48 謎の魔術?
魔王レーノと姫騎士リズの転生者は婚約者同士だった。その事実は一晩のうちに広まってしまい、寮の夕食時、翌日の朝食時、そして登校の時もその話題で持ちきりだった。Bクラスの生徒たちもまたギルバートの剣術の授業が始まる前から更衣室で、訓練場でその話をしており、男女問わず持ちきりだった。
話しかけられてあれこれ聞かれはしないものの、ネルカの居心地が悪かったのは言うまでもない。気づいたのは休養日のことであるが、ここ最近ネルカの機嫌が悪かったのはそれが理由ではないかと信じられるようになってしまった。
「申し訳ございません。私が余計なことを言ったばかりに……」
ミリーは再度ネルカに謝罪を述べる。その言葉に気づいてネルカは慌てて応えた。
「ミリーちゃんの気にすることじゃないよ!私の問題なんだし!」
実際ミリーの一言よりもゲイルが踏み込んだがために広まるきっかけとなったのだが、当のゲイルはというとなぜか校舎の壁を背に逆立ちをしていて、こちらの話題に気づくそぶりもない。その姿を見てミリーが嘆息したのは言うまでもない。
「ゲイル様ももう少し気を遣ってくだされば……」
「あはは……。まあゲイル君だしね……」
ネルカは苦笑いして応える。
さて、逆立ち中のゲイルのところには、剣術担当のギルバートが寄っていた。
「おまえ、何してるんだ?」
「逆立ちすれば世界が逆さに見えるかなと思って」
頓珍漢な答えが返ってきた。
「まあいい。ゲイル、おまえ来週からこっち来なくていいから」
その言葉に驚いたゲイルは腕を崩してしまった。そのまま頭を直撃させ、首をひねってしまう。
「お、おい!大丈夫かっ!?」
「〜〜〜〜っ!〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
声にならない悲鳴を上げ、くるまってしまう。ミリーとネルカが急いで寄ってきた。
「ゲイル様!頭大丈夫ですか!?」
「っ!?」
その言い回しにゲイルの目尻に涙が溜まった。別にそういう意味で言った訳ではない。そういう意味で言うには今更である。
「首か?首をひねったな?」
頭よりも首を抑えるゲイルを見てギルバートが冷静に首を見る。足をばたつかせているので折れた心配はなさそうだ。ただ、首の捻挫はかなりきつい。歩くたびに振動で首筋や頭に痛みが走る。しばらくの間、運動はそうそうできないだろう。
ギルバートはこれで授業参加は無理だと判断し、ゲイルを抱えて保健室に向かおうとする。
「ちょっと待って」
ネルカの一声にギルバートが振り向く。彼女はぶつぶつと何かを唱えた。するとゲイルの足元に小さな白い魔法陣が現れ、白い光が彼を包む。しばらくして、光は消え、同時にゲイルが息を吐くように言葉を出す。
「っ!は〜〜〜〜っ!死ぬかと思った〜〜〜〜〜…………」
ミリーはゲイルの首筋を撫でながら「今度から意味もなく逆立ちするのはやめてくださいね」と注意する。
「……おい、ネルカ。今のは回復魔術じゃないよな?」
ギルバートが怪訝な顔をしながら尋ねる。
「詳しい術名は知らないよ?ただ回復魔術と似たような効能があるだけ。まあ使うにはいろいろと不便があるんだけどね…………」
「その魔術、自分で見つけたのか?それとも誰かに教わったのか?」
その質問にネルカはしばらく頭をひねらせる。言っていいのかどうか迷っているようだった。しばらくしてからポツリと呟いた。
「アリスから……」
一瞬「誰だ?」と思ったギルバートだが、ネルカが姫騎士リズであることを思い出し、驚愕する。
「なんという魔術だ?系統とかも教えてくれ。今のは白魔術の類じゃないよな?」
「うぅん……。魔術名は本当に知らないんだよねぇ……。アリスが使ってたのを簡略化したものだから……。ただ……」
そう一拍置いてから「白魔術じゃなかったのは確かだよ」と呟いた。
世間一般では、白魔術は回復系の魔術、黒魔術は攻撃系の魔術と考えられている。ただ、専門的になると昨日のルーカスの授業で言っていたアッカーマン魔術公理系で起動できるものが白魔術、そうでないものが黒魔術と言われている。ギルバートはその辺の専門的な知識を持っていないが、直感的に白魔術ではないと気が付いた。
「なら黒魔術か……?」とギルバートが問うとネルカはかなり言いづらそうにしていた。
「その……。黒魔術でもないみたい」
ギルバートは眉間にしわを寄せる。白魔術でも黒魔術でもないというのなら今の魔術はいったい何なのだと……。そもそも黒魔術でもないとなぜいえるのかと…………。
するとなぜかミリーが口を挟んだ。
「おそらくどのような公理系を採用してもネルカ様が今使われた術は構築できない、ということですね?」
魔術公理系は数理学や論理学の文脈に対して具体的に魔術の専門用語を当てはめて構築する。そこから導かれたものが実践的に魔術として使えるようになる。
また、数理学や論理学がかかわってくるので、ある魔術についてその魔術が魔術公理として表現可能であるのかどうか証明の作業がかかわってくるのだが、白魔術と黒魔術に分類されるすべての魔術はアッカーマン公理系以外の公理系で証明可能のはずだ。もし白魔術でもなく、かつ黒魔術でもないとすれば、今の術はすべての公理系から証明できなかったということになる。
「今使われた魔術は……、公理系では証明できないことを証明されている……ということですか?」
ミリーの問いにネルカがこくりとうなずいた。もしこの場に魔術の専門講師がいれば大騒ぎしていただろう。そんなことありうるのか、そのような例がそもそも存在していたのか、それがありうるとすればなぜ今ネルカがその術を使えたのか等々、いろいろとネルカに質問するのは間違いない。魔術の通説が覆されたのだ。
「……ネルカ様が証明なさったのですか?それともアリス様が?」
「アリスだよ。……厳密にはアリスのお師匠様。アリスは証明不可能性の証明をなぞって確認したって言ってた。私はそれを聞いただけだから詳しいことは本当によくわからないけど……」
それを聞いてミリーは何かを言いたげに一瞬口を開いたが、思い直して口を閉ざしてしまった。
何とも言えない妙な空気が3人の間で流れる。
そこへゲイルが口を挟んだ。
「そういえばギルバート。来週から来なくていいって言ってたけどどういうこと?」
ギルバートは我に返ってゲイルに振り向く。
「ああ。一昨日の想起の儀式でおまえ弓矢使ったのを想起したよな?あれで剣術ではなく弓術に専念するのはどうだ、って提案があってな。おまえがよければ弓術担当のコーデリア先生がマンツーマンで見てくれるらしい」
「そういえばそうだったな……。でもよ、それだけで弓術に専念する理由にはならなくないか?」
「いや。そうでもない。単に弓を使えるってだけだったら気にも留めなかっただろうが、前世のおまえに限って言えばかなり高度な技量を持ってたんじゃないかってモルゼオが言ってな。コーデリア先生も想起の映像を見て興味を持っていた。尤も今のおまえが弓を使う知識まで想起できているかはわからんが……、一足先に練習するのもいいだろう」
一足先に、という言葉には二つの意味がある。一つは弓術の授業は二年次以降の選択科目であること。今回一年前倒しに練習できることになるらしい。もう一つの意味は今後執り行われる想起の儀式で弓術に関する知識を想起する前にも練習してしまおうということだ。
「うぅん……。そんなにすごいことかねぇ……。狩猟で使ってた程度みたいだったぞ?」
「おまえの評価は知らんよ。評価してるのはモルゼオとコーデリア先生だ。せっかくなんだし提案を受け入れとけ」
そういわれて「わかった」とだけ答えた。授業終了後に弓術用の訓練場に案内すると言われ、それから始業の予鈴が鳴った。




