っているだろうかと、ロイドは聞いてみることにした。
「…なあ爺さん。ソレイア嬢が死神を浄化したとは聞いたんだが。それでも禁域はなくなってないんだよな?」
「ふむ、…まあ根の深い土地なのじゃろ。どれほど強力でも一死霊が昇天したところでさして影響はない、ということなんじゃろうな。…それに、死神はその一体だけとは限らんからの」
「…マジかよ」
「大マジじゃ。触れると即死する死霊を総称して「死神」と呼称しておるだけらしいからのう。まあそんなのがポンポンおられても困るわけじゃが。テレサに聞いたところ先の死神は前のより明らかに頭が悪そう、だったらしいしの」
自分ならそんなのに出会ったら即逃げする自信がある。とロイドは思った。
しかしソレイアはそれに相対し、しかも動けない連中まで守って戦ったという。素晴らしい。自分の教えで本当にこんな子が育ったのかと不思議なくらいだった。
ソレイア自身の性質によるものか、もはや生粋の騎士ともいえるほどだ。
ぜひこのまま存分に成長してもらい、名を上げて、ついでにロイドの名もアップしないかと考えている。
「…案外、ソレイア嬢が禁域をなんとかしてしまうかもな」
希望、とでもいうのか。あの小さな輝ける少女をみていると、なぜかそんな気になってくるのだ。
「その為には、まだまだ教えることが山ほどあるわい」
そう答えるボルゾイも、きっとロイドと同じ気持ちなのではないか。と、わざわざ聞くこともなく。「そうだな」とロイドは答えた。
◇
アルベールは帰ってきたことをいきなり後悔することとなった。
教国に到着すると、早々に人だかりができ、まるで凱旋のような状況となった。
大騒ぎされるのは好まないが、さすがに無垢な子供たちに塩対応はできぬと、それなりに手を振りながら中枢の神殿を目指す。
その途中であれもこれもと手渡され、ガストンやノアは両手がふさがり、さらには馬にまで引っかけられる有様だ。載せられなかったのは引きずられ、橇まで後付けてくっついてくる。
(どうしてこんなに歓迎されているんだ?)
アルベールは不思議でならなかった。
聖騎士となって国を出たときはこうではなかった。ひとりの騎士が国を離れたところでどうということはないと。それなのに10年近く放浪していた騎士が帰ってきただけで、どうしてこんなことになるのか。
「いやあ、「白金の聖騎士」様のご帰還となれば、当然じゃないです?」
「…なんだ、それは」
手渡された焼き串を頬張りながら、ノアがわかってましたと言わんばかりに答える。
「知らぬは本人だけ、ということですよ。…ねえ先輩!」
「俺にふるなっ!…アルベール様の偉業は吟遊詩人に唄われ、教圏内であれば知らぬものはおらぬ、と伝え聞いております」
その返答にアルベールはさらに謎が深まる気分だった。
「…私はただ、旅の合間に出会った者を、助けただけだが?」
「いやいや、今だからいいますけど、ホント大変でしたからね? 何回死ぬかと思ったか。翼竜の群れに突っ込んだ時のことまだ夢に見ますからね。その証拠に最初にいた護衛の半分以上は帰っちゃったじゃないですか。本気で、アルベール様の突貫についていくのって、至難の技ですよ」
これでようやくお役御免だと、ノアは今までのうっ憤を晴らすように文句を連ねる。
ガストンも言いたかったことがあったのか、あえてそれを止めることはしない。
アルベールはその事実に鉄壁の表情筋のまま衝撃を受けていた。
アルベールはこの従士たちに、面と向かっては言わないが、多少なり友情のようなものを感じていたのだが、それは一方的なものだったのか、と。
(随分と無理をさせていたのか)
人の心がわからぬアルベールは、静かに、確実にしっかりとへこんだ。
そうして神殿の門前で二人と別れ、アルベールが寄宿舎の方へ向かおうとしたところ声をかけられた。
「アルベール様、お待ちしておりました!」
「…あなたは?」
一瞬、家の者が現れたかと警戒したが、見覚えのない下級司祭の服を着た男だった。年上のようだが、苦労がにじみ出たように痩せこけている。
「失礼しました、私はスカルゴと申します。ご息女をお連れすることが叶わず、お二方を再会させるお手伝いすらままならぬ、この至らぬ身をどうかその御剣にて裁いていただきたく参った次第であります」
「…なんだって?」
「神の御導きであるはずの親子の対面を何故、このような結果に至ったのか、全て私の不徳の致すところ。あの時、断固としてポータルで待っていれば、ご息女の消息を見失うこともなく、アルベール様のご帰還と同時に感動の再会を果たしたというのに」
想像以上にぺらぺらと喋る枯れ木のような男に度肝を抜かれ、さすがのアルベールも言葉を失う。
「…待て、何の話だ。私に娘はいない、…はずだ」
少し自信がないのは、あの死霊術士の女のせいだった。
子がいる可能性。そういう行為をしたのだからそういう結果もありうるということを、否定しきれない。
「いいえいいえ、何をおっしゃいますか。あの白金の髪色、お顔立ちにも面影があり、聖騎士章を額に宿すなど、親子でないといわれるほうが難しいかと。…ああっ、なるほど、そうでしたか。まだ正式には発表は控える、ということなのですね。申し訳ありません、そのお考えに至らず。このスカルゴ一切の口外を禁じ、この命を断つ所存にございます」
「待て、なぜそれほど死のうとするのだ。…命じるから死ぬな。それと喋るな。話が進まぬ。私の質問に、はいかいいえで答えろ。いいな」
数回の会話だけでこのスカルゴと名乗る男には下手な遠慮は無用だと感じ、そのように対応するアルベールは、このあとかなり頭の痛い話を聞かされる羽目になる。
しかし、その中には、確かに探していたものに繋がる、一本の道筋が隠されているのだった。
◇
深く、暗い、井戸の底のような場所。
日の光の届かぬそこに、小さな靄が、おちていった。
底の底に、堆積する泥のように、この世の怨念を煮詰めて溶かし荒れ狂う叫びを内包した闇が、そこに佇んでいる。
ひとつの靄が、そこに触れる。
ぎょろ、と目のような何かが開く。
ぐるりとまわって、あたりを様子見たように感じる。
しかしそれは、分かたれた己の分体を確認していただけだった。
遠くの地に散らばったいくつかは、すでに霧散し、役割を終えた。
そしてごく最近、分かれて間もない若い分体が消えた。
最期にその光景を本体に送って、力尽きた。
くく、と嗤う。
以前に分体を葬った死霊術士の女。力はあるがそれだけだった。
それが、子を産んだ。
よい。よい。
死神はただ、待つ。その時を。
【完】
テレサとソレイアの物語は、ここで一区切りとなります。
最後まで見届けてくださり、本当にありがとうございました。
この親子の時間が、皆さまの心に少しでも残れば嬉しいです。




