私のやりたかったこと
みちるの言葉にみやの眉がピクリと動いた。
「私……本当はずっと小説家になりたかった」
「うん」
「だけど、全然賞にも通らないし投稿サイトに投稿しても伸びないし、私には才能がないんだって思って諦めた。でもずっと心のどこかで逃げた、夢を叶えられなかった哀れな人間って揶揄してきた。そのたびに苦しくて、なんで小説家になりたかったのかさえ分からなくなってた。本当は私もみやさんと同じなんです」
みちるは自身の幼き日々のことを話した。
友達や先生に自分のオリジナル小説を読んでもらっていたこと、その時に「面白い」「作家になれるよ」と言われたその言葉を信じていたこと。
「私は確かに本が好きだったし、書いていることも楽しかった。だけどほんとに楽しくて、嬉しかったことはそれを通して誰かが笑ってくれること。私も誰かを笑顔にしたいと思ったから、その力が小説だと思ったから小説家を目指したんです。だけどいつしかそれは私の呪いになってた」
書くことが義務になり、何が面白いのか、一体自分の紡ぐ物語に何の意味があるのか、そんなことばかりを考えていた。
自分が書くことを楽しめていないのに、なぜ読者が笑顔になれるというのか。
そんなこともわからないまま、逃げて卑下して、今でも夢を追いかける人たちを嘲笑うことで自分を保とうとしていた。
「私って本当に馬鹿。みやさんたちの夢を笑うってことは、私の夢を馬鹿にして笑ってきた人たちと何も変わらないのに……」
もうみちるのコーヒーも空になっていた。
「私は人を笑わせるのが好きなの。面白かった、この時間を過ごせて良かったと言われることで凄く満たされる。でも小説を失った今、それをどうしたら叶えられるのか私にはわからない。もう一度小説を書くしか、ないの……? でも書くのが怖い。誰かにまた否定されて、自分に才能がないと思うのはもう嫌なの……私はどうしたら、いいの……?」
みちるが顔を上げると、みやがそっと手を伸ばした。
その手をみちるの頬に添える。そして優しく指先でなでると、彼は優しく微笑んだ。
「アンタも不器用な子ね」
みちるの目から大粒の涙が伝った。
人前でこうして泣いたのはいつぶりだろうか。
「アンタのその呪い、解くのを手伝ってあげるわ」
「え?」
「その代わり、アンタはアタシの夢を叶えるのを手伝ってちょうだい」
「……それって……」
「ライブ終わりのファンの子たちがなんて言ってるか知ってる?」
みちるは首を横に振った。
「『ライブ良かったね!』『また来たい!』『次も来れるようにバイト、仕事頑張るね!』『仕事、バイト、頑張った甲斐があった』。みんな笑顔で言ってくれるの」
「……」
「もちろんアタシたちのパフォーマンスがイマイチだったら文句を言われることもあるわ。だけどそこはアタシたちの努力で減らせる」
瞬きを繰り返すみちる。
「だからもう一度試してみない? もし違った、やっぱりアンタの求める言葉が小説を書く先にあるんだとしたら、もう一度書いてみたらいいわ。その時はアタシは応援する。でももし、今ちょっとまだ迷っていて、道を彷徨っているんだとしたら、一緒に呪いを解く旅をしてみましょうよ。アタシが手伝うから」
「みやさん……」
再び涙が頬を伝った。
一人じゃない、それだけでどれだけ心が救われるか、みちるはこの時初めて知った。ずっとこれまで自分は一人だと、一人で乗り越えるしかないのだと思ってきた。
こうやって背中を押して、励ましてくれる、肯定してくれる誰かをずっと求めていた気がする。しかしいつだって「誰も私の気持ちなんてわからない」と避けてその手を振り払い続けていたのは自分自身だ。
みちるは涙をぬぐう。
「みちるさん……私にできますかね?」
その言葉にみやは手を引いた。
「私にまた誰かを笑顔にしたり、皆さんのマネジメントしたり……もしかしたらもう一度小説を書いたり……できますか……?」
その言葉に彼は鼻で笑った。
「甘えないで。アンタができるかできないかは知らないわよ。最終的にやるかどうかを決めるのはアンタなの。アタシはただそれを一緒に行くわよって言ってるだけ。最後はアンタが決めなさい」
まるで強く頬を叩かれたような感覚に陥った。
「ただ、やる前から諦めてるようじゃ、無理なんじゃない?」
これはもうみちるに対する最後の問いだ。きっとこれを逃したら、みちるは二度とこの手は掴めないだろう。そう思った。
喉が渇いていて、少しひりひりした。それでも言わなければいけない、そんな気がした。
みちるの背中を何かがトンっと押したような気がした。
「……みちるさん。私らきさんととーまさんを連れ戻してきます。だから、箱がいっぱいになるくらいの呼び込み、お願いできますか?」
その言葉にみちるは手を引いた。それから髪を結びなおすと、伝票を掴み立ち上がった。
「任せなさない」
それからクスクスと笑い、みちるの頭をポンポンと撫でた。
「あの二人、厄介だけど任せたわよ、マネージャー」
そう言ってカツカツとヒールの音を立ててレジに向かっていく。
たとえカッコ悪くても、遠回りしても構わない。「私」のやりたいことを貫くだけだ。
みちるは最後にお冷をぐっと飲み干し、立ち上がった。
そして店を後にした。




