嵐の前夜
こうなれば1日も早く婚礼を済ませねば今度は何処から横槍が入るかと、王家は元よりファングル公爵家も結婚式を
前倒しで挙げてしまわねばと思い至ったようだ。
最悪、教会に婚姻証明書を提出さえしてしまえばそれを根拠に諸々の横槍を撥ね付ける事が出来ると衣装の仮縫いも
そこそこに、聖堂の飾り付けも簡素なまま婚約式のドレスよりは装飾を増やしたのみの装束と、都内に滞在していた
貴族の当主、前当主、王城にてそれなりの職位を持つ者が参列する次期国王としては大分小規模な婚礼の準備が
粛々と進められていくのは、庶民のようなジミ婚や事実婚といかぬ故、王家へ輿入れともなれば先に証明書だけでも
提出で済ませられぬ苦肉の策。
「セレブってのも大変なんだなぁ」
すっかり婆様の家で寛ぐ孫と化して客室に設えられたコタツで蜜柑に似た実の皮を剥いて口にしながらクラウドは
自分の出番は終わったとばかりにシナノに帰るつもりなのは開拓の進捗を気にして一足早く戻るつもりだからだ。
折角なのでシナノでは手に入らない道具や作物の種や苗、嗜好品などを買い求めて運んでおこうかと市場や
近隣の農家や牧場へと出掛けては荷を抱えて戻ってくる。
今はファングルの属領の扱いだが新たな領と家の興隆、それを家運を賭けた出世の糸口とばかりに身分も様々に
続々と集まる人々に対して割り振る仕事も増えたが、先ずは住民を食わせていかねばならない。
その為に先立つ物は食糧と、現地で調達出来ない穀物や薬種日用品などを繁殖用に求めた畜産動物の背に括り
帰国の準備も万端で、明日は早立ちの予定だからと体力を温存する心積り。
「茶碗と箸、行李一つに布団一組の新所帯とはいきませんからね」
「そういう面じゃ庶民の方が気楽で良かったと思うよ。
おグラさんとこみたいに面子だ格式だって面倒な事この上ないじゃん」
ファングルを中心に王都からもポツポツと移民に名乗りを挙げる者も居るが、その数倍はシナノ領にて戸籍取得出来る
チャンスとばかりに流民や家を飛び出してギルド発行のギルドカードしか持たない下級冒険者等が殺到しているため
食糧確保が急務と、出来るだけ重い物はマジックバックに詰め込んで軽い物を家畜の背にくくったり馬車に乗せて
運べるだけ運んでしまおうと積み方を工夫している最中だという。
「アダルさんがさ、塩を多めに持っていけって言ってて空間魔法で限界まで広げた袋に塩詰めたんだけど
マジックバックって高いだろ?盗難のおそれがあるからなるべく信用出来る人に運ばせたいとかで」
「塩ですか」
アーダルが態々塩を買えと指示した事に何か思い至る事があるのかグラーシアは、ファングル本邸に貯蔵されている
味噌樽の殆どを持って行くよう移民団を指揮する私兵団長に言い付けるよう侍女に申し付ける。
そしてクラウドに、シナノ領に建設途中であるグラーシアの居城 ウエダ城の武者溜まりを少し拡張して欲しい事と
城の裏手の森に建てたアラクネの飼育小屋のの拡充と、側に堆肥をつくる小屋を建てて欲しいとお願いした。
「堆肥?」
「いずれはそうしたいのですけれどねぇ、クラウドさんは黄色いダイヤってご存知?」
竜骨扇を口元に添え、ホホと笑むグラーシアの示す黄色いダイヤとは硫黄の事だ。
家畜小屋の拡充と態々堆肥と言われ、更に硫黄を求めているといえば思い付くのは火薬製造かと思い至る。
家畜の糞尿と堆肥で硝石を作る方法があったなと朧げな豆知識がよぎったクラウドは
アサマ山で採取出来るか調べてみると答えた。
「いいよアサマ山に無かったらオンタケでもヤリガタケでも何処でも探してくるよ、それから炭焼き窯も必要?」
「是非、けど採掘によって公害は出ないようにお願いしたいわ
もしも土地や水の汚染の問題があるのなら無理に進める必要は無くてよ」
「それなら浄化魔法か浄化石を仕込めば大丈夫じゃね?
こっちの鉱山じゃ常識らしいよ、親父に山仕事を仕込まれてる時に公害が無いのか聞いたら
そのテの病気は聞いた事も無いし、灯り魔法と浄化石は必ず使うって言ってたから」
クラウドは知らないが、グラーシアが日本で生きていた頃に上田で硫黄鉱山の開発反対運動があって
それに参加していた事があるだけに地域に害が無いかと釘を刺す。
黒色火薬を製造しようとしている事、アーダルの口にした塩、そして味噌樽を運び入れよとの命に
戦争の可能性を漸く悟ったクラウドは何故と疑問を口にした。
「シナノは山国、いざ事が起こって一番困るのは食に関する事で特に他国から買い付けている塩でしょう?
最悪塩さえあれば大体そこいらの草でも何でも頂く事が出来ますからね」
「災害、とかそういった方面での可能性は無いのかな」
「災害でしたらアーダル様は逃げろと避難を示唆されますでしょ?
それに物を知らぬ女子供でもシナノの将来性重要性は知れた事でしょうに、単なる考え過ぎなら良いのですけれど」
パチリと扇子を閉じてテーブルクロスの上にあるティーポットを指す。
「シナノはキリアラナの国境、深い森自体が天然の要塞ですけれども此方からはタルミラン、テンリュウ川の対岸
砂漠の先にマムクールが、ファングルの街道の先にスレイプニル、シランスに入って海の先にはイユン帝国が」
扇子が滑るようにカップやシュガーポットを巡って歌うように挙がった国の名前、虎視眈々と富を掠める獰猛な
獣の性を儀礼と綺羅で巧みに隠して外交を渡る貴族間のやり取りを耳にし、ファングル公爵家に擦り寄り
アラクネ糸よりもたらされる金に纏わり付く欲得ずくの下心を見据えるように目を眇めたグラーシアは
逆毛を立てる母猫のように警戒心を露わに外敵への備えを口にした。
「私の価値は先日の騒ぎで知れた事、自惚れるつもりはありませんけれど巻き込まれるのは無辜の民」
ス、と扇子が向けられる。
「陽子が調べていたから黒色火薬くらいなら私でも拵えられると思います。
ですが此処は魔法だの魔獣が闊歩する世界ですからね、タネが明かされてしまえば弱点は明らか。
ファイヤーボールにすら劣りましょう、ですのでこれはあくまで目眩し程度の気休めと思って頂戴」
「内緒で作っとけって事でいいのか?」
「そうね、お願いするわ」
ハラリと音も無く竜骨扇が開かれ口元を覆うと静かに命じた。




