68話
突如、古泉さんの体が動かなくなった。
宙に縫い止められでもしたかのように、落下もせず、ただ、そのまま。
〈まさか、これを使う事になるとはな〉
アイディオンが首を回しながらゆっくりと立ち上がる。
その右手から、輝きを失った何かの破片がぱらぱらと零れて落ちる。
「ソウルクリスタル……!」
おそらく、自身のものでは無いソウルクリスタルを使い捨てで使ったのだろう。
……相手の自由を奪う異能か何かだろうか。
アイディオンがソウルクリスタルをこういう風に使い捨てで使った事例は今まで報告されていなかったが……こういう可能性も十分、考えておくべきだったのか。
考えてどうにかなる相手だったとは思えないけれど……。
〈大口を叩いても所詮はこの程度か〉
桜さんと一緒に援護に向かおうとして、足を止める。
古泉さんの手が、アイディオンに見えない位置で、来るな、と合図していた。
〈顔は覚えておいてやってもいい。私に紛い物の力まで使わせたのだからな〉
そして、アイディオンの赤い鎌が、今度こそ古泉さんの胴を薙ぎ……ぶつかって、止まった。
〈……何?〉
明らかにアイディオンは困惑している。
「……はっ、間抜けだな、アイディオン!」
そして、ソウルクリスタルの効果が切れたらしく、動けるようになった古泉さんがまたアイディオンから距離を取る。
「使い捨てのソウルクリスタルに頼った揚句この様か。いいな。笑えるよ」
にやり、と笑って古泉さんとアイディオンは再び、見えない刃を介したやり取りを始める。
……ように、思われた。
〈何か勘違いしているようだが〉
古泉さんの体がまたしても、宙に縫い止められて止まる。
〈笑うのは勝者の特権だ〉
アイディオンの手からまた、ソウルクリスタルの破片がぱらぱらと零れ落ちる。
そして、見えない刃が古泉さんを切り裂いた。
「叔父さっ……!」
駆け寄ろうとした茜さんの動きが止まる。
その空間に縫い止められたように。
〈無駄だ〉
次々と、アイディオンは取り出したソウルクリスタルを発動させて、使い捨てていく。
桜さんも恭介さんも、双子も、俺も、一瞬のうちに動きを封じられた。
……こんなに大量に、同じ異能のソウルクリスタルを、使い捨てにできる、なんて、絶対におかしい。
ましてや、エレメント系でもなんでもない、珍しいタイプの異能なのに。
けれど、ソウルクリスタルの残骸はアイディオンの足元にどんどんと積み重なっていく。
このアイディオンは、その在りえないことをやっているのだ。
〈冥土の土産に教えてやろう〉
古泉さんが一瞬動いて、すぐにまた動きを止められる。
〈我らは最早、限りなく魂に近いものを幾らでも生み出せるようになったのだ〉
そして、またしても古泉さんの体が切り裂かれ、血を吹く。
〈紛い物の力に過ぎないが、お前たちを殺すには十分すぎる〉
ふと、アイディオンはこちらを向くと……桜さんの体が数か所、切り裂かれる。
〈魂が崇高である必要などない。魂の過程に意味など無い。最早、魂には何の価値も在りはしない!〉
もう一度、古泉さんの体を見えない刃が貫いた。
動けない。
指先一本動かせない。
当然口も動かなければ、発声もできなかった。
古泉さんの命が危ないときに、俺は全く動けない。
今も俺の目は、古泉さんの足元に血だまりが広がっていくのを見ているだけだ。
……けれど、頭は動く。
そして……異能が使えない訳でも、無い。
古泉さんは赤い刃を止めてみせた。
あれは間違いなく、ぶつかった瞬間に『反転』させて止めたのだろう。
だから、俺達は動きを止められていても、異能は使える。
桜さんが狙われたのも恐らく、こっそり風を使って戦おうとしたからだろう。
……しかし、茜さんのように、発動に一定の動作が必要となるような場合、当然異能を発動できない。
茜さんの異能が発動できれば、投げキスで非効率的ながらも古泉さんを回復させたりできるんだろうけれど、それもできない。
恭介さんが異能を発動させてアイディオンに致命傷を与えることも、当然できない。
アイディオンに攻撃された場合は別だろうけれど、アイディオンも下手にこちらに手出しをする気は無いようだから、恭介さんの異能も期待できないだろう。
……俺がこの状態でできることは、幻影を作ることだけだ。
言葉一切抜きで、幻影だけで嘘を吐かなければいけない。
幻影だけで、具体的な内容の嘘を吐くとしたら……古泉さんの傷が治った幻影?
……いや、駄目だ。もしそれでアイディオンを騙せたとしても、根本的な解決にはならない。
アイディオン以外にも……俺達側も騙せたとしても、やはりだめだ。またソウルクリスタルを使われて、同じことの繰り返しになるだろう。
アイディオンの言葉から考えれば、アイディオンは今使っているソウルクリスタル……『相手の動きを封じる異能』か何かのソウルクリスタルを、ほぼ無限に持っていると考えられる。
ソウルクリスタルを人工的に作り出すなんてありえない、とも思うが、逆にそうと思わないと、今の状況に説明がつかない。
では、古泉さんがいきなりこの状況を脱してアイディオンに襲い掛かる幻影はどうか。
……アイディオンが信じれば、少なくともアイディオンにとってはそれが真実になる。
けれど、それはあくまでアイディオンにとってのみで、古泉さんを助ける事は出来ない。
アイディオンにダメージを与えられても、古泉さんのダメージを回復させることはできないだろう。
俺達側の過半数が信じてくれれば話は別だが……期待できそうにない。
もしここで見破られたら、次の嘘はもっと吐きにくくなるのだ。最善手を探して、一発で決めなきゃいけない。
……このアイディオンが何を信じてくれるか、全く分からないのだ。
アイディオンにとって『そうなって当然』な事で、俺達にとって都合がいい事、なんていう状況があれば話は別だが、劣勢の今、それは難しい。
『アイディオンが信じてくれて、かつ古泉さんを助けられる』嘘か、『俺の異能を知っている味方が多くいる中で過半数が信じてくれる』嘘を吐くか。
どちらにせよ、幻影しか使えない。言葉なしで、信じてもらうしかない。
……望みの薄い嘘だ。けれど、そうしないと、古泉さんが……。
……いや、違うか。
違うな。
違う。
古泉さんを助けたいなら……古泉さんにとってだけ真実であれば、それでいいんじゃないか?
死者を冒涜することになるのかもしれないけれど、咄嗟に俺はこれしか思いつかなかった。
写真で見たあの人の幻影を、作る。
優しい顔ではなく、どこか厳しい表情で、古泉さんの前に、古泉さんの亡くなった奥さんの幻影を作り出した。
下手に優しい幻影を作ったら、古泉さんが諦めてしまいそうな気がしたから。
古泉さんの反応は分からない。古泉さんは今、動けないはずだ。
幻影は古泉さんの傷に触れ……古泉さんの傷が治る幻影を作る。
アイディオンの攻撃動作を見て、不可視の壁が古泉さんを守る幻影を作る。
酷く、長いような短いような時間が過ぎていく。
信じてください、と、祈るしかない。
甘ったるい子供騙しみたいな嘘を信じてください、と。
きっと俺なら信じてしまうだろうから、なんて、どうしようもない理屈で。
……アイディオンが動いた。
「価値はあるさ」
アイディオンの体が傾いだ。
アイディオンの体を貫いた拳が引き抜かれると、アイディオンの体は床に沈む。
古泉さんの左手には、見た事の無い武器のような、装飾品のようなものがあった。
二つ、輪が重なったようなデザインのそれは、古泉さんの左手の薬指に着いている。




