厳かなる欺瞞
慌ただしくシナノへの移民団を見送り、グラーシアも登城の支度をする。
少なくとも既成事実としてマリッジリングの交換と婚姻契約書への署名だけは済ませたいと簡易な式が挙げられる。
その為の準備として女親を亡くしているグラーシアの諸々の支度の後見に、母 グロリアーナの降嫁の際にも
面倒を見たフリツカヤ大公夫人が着かれるとの事で、王妃 サフィールの茶会で打ち合わせの予定だ。
少なくともウェディングドレスとベールが無ければと、昼夜兼行で針子達が大急ぎで刺繍をし、編まれたレースや
宝石を磨いて作られたビーズを縫い付けたりと戦場もかくやという働きをしているという。
現在は王妃 サフィールを頂点に、愛妾のアマンダ、レリミア、便宜上ではあるが先のフヌリツ侯爵に嫁いだ体で
女官長として王妃に仕える、ユリウス殿下の生母 セシールことセシル侯爵夫人の住う後宮に輿入れするのだ。
軍閥トップのファングル公爵と王妹 グロリアーナの血、異世界の知識と神の恩寵という威光はあれど身一つで嫁ぐ
箱入りの乙女に王の寵を巡り権謀渦巻く女の坩堝で侮られない程度の支度をして送り出してやりたいという
クリストフの親心と、王家と心ある貴婦人達がこの場を用意したと言える。
「やはり王家へのお支度となりますと色々勝手が違いますものね」
フリツカヤ大公夫人 スサナは白髪を丁寧に撫で付けて結い上げた髪が印象的な老夫婦だ。
4代前の王の庶子であのアンドリュー トゥ ベンタロンへ養子入りし興された家の夫人だけに、先日王都で流行った
『暴れ大公』の創作者がグラーシアなのを知っていて肩入れしたいと親身な手紙のやり取りがあった。
「家財の一切は既に仕様を変えて制作に入っておりますし、ドレスもそろそろ納品されると報告がありましたわ」
「もう身一つで嫁いで来てしまえば宜しいのに」
王の愛妾であるカタラクラ子爵家より上がったアマンダが待ち遠しいと、無邪気を装って甘えた声で強請れば
バロータ伯爵家出のレリミアが、グラーシアは王太子妃として嫁ぐのであって自分等のような愛妾とは違うのだと
アマンダの考え無しな発言を嗜める。
「きちんと迎えねばならぬと判っていても待ち遠しいの」
皆のティーカップに茶が注がれ、主催の王妃がカップを手にすると漸く皆が思い思いに砂糖やミルクを足して
それぞれに会話や茶菓子を楽しむ。
「ありがたいお言葉ですわ」
アマンダ夫人の軽率な発言も親しみの現れと、グラーシアは気にしていないとミルクを足しながら答えれば左右から
実家より送られたそれぞれの領より献じられた銘菓であろう菓子が勧められ、負けじと更に菓子台が運ばれてくる。
それは次代の後宮の女主人の歓心を買っておこうという下心もあれば、神の恩寵を得たと知られるグラーシアが
献じられた物を美味と称したのなら、神にも捧げられるであろう事やそれだけで宣伝になるとの計算も働いている。
「お姉様、此方は我が領で採れましたリコの蜜を用いた菓子ですの」
フワフワとした薄手のアラクネシルクの生地を幾重にも重ねて膨らませた袖口から白い手が覗く豪奢なドレスを纏い
緩やかなカールの掛かった黄金の髪を結わずに後ろへ流したお人形のような少女が割り込んで来た。
通常なら王妃愛妾、そして王太子妃となる令嬢のテーブルに呼ばれもせず押し掛けるなぞあり得ない非礼だ。
それを感じさせない無垢な清らかさを演出する純白から淡いピンクのドレスの、天使と見紛う少女が無邪気に
焼き菓子を盛った菓子台から取り分けてテーブルに置いていくのを止めずにいたのはそのような振舞いを仕出かす
無分別な淑女など、聞いた事はおろか見た事なぞ無かったからだ。
「この娘は何方の」
スと表情を消したレリミアが誰何するのは少女に直答を許したのでは無く、警護に立つ女騎士にだ。
近くに侍立する女騎士が口を開くより先、慌てて少女の肩を引いて無礼を謝罪するふくよかな夫人。
「おや、リステンシア伯爵夫人」
「ご無礼を!」
常日頃のツンとすました様が嘘のように、リステンシア伯爵夫人と呼ばれた夫人が少女の頭を押さえ付けて下げさせ
普段ならそこまでせずとも身分的にも許されている深いカテーシーもそこそこに、夫人は少女を叱り付け
王妃のテーブルから下がるよう強く命じる。
「でも、お母様」
なれど何がいけないのか判らないとでも惚けているのか少女は小首を傾げ、空気を読まずに菓子を差し出そうとする。
「何を仕出かしたのか判らないのですか!下がりますよ!」
クラーケンの軟甲骨で膨らませたドレスの肩口がひしゃげるのも構わずリステンシア伯爵夫人は娘を掴んで引き摺り
御前から下がらせつつも、後に正式なお詫びに参じますと甲高い声で訴えながらも後ろ向きで走り去っていく。
思いもしなかった騒ぎから雰囲気を変えるべく、茶器と茶葉を別の物にと気を利かせた女官がワゴンを押してくる中
伯爵家にありながら、しかも婚前の令嬢をフォローする為の茶会に呼ばれるならば、少なくともデビュタントも済ませた
歴とした淑女である筈の令嬢がアレとはと困惑を滲ませグラーシアが問えば、流石に王妃なだけありサフィールがさも嫌そうに
レースを張った華奢な扇を翳して、リステンシア伯爵家の我儘に甘やかされて育てられた娘だとだけ言った。




