反骨の貴婦人と神との××
「あれは美味かった!若き娘が穢れを極力払って敬虔なる祈りを歌い醸した正に甘露、見事なものだ」
手を取らんばかりに迫るアーダルの勢いで濁酒の感想を伝え、グラーシアは恐縮しつつも
微笑んでいるのは、神から直にお褒めの言葉を賜ったたかだろう。
「お褒めに預かり光栄ですわ、そして我がシナノとユリウス殿下に対してのご寛恕、感謝致します」
「構わん、火龍の仔の傷も癒えた。お前達は仔竜を救いこそすれ、害を与えてはおらぬ」
改めてと部屋を変える為に御足労願いますがと伺いを立て、邸の一番良い広間へと移動すると
アーダルに上座を勧め、座が定まると神様への饗応をとグラーシアは側に置かれたベルを振る。
本来ならば自らが支度に立ち働かなければならぬ所だが、既に神は降臨なされており
若輩、しかも女の身でありながら領主でありこの邸の主人たる自分が接待に当たらねば
神様に対し不敬であると、グラーシアとしては不本意ではあるがメイドの手で神饌を運ばせる。
「改めましてシナノに御降臨賜りました事、有難く存じ奉りまする」
パァンと柏手を打ち辞を低く頭を垂れ、神に対する尊崇を態度で示し手を合わせる。
「教会とはまた違った作法だな…そうか、異世界人か」
グラーシアのキリアラナ人と違う態度や所作に、アーダルは2人の肉体が内包する魂の色味を透かし見る。
さすれば明らかにこの世界の生物とは違う輝きと匂いを放つソレに見当を付け、口にするアーダルに
グラーシアは隠す事でも無いと深く頷く。
「はい、私もクラウドさんも共に信州の出に御座いますれば」
「ほお!同じ世界からでも珍しいのに同国人同士だったとはな」
「そうなので御座います」
「シンシュウなる国は面白いのだろうなぁ…」
メイドが捧げ持つ神酒徳利代わりの壺、そして並べられたシナノの幸を前にアーダルが唸れば
グラーシアは酒壺を受け取って神へと酌をと膝行のつもりで膝を曲げて辞を低くし
側へと寄りながら訂正をいれながら答える。
「信濃に御座いますわ、信州と言うのは私共の国では昔、国名に隣国の唐風に州を付けて呼んだのが
流行ったからと聞いておりまして、州はキリアラナで言う所の領という意味なのですわ」
「そうなのか、やはり面白いな」
淑女の礼である屈膝礼にも取れるグラーシアの所作に、アーダルは杯を取って応えた。
「此方の皆様も珍しさ故に、私の拙い業でも構わないと仰って下さいまして
勿体無くも一領の差配を仰せ付けられまして如何にか世過ぎをしております」
恭しく注がれるのは、信濃の国を口ずさむ乙女の声を子守唄に醸された米より滴る甘露。
杯を傾け舌の上に乗せればシナノと名付けた土地への畏敬と、名の元となった故郷に対する望郷の念と
領地の未来への希望の入り混じった感情の深みが神の舌を喜ばせる。
「クラウドとやらも中々に面白い、何しろ人嫌いの精霊共が争うように側に寄り付いて力を貸したがる」
グラーシアの家来では無く、なんとなく転生人扱いでなし崩しに掛かり人扱いで
結果的にはシナノに居を構えスワ湖村を与えられた名誉騎士であるクラウドは、女領主に付き従って
今も側に控えているのに目をやってアーダルが言及すれば、話が自分に及んでビックリした
当のクラウドが顔を上げた。
「うえっ!?俺がっスか?」
「更に我等を前に敬いはすれど、阿る訳でも諂い利用しようなぞという下心も無く
堂々と相対し思うところを述べ、仔竜の治療を済ませれば我等を気にする風も無く立ち去る。
あとシナノの流儀なのか神たる我等に人間の馳走を供すとは…此方の教会なぞ花を供え香を焚くのみで
何とも味気ないとは思うておったが、食事とやらがあんなにも心弾むものとは思うてもみなんだ」
沁々と供えられた神饌と神酒を堪能しつつ異世界の民の神々に対する信仰に思いを馳せるアーダルは
すっかりこの異世界流の饗応が気に入ったようで差されるがまま杯を仰ぐ、そして唐突にクラウドと
神酒壺を持つグラーシアに祝福を与えようと言い出した。
「気に入った!2人共マトラの寵児故に我から表立った加護は与えられぬが祝福ならやれる。
何か願うところがあるのなら何でも口にしてみよ、出来得る限りの手助けをしてやろう」
杯を片手に上機嫌なアーダルに、恐る恐るといった体でグラーシアは訊ねる。
「何でもと仰せられますと?」
「此方のシナノの繁栄程度なら我の力でも可能だぞ」
運ばれたナッツをツマミに濁酒を舐めながら壮大な神力の行使を宣言するアーダルに
少しばかり考える風に小首を傾げるグラーシアは、何かを決意したかのように傍らに控えるメイドに
自室に置いた小箱を取りに走らせると、届けられたそれの蓋を外し恭しく両手で差し出して見せた。
「ん?これは…山に落ちている糸屑虫か」
アーダルは差し出された箱に納められた物を摘み上げて確かめれば、此方の世界で呼ばれる名にて
それの正体をサラリと口にする。
「キリアラナではそう呼ぶので御座いましょうけれど私共はこれを蚕と呼んでおりました」
「カイコ…と言うのか、それがどうしたのだ?」
「私はこの蚕を飼って糸を採る蚕養の業をこの地に根付かせシナノを起点に
世界中にシルクロードを敷く事を夢見ましたので御座います」
「シルク…シルクが糸屑虫から作れるのか!?」
アーダルが驚くのも無理はない、此方の世界ではシルクはダンジョンでエンプレスシルクウォームという
蛾のモンスターをを倒して得られるドロップ品で、殆ど王侯貴族の婦女子にのみ用いられる
金を通り越してミスリル並みの価格の高級品なのである。
「この糸屑虫からシルクが採れるというのは誠か!?」
重ねて問うアーダルにグラーシアはニィと笑んで見せ、深紅に彩られた唇から紡がれる言葉は
その色の如く赤々と燃ゆる野心が滲む。
「誠に御座います。私はその蚕の卵を扱う蚕種商人の娘、嘘は申しません」
神を前に畏れるでもなく直ぐに目を合わせて言い募るグラーシアの意気にアーダルもクラウドも
呑まれたように言葉を失った。




