23
翌日。ゴムボートを湖に荷揚げして。
岸でススムが見守る中、ボートの操船は貞次郎。ウェットスーツに命綱、の敦が潜り。
運良く早々と。
湖底に沈んでいた“主”を、発見。確保。網かごに収め、岸に上げたのだった。
それはビデオそのままの姿。大きい、真っ黒な魚体だった。「……」
敦の左手から血がにじんでいる。
「迂闊に触らない方がいいです。武器を隠し持ってます。口の中に、突き出し式の棘が仕込まれていました。やられちまいましたよ……」
グローブのおかげで浅い傷で済んだのが不幸中の幸い。
「ただの木像じゃなかったのか……」
「そのようです」
敦、唇を歪ませる。
「これでますます……」
「……」
「……」
水から陸に上げると重い。ボロで隙間を詰め、慎重に荷作りして、大人二人が難儀して町まで下ろした。二人とも、終始、口数が少なかった。そして、高校に持ち込む。
宮腰先生は斟酌なく感想を口にした。
「黒一色だが造形が素晴らしい。目ン玉は大きく生気に溢れ、鱗は流麗かつデコボコと力強い。姿は堂々気品を放ち、今にもブルンと身が動き、見得でも切りそうな勢いではないか。芸術作品としても一級品であるな」
敦が反応する。
「『も』とは?」
「本性は別にある、ということだよ。任せたまえ」
そこからは宮腰の独壇場だった。実験室別室のX線装置に持ち込み、透過し、内部を観察する。
その、白黒濃淡の一枚目の写真を掲げた。
「思った通り、実体はカラクリ人形であったよ。魚体内部は空洞であった。そこに、水中で浮力とつり合うよう計算された鉛の重りと、多分乾燥のためだろう炭が詰め込まれていた。何より、一番の目玉がこれだ。自動巻きのゼンマイだな。魚体が揺すぶられると勝手に巻き上がる構造になっておる。これが動力源だ。ある程度にまで巻き上がったらエネルギーを解放するのだ。具体的には重りを、ゆっくりと左右に振り続けるのだ。そうすることによって魚体を横揺れさせる。するとどうなるか。魚体本体と蝶番にて繋がっている尾ビレ、胸ビレが一定のパターンで動くのだ。結果、それが推力となり、魚体を前進させることになるわけだ。ヒンジ構造にしてヒレを本体と分離させたのは、本体内部の水密性を保つための工夫だろう。あと、外見で目立ったところは、まず、腹ビレに当たるところの、この、下に突き出した角だ。魚体の前寄り。ちょうど重心の位置の直下にある。恐らくだが、湖底の土に突き立てて、風見鶏の回転軸のような役割をさせたのだろう。水流の上流側に頭を向けさすことによって、姿勢の安定とともに、適度に本体を揺さぶらせ、ゼンマイを滞りなく巻けるようにしたものだろう。よく考えられている。両サイドのエラの辺りに横に伸びている棒状の、髭みたいな物は、推測だが方向転換器だ。例えば、右の髭の先端に何かが当たったとする。すると、当たった所を中心にして、魚体は右旋回するわけだ。単純なギミックだが効果的だ。さて、もう一つ。小林君が喰らってしまった棘だ。本体動力部とは部屋が分かれていて独立機構になっておる。これも自動巻きで、普段は棘を引っ張って保持、トリガーが引かれると一気に突き出す。そんな機構になっている。リンク構造で軽エネルギー化と倍速化を実現しているのも目を見張らせるね。トリガーは口吻の下側、下唇だな。そこに触覚状の構造体があって、何かが触れる事によって作動する。小林君、知らず、触ってしまったのだろう、お気の毒様だ。で、この武器は本体の口から腹にかけて設置されてあるのだが、室内は腐食防止のために油で充填されていた。で、あるが、口吻の先に穴が開いていて棘が収められているということは、だ。結局、少しずつ少しずつ油が抜け、やがては、この武器室は、水没すること、覚悟の上だったのだろう。稼働する水中武器という物の性格ゆえ、仕方ないことだった。つまり作者は、武器は、早期に壊れてもやむなし、短期決戦用、と考えていたのだろう。ところがだ。棘の径と穴径が奇跡的にしっくりして、水密性が保たれたのだ。それで今日まで保った。これは驚くべき事なんだが、説明は後に回そう。今一度、外観を見てもらいたい。黒いだろう。これは、“漆”だ。木材製の魚にコーティングして、防水性を実現させたものだ」
ここで先生はススムに眼差しを向ける。
「小林君から預かった“釣り針”を分析した。結論から言って、針先のこびりは、漆だった。しかも、間違いなくこの主の、漆だった。見なさい」
主の口吻を指さす。
「下唇に真新しいひっかき傷があるだろう。その傷跡、釣り針の針先形状と一致した。つまりだ――ススム君。君はね、本当に、もう少しで、この主を、釣り上げていた所、だったのだよ」
「!」
ここは、感激していいところなのだろうか? 悔しがって見せるところなのだろうか? とにかく、クラクラする――
動揺するススムをそのままに、宮腰は話を続ける。
「主伝説はこうだ。殿様に従う家来のように、数十匹、百匹にも迫る小魚たちが、主の後を追うように行進する。この現象は、身の安全のため、大きな物の後に追従する魚の本能から来たものと、説明できる。その上、漆塗りの人工物というその匂いにも、魚たちは惹かれたのだろうと推測する。だから主一行の進軍という不思議な現象が表れたのだ。その上でのススム君、君のこさえたひっかき傷だ。その傷口から『新鮮な匂い』が発散して、魚たちを口元まで呼び寄せたのだろう。そこで、触覚が反応して、棘が魚を突き殺す。あの、魚大量死の真相は、そうだったに違いない。そして、歴史的に、今まで同様の事件がなかったのも――ならびに先の水密性の理由、武器室が水没していなかったのも――今まで、『作動していなかったから』、と説明できる。つまり、この主は、作られて、湖に放たれて早々に、運悪く湖底に引っかかってしまって、ススム君に助けられるまで、ずっと動けない状態だった、と結論できるのだ」
敦が挙手して質問をぶつけた。
「何時、誰が、作ったのですか?」
核心の問いだった。宮腰はほほ笑んだ。
「わざと、最後まで説明を控えていた。ここに透過画像がある。内部空洞に木札が仕舞われていて、それに墨で子細が記載されていたのだよ」
二枚目の写真を掲げる。
『慶応元年八月 田中儀左衛門 銘 ウオオオ』
皆の口から、同音の声が叫ばれたのだった。
「魚王(うおおお)!!!」




