91 三人娘の心配事
休養日明け三日目、研究日前三日。便宜的な曜日で言えば水曜日は週の中日であるので、中日と呼ばれている。中日はBクラスでは午前に呪文学、午後に歴史学が行われる。呪文学の専用教室、通称呪文室で朝一番に入ってきたファーノはノエルとアインの確保のため、一番前の三人席を陣取っていた。
始業時間が徐々に近づき、クラスメイト達が次々と姿を現す。ノエルとアインが一緒に教室に入ってくるのを確認してファーノは手を振った。
「ファーノさん、席の確保、いつもありがとうございます」
アインの言葉に「いえ、いつも通りの時間に来ただけですから」と笑って応える。
ノエルを挟んでファーノは左端、アインは右端に座るのがいつもの座り順。それぞれが机の上に呪文学の教科書を置きながら、談笑に耽る。
談笑の途中、ミリーが呪文室に入ってきた。いつものように無表情ではあるが、なんとなく上機嫌に見える。ゲイル、ネルカ、ミリー三人の専用席になりつつある一番前の右側の席に腰を掛けて授業準備を始めていた。耳を傾けてみれば鼻歌を鳴らしていた。
「かなり機嫌がいいみたいですね。何かいいことでもあったのでしょうか?」
ノエルの言葉にファーノが答えた。
「どうも昨日の昼食で休養日に一緒にお出かけすることが決まったみたいです。ゲイル様とミリーさん、お二人でお出かけするところ滅多に見ませんからね。ご機嫌になるのも当然だと思います」
昨日の夕食の時に上機嫌に平民寮で食事をとるミリーから聞いたことをそのまま話す。
「そうなんですか。これはこれは……。ミリーさんも分かりやすいと言うか、かわいいと言うか」
「ええ。かわいらしいですよね!正直言えば二人きりでのお出かけの時にミリーさんがどんな表情するのかを見てみたいです」
「表情もそうですが、どんな服を着ていくのかが気になりますね。かなり気合を入れるはずなので、気合を入れたときの服装を見てみたいです」
「ミリーさんのことですからきっと気合を入れようとして、かえって混乱しちゃってるんじゃないでしょうか?」
「でしたら、あとでミリーさんの部屋に訪ねてみません?」
「そうですね。そうしましょう!」
話題に食いついたノエルと一緒にファーノは二人で盛り上がっていた。
「ノエル様もファーノさんもアドバイスと称しつつミリーさんをからかいに行きたいのではないですか?かわいそうですからやめて差し上げてください。戸惑ってしまわれますよ?」
アインが忠言を入れると「あたふたしているところを見てみたいじゃないですか」とファーノが返す。
「その時の顔もかわいいに決まってます!」
「かわいらしい表情を浮かべるとは思いますが、だからってわざわざそういう表情を浮かべさせに行こうとしなくても…………」
アインは苦笑を浮かべた。
今度はゲイルが教室に入り、ミリーの左隣に座る。ミリーから聞こえていた鼻歌はいつの間にか止んでいて、ゲイルと談笑を始めた。
「ミリーさんはデートと考えているでしょうが……、ゲイル様はどうお考えなのかしら?」
ノエルが疑問を浮かべるとファーノは「分かりきってるじゃないですか」と言う。
「きっと兄妹デートと考えてるでしょうね」
「まぁまぁ。なんとなく噛み合いませんね」
ノエルとファーノはクスリと笑みを浮かべる。
「いいじゃないですか。噛み合わなくっても。あの二人は噛み合っていないからこそ、このまま続いていける御関係だと思いますから」
アインは盛り上がっている二人に比べて落ち着いたように話す。その言葉はまるで達観しているかのようで、大人びて見えた。
「…………ただ、このままだと、二人の距離は縮まるどころか離れていく気がしますが…………」
ぽつりと漏れた言葉を拾ったノエルとファーノはけげんな表情を浮かべながら「どういうことですか?」と尋ねようとする。
その時、ちょうどネルカが呪文室内に入ってきた。背筋を伸ばしており、落ち込んでいるようには見えない。ただ、その姿はなんとなく近寄りがたく感じさせた。指定席であるかのようにミリーの右隣に座り、けれどもミリーとゲイルとの談笑に交じるわけでもなく、静かに目をつむって始業時間を待っていた。その様子にゲイルとミリーは顔を見合わせていたが、ファーノたちもそうだった。
「…………やはり、雰囲気が変わられましたね」
ファーノが心配そうに言葉を漏らす。
「時間が解決してくれることを祈るしかないでしょうか?」
ファーノの呟きに「でしょうね」とアインが返す。
「何があったのか、何を思われているのかはネルカ様にしかわからないことですから。ネルカ様が納得なさるのを私たちは待つしかありません」
「あまり長引くと、心も身体も調子を崩されてしまわれません?ご相談していただけると嬉しいのですけれど…………」
心配そうにつぶやくノエルに「それも含めて納得なさるのを待つしかありません」とアインが返した。
「相談なさらないのは単に溜め込んでいるからではなく、本人がまだ誰かに相談する時ではないと感じているからです。私たちには分からないだけで、ネルカ様はネルカ様でご自身の力で何かを一人で解決しようと葛藤しているのだと思いますよ?こういう時に変に声をかけてしまってはかえって解決の邪魔をしてしまうことにもなりかねません。ネルカ様自身既に成人なさっておりますし、リーゼロッテ様の意識も持っておられる方です。精神的には私たちのこれまでの人生の倍以上を生きてらっしゃる方です。その方が悩んでおられる中で、まだ経験の浅い私たちができることはそれほど多くないですよ?傍目で見てもどうしようもなくなったと私たちが思ったときにご相談を受けさせていただければいいと思います。尤も……」
アインはチラリとゲイルとミリーを見ながら言葉をつづけた。
「きっとゲイル様とミリーさんが真っ先に相談に乗って解決してくださる気がしますけどね」
そう言ってクスリと優しい笑みを浮かべる。
「きっとそうでしょうね。でも、私たちだって同じ学友なのですから私たちにも相談してくれるのがうれしいのだけれど」
ノエルは同意を示しながらも自分だって役に立ちたいと言わんばかりに若干の不満を言葉に含ませる。
他方でファーノは不安を抱いたままだった。
(今でこそ大丈夫そうだけれども、このままだとやっぱりまずいんじゃないかな?貯水池が決壊するように大事にならなければいいのだけれど…………)
そう考えながらも、始業のベルが鳴ってしまったため、考えを中断させて、先生が入ってくるのを待つべく姿勢を正した。




