62 お兄ちゃんって呼んでぇ!!!
「ゲイル様!ゲイル様!」
痛む身体を動かせず、ミリーはひたすら呼び掛けていた。ノモンは目の前で起きたことを理解できず、尻餅をつかせるだけだ。暫くするとよくわからないものが触手をゲイルから抜き取る。
失われていた光が目の中に戻り、ゲイルは瞬きをした。その姿を見てミリーは安堵し「ゲイル様!」と呼ぶ。キリキリと首を横に動かし、ゲイルは口を開いた。
「お兄ちゃんと呼んで」
「……はい?」
突然告げられた言葉にポカンとするミリー。ノモンも何を言い出したのかと目をパチパチさせていた。
「お兄ちゃんって呼んでえ!」
突如ゲイルが飛び上がり、ミリーの下へとダイブしようとした。
「ヒィッ!」
悲鳴をあげてしまうミリー。今の悲鳴可愛かったなと思うノモン。そんな二人をよそにゲイルは空中からミリーへと近づいた。
「そぉいっ!」
間一髪のところでネルカがゲイルに体当たりした。ゲイルは飛ばされ地面にバウンドする。
「な、何が起きたんですか?」とミリーはネルカに尋ねた。
対するネルカはミリーの姿をまじまじと見る。
自分がこの日のためにと新調してきた青のワンピース。ハイソックスに膝下まであるブーツ。腰のベルトと奴隷の首輪はファッションのよう。先の時は気がつかなかったが、服は汚れていて若干破れが入っており、スカートからは下着が覗かせていた。突然のゲイルの奇行に恐怖したのだろう。目には涙が溜まっていた。
(ミリーちゃん可愛い!食べちゃいたい!)
他事考えていた。
ゆらりゆらりとゲイルが立ち上がる。それを見たノモンが「おい!」と叫んで注意を促した。ネルカがハッと我にかえり、剣を捨てて拳闘の構えをとる。
「ゲイル君、どうも我を忘れちゃってるみたいだから正気に戻すね!殴って!」
残念娘と我を忘れた残念男によるミリーを懸けた闘いがここに始まった!
一方、ゲイル達の下へと飛んでいったネルカに置き去りにされたグルアーノはただ一人よくわからないものと奮闘していた。
「……こいつ。核とかそういう類いのモノは持ってないのか……?」
奮闘しているが、苦戦もしていた。下手に触手に触れられるとゲイルのように奇行に走り出すようだ。かといって、魔法で強化されていない剣でないとよくわからないものに対処できない。グルアーノに攻撃を集中させ始めた無数の触手を捌きながら、グルアーノは打開策を伺っていた。
援軍が欲しい。
グルアーノはチラリと教員達の方を見る。
視線に気づいた教員達のほとんどはそぉっと目を横にそらす。学園長は朗らかな笑みで親指をたてた。
「任せた!」
「貴様らそれでも教員かああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
普段温厚なグルアーノもこのときばかりは流石にキレた……………………。
「学園長……。やっぱり助太刀した方が良いのでは……?グルアーノの奴、なんか怒ってますよ?」
ギルバートが恐る恐るといった感じで、学園長に提言する。
「じゃがアレに触れるとああなるぞ?」
学園長はチラリとゲイルに一瞥した。ゲイルは血走った目で「お兄ちゃんって呼んで」を連呼しながらネルカに襲いかかっていた。対するネルカはゲイルの顔面を拳で殴り飛ばす。再び立ち上がり襲いかかる。殴り飛ばす。
NOW LOOPING♪
「ああはなりたくないじゃろ?」
その言葉に幾人もの教員が同意するように目を逸らした。
ちなみにモルゼオ。
「触れただけで我を忘れるか……。だがゲイルは一貫して兄と呼べと連呼している……。アイツの性向を刺激したか?」
考察に励んでいた。
「ちょっとゲイル君!君はそこまで欲望を駄々漏らしするような子じゃなかったはずだけど!?」
殴っても立ち上がり、また殴っても立ち上がるゲイルに徐々に心から引き始めるネルカ。
「俺はミリーにお兄ちゃんって呼ばれたいんだあ!」
対するゲイルは欲望を吐き出し続けるだけだった。当事者のミリーは突然のゲイルの変貌に恐怖でノモンにしがみついていた。ノモン、役得である。
「ちょっとは私の言葉を聞いてくれても良いんじゃないかな!?」
ネルカは渾身の蹴りをゲイルにお見舞いする。ゲイルは横の方へと飛ばされていくが、再び立ち上がった。
「あれ、どうすれば止まるの?」
「自らの不満を引き出したものがおるな……」
突然後ろから声をかけられネルカは飛び上がった。見るとルーカスが傍に居た。
「ちょっ!ルーカス!そっちじゃなくてあっち!あっち!!!よくわからない触手の方!!!!!」
学園長がよくわからないものを指差しルーカスへと呼び掛ける。けれども彼は気にせず考察を続けた。
「ゲイル君の不満……。ミリー君に兄と呼んでもらえなかったことにあるな……。その不満を指摘され、欲望が駄々漏れになっていると見た……」
「まあいつもミリーちゃんの前でお兄ちゃんで居ようとしているからね……。あれ、治るの?」
再び寄ってきたゲイルを思い切り殴り飛ばす。さっきよりもよく飛び、10回位バウンドした。
「欲望を食い止められるかは分からんが、我に返して動きを止めることは可能と見た……。一度ミリー君にお兄ちゃんって呼ばせてみるのが良いだろう……」
「ふぇ?」
ミリーが可愛らしい声をあげる。ネルカとノモンがその声に釘付けになった。
「呼んでみるといい……。お兄ちゃんと……。それがゲイル君の望みだ……。呼べばおそらく奇行も治まるであろう……」
「ミリー!俺をお兄ちゃんって呼んでくれえ!」
立ち直ったゲイルが再び走り出す。ミリーは俯いていた。
「呼ばねば正気には戻らんかもしれんぞ…………?」
ミリーは肩を震わせながらゆっくりと口を開く。
「お、おにい……」
「ミリー!お兄ちゃんだよお!」
ゲイルの声が耳に入った。その時、ミリーの心に靄がかかる。
肩の震えが収まり、頭が冷静になる。
呼ぶのは簡単な話。
呼べばゲイルは正気に戻るかもしれない。
けれども納得できるかどうかは別。
ミリーは意を決して、心の赴くままに激情を言葉に乗せた。
「私の気持ちを聞かずに勝手なこと言わないで!ゲイル様なんか大嫌い!」
ミリーは立ち上がり、スカートをはためかせてその場を立ち去ってしまった。
重たい沈黙が支配する。
ネルカが恐る恐るといった感じにゲイルの方を向く。
「ゲイル君……?」
彼は地に膝をついて青空を見上げていた。
「…………………………………………」
死んだ魚のような眼をしながら真っ白に燃え尽きていた…………………………………………。




