第1話 座標
地震にもよく似た振動が、作戦会議中の天幕を揺らした。
ノスタルガイア共和国は三年前、隣国のイルガニオス共和国に侵攻を開始した。
初めの一年はこちら側の圧倒的優勢を保っていたが、ここイグニア森林に入った途端、足止めされてしまい、思うように進めない。つまりは現在の最前線がここだ。
理由は大量の地雷と、榴弾砲。迂闊に進めば榴弾に引き裂かれ、地雷に脚を吹き飛ばされて苦しみながら死ぬだけだ。
しかも敵は新兵器を使ってくる、我々は《矛の傘》と、呼んでいるが正式名称は《ショットガン》だそうだ、発射と同時に弾が散らばるようになっていて、この森では圧倒的命中率を誇る。
じりじりと戦力が削がれているが、戦線を押し戻されていないのは彼らの活躍によるところが多い。
『アサルトスコーピオン』
それが彼らの部隊名だ、部隊のマークは腹をナイフで貫かれたサソリ。不気味極まりないマークだが、これが描かれた旗があるだけで戦線を一週間は維持できるというのだから素直にすごいと思う。
伝達兵である俺は、彼らと作戦本部を結ぶ役割を担っているのだが、伝達する内容を俺は知らない。知ってはいけないのだ。
レイがするべきことはただ一つ、地雷原を通り抜け、彼らに封筒を届ける。それだけだ。
「今日も頼んだぞ、アンダーソン上等兵」
肩を叩きながら司令官が封筒を渡してくる。もちろん固く糊付けされているので開けたら十中八九バレるだろう。
「了解しました将軍」
敬礼して受け取ると、壁に立て掛けてあった旧式のボルトアクションライフルを肩にかけ、天幕から出る。
昼飯は向こうで食うことになりそうだ。
三十分後。
そこにいるはずの部隊がいなかった。
『アサルトスコーピオン』と、二つの中隊がそこにいるはずだったのだが、もぬけの殻だ。
かわりにいるのが黒い軍服を着た、敵兵。
奴らの戦力は大体三十人位だろう、敵陣地側には多数の死体が転がっているので、直前まで味方が戦っていたのだろう。
しかし不思議なことに、味方の死体は一切ない。
「こっちだレイ」
肩を叩かれ、全身に悪寒が走ったのもつかの間、それは安堵へと変わる。
「あ……少尉でしたか、この状況はどういう……」
恐る恐る聞いてみると、その答えは返って来ないまま胸ポケットに入れた封筒をひったくられた。
ビリビリと雑に口を破き、中の伝令書を確認する。
「チッ」
いきなり少尉――アサルトスコーピオン隊長、ダイヤ・カイルレン少尉が憤激をあらわにした表情で舌打ちをしたので思わず驚く。
「どうされましたか……」
「やっぱりか……」
眉をひそめながら伝令所を握り潰した少尉は低い声で言った。
「砲撃が……来る」
言っている意味が分からなかった。
無線はジャミングによって使えなくなっているので砲撃要請は不可能なはずなのだが、なぜ?
「走るぞ」
そう言って強引にレイの腕を掴む。しかもかなりの握力だ。
焦燥に駆り立てられたように薄暗がりの森を駆け抜け、斜面にできた洞窟の中に滑り込む。ここならば榴弾砲を凌げる。
着弾と同時に炸裂する榴弾は、木々に命中することでその木を粉砕し、さらに木々の破片によって歩兵を殺戮することができる兵器だ。最大の問題は狙いの精度が粗いため混戦地帯に砲撃すると友軍まで巻き込む危険性があるため迂闊に砲撃できないことだ。
それを強行しようとする軍は一体どうなっているんだろうか。
洞窟を見渡すとすでに退避しているアサルトスコーピオン隊員とノスタルガイア共和国軍兵士、いずれも敵に占領された陣地にいるはずの兵士だが、ダイヤの指示によってここに退避したらしい。
『紅き戦神』いつの間にかレイはそう呼ばれていた。
紅い双眸と鮮血にまみれた姿から畏怖と畏敬を込めて敵兵から付けられた名前だが、旧式のボルトアクションライフルで新型アサルトライフルを凌駕する立ち回りを見せ、屍の山を築き上げたグラトレイア攻略戦の凄まじさから考えれば至極当然ともいえる。
風切り音と共に多数の榴弾が飛来した。
轟音。
刹那の閃光と共に、轟音が森を揺らがし、榴弾の破片に兵士がその身を引き裂かれる。
断末魔と着弾音が重なり、広がる。
共和国は俺たちを殺すつもりだった。そうとしか思えない、しかしなぜ?英雄である彼らを殺して打撃を喰らうのは共和国ではないのか?
矛盾の中にふと言葉が蘇る。
『やっぱりか……』
彼はそう言っていた。分かっていたのだ、殺されることを。
しかしなぜ……。
「防衛陣地を破壊し森林を放棄する、そのための砲撃か……」
ふと兵士が言った、しかし言葉の内容が頭に入ってこない。
「放棄って……どういうことですか……」
「ああ――」
彼らは共和国軍兵士リストに、戦死を表す打消し線を引かれた。